COVID-19とメディア(その1)

 ずいぶん久しぶりにnoteに投稿する。しばらく非常勤先の学生さんへオンライン授業のコンテンツを提供するだけに使っていたため,講義期間が終わってから間が空いでしまった。

 さて,2019年12月に日本でも武漢の原因不明の感染症を報じてから2年目に入った。当初からtwitterで何度か発信してきたのは,これから報じられる患者の数や行政の動きは,眉に唾をつけてとらえる態度が大事だということだった。というのも,目に見えないウィルス感染は検査数次第だし,把握される数の多少や報じられ方で私たちに及ぼす影響が大きいからだ。事実,日本での公式発表から1年経ったいまも,変異株の確認数,都道府県ごと(というより東京都の)の重症患者の定義,そして報じられなくなった在宅療養患者のことなど,COVID-19はメディアとの関係を考えさせる機会を与え続けている。そこで,このテーマについて考えたことを不定期に投稿していく。

 まず,基本的なことを確かめる。患者確認数は,PCR検査を実施して陽性と確かめられた数で,検査の実施数が分かれば「陽性率」が計算できる。でも検査数が公にされず都道府県が公表した数だけをもって「患者数」と報道したり,ニュースバラエティで不正確なまま何度も発言されることで,誤った理解につながる。さっきもふれたように患者確認数は人為的な数であって,患者数はあくまで暗数(あんすう)だ。

 国際機関であるOEDCは,2020年6月に加盟国の感染状況についてリポートを出し,検査数が圧倒的に少ない日本は加盟国中最下位に近く,アフリカや南米並の感染状況と推測する旨の結果を出している。公表された患者確認数を患者数と誤認して国会で閣僚が「日本は世界でも患者が少ない」と言い放っていたのを覚えているだろう。なぜ,検査実施数を増やせという意見が1年経っても実現しないのは,おそらくこの誤った数字を真に受けている内閣や厚生労働省の状況認識が根付いているからだと,私は考える。事実は逆でしたね,2021年1月に2度目の緊急事態宣言を出したころ人出は減らず,感染拡大は変異株へ移行していったのですから。

 ミシェル・フーコーが「知の権力」といったのはたとえば数字で示されるものだった。患者確認数は,検査次第で行政がコントロールできるし,検査を受けたくないと思う人が増えれば検査体制自体が信憑性がなくなる。検査で陽性であっても,誰に会ったか・どこへ出かけたか正直に申告しない人が増えたことで「経路不明」も増えている。強制力のある法制度は市民の自由を制約するから,と議席を気にする政治家はあいまいなことしかいわない。飲食業を営むお店には営業を制約しているのに不思議な話だが。では,COVID-19をめぐる数字はどれも疑わしいと断じるのは早計。そうではなく,不正確な根拠で対策がきまったり,私たちの生活に規制が及んでも甘受する私たちの姿勢も,従順に権力へ従っている現実を認識するべきだと申し上げたい。(つづく)

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