完全自動運転の2030年には「石川啄木の乱」が起こるはず。方言のすすめ。
石川啄木が、上野駅で東北弁を喋る人々を見て、詠んだ句である。
つい最近、地方でも大都市部では標準語を喋ると聞いて驚いた。
都市に集まる人は「訛り」を恥ずかしがっているのだろうか。
俺の従兄弟は、佐賀の人と付き合うと佐賀弁になるという、他人の方言を盗む技を身につけていた。
そんな従兄弟が羨ましかった。
今年に入ってから、出張したらレンタカーを借りて遠出することにした。
都市部ばかり見ても、その土地の実体が見えないし、その土地を堪能した感じがしない。
地名を覚えたり、ドライバー同士の交流も生まれる。
色々なフランチャイズの名前も覚える。
「ラジオを聴く」のも新鮮である。
こないだは福山雅治の番組を聞いた。
「ましゃ」って呼ばれてるんだということを知る。
まあこんな感じで、レンタカーを借りると忙しくなるわけだが、
都市部から遠ざかるほど、人の言葉が訛ってくるし、言葉も変わってくる。
最初に声を交わすのは駐車場のおじさんだ。
あんまり聞き取れないけど、「はるばるやってきたぞ」と感じる。
新幹線の改札口で、祖母にかけられる声、
空港の到着ロビーで、叔父にかけられる声、
あの瞬間に感じるのと同質なものを感じる。
その時にふと脳裏によぎるのが、冒頭の石川啄木の句なのである。
地方出身者は、いまさら地元に帰れないという。
実家に帰ったら1週間で飽きるという。
いやそれは、実家だから飽きるわけであり、
新しい試みがそこにあれば新鮮なはずである。
例えば、全国各地でフランチャイズビジネスが立ち上がっている。
そんな時に、3ヶ月でも地方に滞在すれば楽しいはずだ。
「とりあえず東京に出よう」という感覚で上京してきた人は、
「とりあえず田舎に帰ろう」ができない。
でも、あるプロジェクトがある場所でやっていて、
そこに参加するのなら、変なこだわりはなくなるだろう。
会社にしても家庭にしても一度契約したら終わりだと考えがちだ。
しかし、副業が当たり前になり、離婚再婚も当たり前になるだろう。
一つの土地にしがみつく必要もなくなる。
そんな転換期が2030年。完全自動運転の時代である。
なにせ移動コストが極小化するのだから、便利なところに住むという必要もなくなる。
だいたい1年以上同じところに、滞在することがバカらしくなる。
四季を一回りすると、あとは同じ繰り返しである。
ドライブをしていると、住んでみたい町がたくさん出てくる。
「めっちゃいい景色だ」と思ってもおそらく3日であきるだろう。
炭坑夫が街を変えるというのは、こういうことなのだろう。
その土地の言葉をマスターしたころが、潮時だということである。
自動運転の世になれば、国民全員が炭坑夫のようになる。
何かの目的のために、その土地にいく。
「とりあえず何度も揃っている」から住む街というのは魅力がなくなる。
中途半端に高くつくからだ。俺はそれを「中目黒化」と呼んでいる。
安いは正義。会社も学校もどんどん辺鄙な場所に移るだろう。
風光明媚で、空気と食い物がうまいところに人は心地よさを感じる。
都市に集まって、合理化を進められた時代は終わり。
インターネットと自動運転で、都市のメリットは極小化する。
都市に移り住んで「標準語」をまとって、すり減らしながら生きるのもこれで終了。
それを、俺は「石川啄木の乱」と呼んでいる。
もしくは、「1億総さんま化」と言ってもいいだろう。
みんなインチキっぽい方言を喋りだすわけだ。
テックジムも、それぞれの土地の言葉で、プログラミングを教えるのだろう。
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