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日本人の3分の1が日本語が読めず、小学生5年生レベルの算数もわからないらしい。

あえて、ミスリーディングするタイトルを書いてみた。
正確にいうと下記のとおりである。
簡単に伝えようとするとミスリードしやすいというサンプルである。

日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
日本人の3分の1以上が小学校3~4年生の数的思考力しかない。
パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。

だそうである。
それでも日本人は世界のトップレベルなんだそうだ。

先進国の成人の約半分(48.8%)はかんたんな文章が読めない。
先進国の成人の半分以上(52%)は小学校3~4年生の数的思考力しかない。
先進国の成人のうち、パソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいない。

ということは、小学生を卒業した後の教育は無意味だということになる。
だったら学校なんてやめちゃって好きなことをやればいい。

教師の仕事は、その科目の楽しさをプレゼンすることだと、
とある番組で語っていたのを思い出した。

ということは、比較的多くの人が、人のいうことを理解することに興味がないのかもしれない。
そもそも、自分の意図を完璧に伝えられる人はいないし、
伝える相手も理解力がないのだから、会話もギクシャクする。
だから、理解されなくてもいいし、むかついたら八つ当たりしたくなるということなのだろう。

相手に伝わらないもどかしさは、プログラミングにも言える。
些細なミスでエラーになる。
プログラマーはそのエラーメッセージから新たなヒントをもらい、
また仮説を出してコードを修正する。
の繰り返しだ。

ただ、有難いのはコンピュータは、感情をむき出しにしないということだ。
エラーしてもエラーメッセージを出すけど、「お前はなんて馬鹿なんだ」とは言わない。

プログラミングは、コンピューターとのコミュニケーションである。
ということは、案外、日本語を正しく伝える訓練になるのかもしれない。

私自身、プログラミング学習を通して、人のミスに寛容になったし、
自分のエラーにも寛容にもなったし、何かのトラブルの時は、人のせいというよりも、何が問題なのかということを、ちょっとは冷静に探求できるようになった気がする。
それでも感情が昂ることはある。
それが人間の醍醐味だということも感じる。

それがわかれば、相手の感情的な態度もある程度は受け入れられ、
お互いの意図の擦り合わせをしてみたいと思うようになれる。

それでも、相手の意図を理解するとか、自分の意図をきちんと伝えるというのは難しい。

だけど、それもプログラミング学習と同じ。
相手に興味を持てば、エラーを繰り返したとしても、いずれはデバッグできるのである。

人は馬鹿が嫌いである。
でも、自分もなんらかのバグがあるはずだと思っておいた方が利口である。

今回の記事を読んで、そう思った。

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