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2人の妻に先立たれたおじいちゃんへ

寂しかったよね。
最後、なんだか行く気になれなくて、いよいよ迫ったおじいちゃんの死に目に向き合えなくて、お見舞いに行けなくてごめんね。
緩和ケアといいながら、細い管に繋ぐだけ繋いで、弱るのを待つだけの病院。
そんなところに入れてしまってごめんね。
いろんな病気して、ペースメーカーも入れて、透析も頑張って。
自分の運転で事故もせずに病院に通って。
おじいちゃんは頑張って生きてたのに、なんのお手伝いもお世話もできなくてごめんね。

ちっちゃい時に連れて行ってくれたピクニック公園の湖。
一緒に食べたスーパーの細巻きが好きだった。
家に遊びに行くたびにオロナミンC買っててくれてありがとう。

おばあちゃんはいないと思ってたけどずっと寝たきりで、私は幼すぎて全然状況が分からなくて。
気がつくと、奥の部屋のベッドには誰もいなくなってて、
また気がつくと新しいおばあちゃんができてた。
お母さんはその人が大嫌いだった。
その後妻さんはおばあちゃんのヘルパーとして来てた人らしい。
そりゃ嫌いにもなるわ、とお母さんに同情したけど。
その人が家に来てから、おじいちゃんちに行くことがほとんどなくなってしまった。
せっかく近くに引っ越してこれたのにあんまり遊びに行けなくなってしまってごめんね。

わがままで子供のことなんて全然知らない、その年まで未婚だったらしい後妻さんはなかなか強烈に性格が悪かった。
おじいちゃんはどうしてこんな人が好きになったの?って思ったけど、多分恋愛運のなさは遺伝かもしれない。

おじいちゃんが目の前で死にかけていても、何もしなかった後妻さん。
たまたまお母さんの職場に、私の同級生の父親でおじいちゃんの同僚だった人が「最近顔見てないぞ、見に行ってやれよ」と現れてくれたおかげで救い出すことができた。
重度の肺炎。何も食べてなくて腸の中は空っぽ。
そのまま日赤病院に運ばれたおじいちゃんは、危篤状態だった。
覚えてないと思うけど、あのままおじいちゃんが死んでたら大変なことになってたと思う。

その後、脅威の生命力で復活してくれたおじいちゃん。
もうそのおばあさんとは一緒に居させられないと言って、うちで一緒に暮らすことになったね。
お母さんはずっとイライラしてて、おじいちゃんがせっかく買って来てくれた惣菜にも怒ってた。
おじいちゃんなりに気を遣ってたのにね。
もっと会話をして、分かり合えてたら、お互いにギスギスしなくても良かったのかな。
おじいちゃんもお母さんもそっくりだから、あんまり話もしてなかったよね。
間に私が入ろうと思っても、私もお母さんそっくりに育ってしまってあんまり優しくできなかったな。ごめんね。

そのうち、実家に帰らされそうになったおばあさん側の親族が「訴える」って言い出したね。
あれにはたまげた。勝てると思ってんのかって。
結局、おじいちゃんがうちから出て行ってまた2人で暮らすようになってしまった。
「殺されかけた人のところに戻るなんて」って大ブーイング食らってたし私も心配したけど、それだけおじいちゃんにとっては大事な人だったんだろうね。
幾つになっても誰かを大事に思えるのは相手がどんな人であっても大切。
きっと亡くなった私のおばあちゃんのことだって忘れたわけじゃない。
ほとんど毎日お墓に行って、お手入れしてたのはご先祖様のためでもあるし、きっとおばあちゃんのため。
おじいちゃんにとってはどっちも大事な人だったんよね。

ある日、またおじいちゃんは一人ぼっちになった。
私は正直、あのおばあさんがどうなってもなんとも思わなかったけど、おじいちゃんだけが心配だった。
2人も大事な人を見送って、どんな気持ちだったかな。
葬儀中、涙もこぼさずにずっと遺影を見つめてたおじいちゃんの顔だけ覚えてる。

おじいちゃんは1人で暮らしだしたけど、ある日裏の山が土砂崩れを起こして家が半壊してしまった。
結局、うちでまた暮らすことになったね。
大好きだったおじいちゃんちが無くなってしまったことが私は結構寂しかった。

何年一緒だったかは忘れたけど、私が仕事でいない間も肩身の狭い思いしてたよね。
せっかく同じ家に住むようになったのに、あんまり話してあげられなくてごめんね。
小さい時の私だったらめちゃくちゃ喜んでたのにな。
味方がいなくて寂しい思いしてたと思う。
でもあの頃に戻っても、私は優しくしてあげられる自信がないや。

元気だったのに、突然肺炎でまた日赤に運ばれたおじいちゃん。
それから結局2ヶ月くらいで亡くなってしまった。
2021年のクリスマスだった。

入院中、放置されて唇が乾燥してもリップクリームすら塗ってもらえなくて
切れた唇が瘡蓋だらけだったおじいちゃん。
お見舞いに行ったお母さんが見兼ねてぽつりと、「ばあさん、そろそろ迎えに来てあげて」と宙に呟いたらしい。
それから間も無くのことだった。
おばあちゃんが迎えに来てくれたのかな。

息する間も無く咳して、痰もずっと出続けて、体も痛くて苦しかったよね。
大きな声では不謹慎だから言えないけど、やっと楽になれたねって、ちょっとほっとした。

寝たきりで動けなくなって、大きかった体がどんどん痩せていってた。
それでも、火葬中にボンッ!!!て音がして、スタッフのおっさんが
「脂肪が多いと爆発するんですわ」って言うてた。
私に脂肪がつきやすいのもおじいちゃんの遺伝ですか?

おじいちゃんとの思い出は、ピクニックとお墓参りに行ったこと。
山の上にあるお墓へ登っていくのがちょっとした冒険みたいで好きだった。
おばあちゃんの顔は遺影でしか見たことなかったけど、おばあちゃんやご先祖様のために毎日お墓へ通うおじいちゃんがすごいなと思ってた。
おじいちゃんの大切な人たちが眠るお墓。
そこに私の大事なおじいちゃんも一緒に入ってる。
なかなか顔出せなくてごめん。
東京で頑張るから、また報告しに帰るね。
頑張れなくてもちゃんと帰るね。

おじいちゃんへ。寂しい思いさせてごめんね。
私のたった1人の「おじいちゃん」でいてくれてありがとう。

#おじいちゃんおばあちゃんへ

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