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後輩といっても大学の後輩というわけでもない。
IT業界の後輩というか、起業家としての後輩というか、人生を通して長い付き合いの中での「後輩」という言葉が一番しっくりな人物がイセオサムだ。

イセくんはオプト在籍時代に、後にハロを創業する矢野くんとセットでご紹介を受けた。当時、オプトの上司は和久井さん(閣下と呼んでいる)というモバイル広告で伝説を残した人だったかと思う。

当時、「粋な勉強会」というモバイルビジネスに関連する人物をゲストを招いた勉強会を開いていて、イセくんもよく参加していた。参加メンバーにはgumiの国光さん、イトクロの山木さんなどもいた。

イセくんは、何かの折に「あの時のジェントル(私はジェントルふじふじというGREEネームを持っていた)のおかげで色々な人脈を築けた」と言ってくれる。彼は今、「ハイブリッドサラリーマンズクラブ」というDMMオンラインサロンを運営している。

彼はいきべんの参加のみならず、登壇側になって、モバイル広告のノウハウを教えてくれた。

就職したのは日本テレビで、すぐに辞めてモバイル業界に入ってきたわけだから、相当のイカれ者に見えた。

彼と出会った年は2006年。Youtubeがグーグルに買収された年だ。Youtubeの存在がテレビ局を脅かす存在になるとは当時は思ってもいなかった。

テレビ局側に残ってネットビジネスに携わるという道もあっただろうが、今日の視点から見れば、こっちの方が彼にとっては正解だろう。その後のイセくんの生き様がそれを表している。

ハロを創業したあとも、副業や、他の会社の役員も兼務したり、軽井沢に移住したり、やることなすことがクレイジーだ。

好きでもないのに、バイクのメディアをやったり(記事作成もしている)、釣りのYoutube番組を撮ったり。

色々なビジネスに携わっていて、とっちらかってるだろうと思いきや、緻密なところもある。

なんとエクセルで日記を書いているのだ。

昔、実父が「5年分の同じ日」が1ページで見れるという日記帳を使っているのを見た事があるが、イセくんの使い方はもっとクレイジーだ。

会社の売上とか、色々な行(項目)がある。そして、延々に右の伸びる日記帳なのである。

彼とはいきべん以来、「モバイル広告を死ぬ気で考える会」や「クラリスの会」などのイベントを一緒に主催した。

新泉の矢野くんの四畳半で生まれたハロが、渋谷の駅前の東急ビルに入るまで急拡大し、そして紆余曲折があり、イセくんはハロを去った。

先輩の姿を追うのが後輩というものである。
イセくんも色々あったのだと思う。
コロナ前までは1年に数回は飲んだが、イセくんは辛い顔を見せない。
いつも何かに没頭している。

数年前、バチェラー出演したOZ(小柳津くん)がサイバーエージェントを卒業するという話を知り、すかさず、クラリスの会のメンバーと尾下さんを呼んで、宴をひらいた。

イセくんとOZは一緒に仕事をしたことがないという。
「じゃあ二人で一緒に何かやれば?」と言ってその日が終わる。

数ヶ月後、彼らは先述のハイブリッドサラリーマンズクラブを立ち上げた。

そうだ、次はOZの話をしよう。


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