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学習塾に行かせる金があるなら、地元の名所巡りに金を使ってやれ。

昨日、2ヶ月ぶりに立川に行った。

フェイスブックでiOSエンジニアのしんちゃん(実名は隆之介なのだが)が
キッチンカーを出しているという投稿を前夜に見つけたので駆けつけたのだった。

行きしなに、昨年末偶然にFBで繋がったやましょうに連絡。
35年ぶりの再会をそこで果たす。国分寺市立第四小学校の同級生である。

国分寺時代が人生に一番影響を与えたと思う。
海しかない三原から中落合にきたときは、田舎者にとっては、全てがストレスだった。

小学校3年生に上がる時に国分寺に来た。
当時の国分寺はほどよい田舎だった。

みんなのんびりしているが、文化水準は高い。
15名くらいの男子のうち5名くらいが家にPCがあった。
88とか98の時代であある。
徳川家の避暑地であり、三菱財閥の別荘地であり、村上春樹がいた街である。江戸時代は瓦堀りの観光地だったそうだ。

親たちは基本的に放任主義だが、親たちとの接点はほどよくあった。
やましょうの母さんとも喋っていたし、笠井の親には御嶽山に連れてってもらった。逓信住宅の夏みかんの木によじのぼって実をとっていると、知らないオバさんから怒られると思いきや「あんたどこから来たの。新宿か。都心の子はこういうことできないから、良かったね」と言われたりもした。

プレイステーションでは火遊びや家づくりができたし、本多さんの庭で筍狩りをしても、ほどよく怒られ、ほどよく誉められた。

分倍河原の合戦で燃やされた国分寺跡、鎌倉街道、玉川上水など、普通に歴史に触れ、大人たちも教えてくれた。

東京に出てきた人たちに地元の名所を聞くと、知らない、行ったことがないという。
それでは地元への愛着はわかない。帰ってもすることがないのだろう。

当然、地方に行くと、そこに残っている人は名所を色々教えてくれる。
少年時代に親に連れてってもらったとか、子供をよく連れて行くとか。

地方創生のクビキはここにあると思う。

ちょっとできる子は塾に通わせて、東京に行かせようという欲がでる。
東京である程度成功したら地元に戻って欲しいと思う。

しかし息子は地元に戻ってこない。
それは、地元の名所を教えていないからである。
生まれた土地の、綺麗な空気や人懐っこい人情にも触れず、
美味いものも酒も飲まずに人生を全うする。

地方巡業のおりに名所を巡っていると、土地の人々との交流ができる。
旅の終わりには愛着を感じて、また来ようと思う。
今度はあそこにも回ろうみたいな欲も出てくる。

青年時代に東京を捨てた人の多くはこういう感覚がないのだと思う。
それは俺の両親を見ても明らかで、宇佐神宮や糸崎神社の話が出たことはない。

話は戻って、やましょうは、小五の時にベーマガを読んでゲームを作っていた。ところが、入った大学の学部には当時、情報系の授業がなかった。
バイト先が就職先になって、地元の学習塾の社員になった。
29歳の時に「やっぱりやりたいことがしたい」と思いプログラマーになったという。

それに対して俺は、親に勧められて学習塾というチートを使って、またストレスでしかない時代を送る。

無目的のまま、暁星に入り、何もやりたいことがないまま早稲田を出た。そんな時に松瀬に誘われて、i-modeコンテンツ開発の会社を作った。
たまたまやってみた仕事がはまったというわけだ。

俺が忌み嫌う学習塾を、彼が携わっていたというのは皮肉なものである。
今こうして、お互い好きな仕事についているというのは有り難い話であるが、それにはお互い遠回りをしたものだ。

今はやりたいことがあれば、調べるツテもあるし、リーズナブルな代替え手段もあり、経済的理由で目指せないということの方が少なくなってきている。

このような時代の中で、友達や先輩、地元の人、親たちとのコミュニケーションが断絶される「いい大学に入っていい会社に入る」というモノレールはリスクでしかない。

いまの学生たちの親や先生は、デジタルリテラシーがとても低い。そんな中で育つから、学歴に関係なく、ITとの接点が失われる。

やりたいことがあれば、自ずとITとの接点が生まれるのが今の時代なのに、彼らは若くして生きた化石となっている。

なるほど、こういうわけで、日本はIT分野で出遅れているのかと合点があった。

親のお前こそ、人生100年時代の後半戦を「やりたいこと」で過ごすことに集中せよと言いたい。子供は子供同士でなんとかするのだから。

PS)「純粋に学問をやりたい」とか、自分の意志で「塾にはいりたい」という子供の場合の話ではないことを断っておく。やっぱり学問は大切だという親もまたそれはそれでいい。ご自由に。


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