棒立ち

 譲二には鼻の横に大きなほくろがあったが、誰もそのことについては言わないまま四年生の秋に除去した。
 それから少しして歩が、譲二の顔は四角いと言い出した。デカ四角い。プリントが配られるたび歩はお前ほんと美白だなと言い、箱型の筆箱を逆さにして鉛筆吐くなよと言い、机に座って俺のケツ穴どんなニオイ? と言った。だから私も雑巾やゲームボーイを譲二と呼んだ。ごめん譲二! 一塁ベースを踏んで私は笑い、打たれた歩も笑い、ごめん俺! と三塁を蹴る譲二も笑った。
 私たちはいつも一緒だった。校舎裏に実った枇杷を取り尽くした。市民プールのロッカーから小銭を回収しゲーセン巡りをした。電車が迫る京急線に立ち入り、誰がぎりぎりまで線路に触れていられるか競った。65円バーガーに、ガムシロとレモン汁を混ぜた水で何時間も粘った。二つ上の、やがて少年院に入る恩田くんにゴムの使い方を教わり、大学生とのセックスを見せてもらった。縁日で手に入れた手錠で音楽の先生をピアノに繋いで泣かせ、フツウニババアというあだ名を流行らせて泣かせた。
 あだ名といえば五年生に上がった最初の登校日、新しい担任が私たちに付けられたくない呼び名を教えるよう言った。君らの人権を守るためだから、と。あだ名じゃなくニックネームを使おう、と。席順に嫌なあだ名を言っていった。私の番、私は何も思い当たらなかった。大丈夫ですと言ったがそんなはずないと担任は追及してきた。本当になかった。私の名前は同世代には珍しいほうで、だからむしろその名前自体に少し恥ずかしさがあったから、とにかく次の人に進んでほしかった。しかし担任は逃してくれず、最後は私が観念した。きゅうりのキューちゃんです。そうだよな。という感じで担任は名簿にペンを走らせた。
 それから譲二と歩は私をきゅうりのキューちゃんと呼んだ。歩と私は譲二の四角さを言った。歩にはそういうのはなかった。しれっと優位ポジにいた。背後で躓いたこともすぐ気づく目敏さや、週末に剥がし忘れたけろっぴの絆創膏を半年は擦ってくるしつこさに私と譲二は恐々としていた。それでも暇つぶしアイデアのゼロイチはたいてい歩発信だったし、少年院から出た十日後に強盗で捕まる恩田くんの前では等しく雑魚だったから三人の間に序列を感じたりはしなかった。所詮は同じフィールド上でのポジショニングの差だった。
 三人でいるのは誇らしかった。校長が枇杷の種を握りながらムゴイ! と叫んだこと。線路脇の柵が高くなったこと。恩田くんが人を刺す仕事を授かってきたこと、を教えてくれたこと。フツウニババアが学期途中で辞めたこと。全部誇らしかった。だからどれだけ貶し合っても気にしなかったし、あの日の事があってもそれは変わらなかった。

 机を下げた教室に新聞紙を敷く。習字は嫌いだった。いい加減に磨るから傷んだタオルみたいに筆跡が毛羽立つし、本番用の半紙が二枚しか配られないのもプレッシャーだった。
 黒板にその日のお題が貼られたとき、お前じゃんと歩が私を見た。ホンマヤ。と譲二が初めて関西弁を使ったのを覚えている。
 永久平の和
 歩は半紙の端に書いた。そこへ譲二も加わって余白を埋めていった。
 永久平の和食
 永久平の和食してうんこ
 ちんこ U 毛もじゃ
 久平のゴム 0721サイズ!
 久平→ヤる森田
 おセック久平
 私たちはいつも一緒だった。恩田くんの前では三人等しく雑魚だった。けれど京急線に越えられない柵ができたとき、歩だけは内心安堵していた。店員に町内会の人がいたせいで譲二だけがひどく叱られた。床に敷いた新聞紙の、会社が自分だけ違うのを歩は隠したがっていた。フツウニババア! と叫ぶたび譲二はおばあちゃんの豚汁を思い出していた。
 私は枇杷が苦手で、市民プールの小銭をこっそり貯め込んでいて、自分の名前が嫌いだった。江戸時代の大工くらいしか同姓同名がないのが古臭くて嫌だった。優斗とか康介とか春樹とか、歩でもよかった。大げさな願いなんて込めず、フツウニ名前をつけてほしかった。
 譲二は。どちらかといえばこちら側だと思っていたのかもしれない。だから譲二の書く私の名前だけ許せなかった。うんこもセックスもどうでもよかった。私よりやや上手に書かれたその筆致が気に食わなかった。それだけだった。
 私は半紙に顔の四角い棒人間を描いた。
 そしてその顔に黒い点を入れた。
 顔の中で薄い墨がじわっと滲んだ。

 私たちは一緒ではなかったが、次の日からも私たちは一緒だった。卒業式で譲二だけ泣いたのを中学に入ってもいじった。それぞれ友だちができても毎年祭の日は三人で集まった。兄をバイク事故で亡くした歩が不登校になる中三の夏までそれは続いた。
 あの日を境に変わったものなどなかった。習字のうまさも嘘つきなのも変わらなかった。だから大人になっても大切なことはこども時代の曖昧な記憶に負わせ、当の自分は他人行儀な人称の裏に隠れている。
 俺の名前はきゅうへいです。えいきゅうのへいわと書いて久平です。
 自己紹介も堂々とできないまま俺は、最後に棒人間を描いた日も思い出せなくなっていく。

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