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渋沢栄一と共に『論語』を読んで、日々の生活で実践していこう。 その3

渋沢栄一の解説をもとに論語を読み解いて、自分のものにして、より良い 社会生活を謳歌していきましょう。

今回は以下の教えを取り上げます。

「子曰く、君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲(ゆうじょう)してしかして升(のぼ)り、下(くだ)り、而(しか)して飲ましむ。その争いや  君子。」[八佾(はちいつ)篇]

渋沢栄一は、この教えを、「論語」の読み方の中でこう読み解いています。

孔子は言います。 学識・人格ともにすぐれた、道徳的にりっぱな人物は、けっして人と競争することはない。
但し、弓道だけは例外である。 堂に上がって主人に挨拶するときも、庭に下がって弓を射るときも、お互い会釈(揖:両手を前に組み合わせて会釈する中国独特のお辞儀のこと)し、譲り合う。 そして勝者にはお酒をご馳走する。

この論語の教えをもとに、渋沢栄一は、人との争いごとにどう対処するのがよいかを説いています。

人と争うことに関して2つの考え方があるといいます。

ひとつはこの教えのように、争いを常に避けて、いかなる時も相手を立てて譲り合うという考え方。


もうひとつは、争いは常に排斥するものではなく、生きていく上で極めて  必要なものとする考え方です。

渋沢栄一は、自分自身の生きざまを振り返って、けっして前者を否定して  いるわけではありませんが、後者を強く推しています。

争いを常に避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に負けるようになって  しまう。 自分が正しい道を歩んでいて一歩もその道を曲げないつもりで  いると、むやみに譲歩するということはできない。 従って、争いも起こることがあるというのです。

渋沢栄一がいいたいことは、争いをしなさいということではなく、争いを  してでも、いつも死守すべき「主張」がなければ、その人の一生は、まったく意味を持たないものになってしまうということです。

また、「論語と算盤」のなかでも、「正しい道をあくまで進んでいこうと  すれば、争いを避けることは絶対にできないものなのだ」と書いています。

 さらに、「若いときはもとより、70歳の坂を超えた今日になっても、わたしの信ずるところをゆり動かし、これを覆そうとするものがあらわれば、 わたしは断固としてその人と争うことをためらわない」「わたしが信じて 正しいとするところは、いかなる場合においても決して他に譲ることは  しない」とも強調しています。

明治維新の混乱の際も、かの大久保利通と意見が合わず、喧々諤々の議論をしたというのもわかります。

わが身を振り返って考えてみますと、筆者は、人との争いごとは出来るだけ避けようという信条で生きてきました。 ただ、思い返してみると、何度か徹底的に争いを起こしたことがありました。 

それは、サラリーマン時代のことです。 営業最前線で頑張っていた時ですが、担当していたお客様から
ある新しい、且つ難しい課題を提示されました。

確かに、自分の会社としてもその課題に対応するには、リスクもあることは分かりました。

が、しかし、お客様も、我々を信頼するというリスクを取って、我々に任せて、一緒に課題解決をしてほしいという重い判断もあったと思いました。 

そこで、自分なりに判断して、自社にとってもこの課題に対してしっかり  対応するための提案書を作成するべきだと考えて上司に相談しました。

その時の上司は、一言簡単にこう言いました。
「止めた方がいいんじゃない?」

理由を問いただすと、「そんな新しくて難しい、誰も解決したことのない  ような課題に対して解決できるかどうか、わが社の実力だと未知数で、極めてリスクがある。 そんな提案をするためには、相当上の上司の許可を取る必要がある。 どこかで却下されるに違いない。 私はそんな無駄なことはしたくない」と言いました。

私は、そういう反応がくることを予想していたので、事前に技術部門の責任者に、対応できるかどうかを打診しており、「お客様がそこまで言ってくれるなら、我々も逃げるわけにはいかない。やってやろうじゃないか。正規の営業ルートから提案検討依頼書を出してくれれば、技術部門の総力を挙げてやるよ」と口頭で同意を取り付けていました。

その当時、上司はさらなる昇進のポストを、ライバルと争っている真っ最中であることは誰もが知っていました。 

私は、昇進できるかどうか決定する大事な時期に、下手にミスをして自分のキャリアに失点をつけることを避けたいという上司の自己中心的な思惑が 見え見えでしたので、自分の人事評価が大幅におちることを覚悟で、さんざんその直属上司と口論し戦ったことを覚えています。 

最後に上司は、こういいました。「そこまでやりたいと思うなら、俺は   知らん。勝手に社長でもなんでも直談判すればいい!

私がそこまでできないだろうと高をくくっていたと思いますが、私は「そうですか。ありがとうございます。そうさせて頂きます」と言って、翌日社長に直接メールを入れて、社長じきじきに許可をもらい、天下のお墨付きを もらって、提案書を作成し、無事お客様に提案書をお届けすることが   できました。

因みに社長といっても、当時所属していた会社はグローバル企業のCEOで、全世界に何十万人という従業員を抱えていた企業の社長でしたので、それ なりに緊張して、ある意味ダメ元で英語メールを書いたのを思い出します。

提案書をお届けしたその時のお客様の嬉しそうな顔を今でも忘れられ   ません

それから十年以上たちますが、お客様は今でも当時の提案を基に業務を実行して頂いていると聞いています。 嬉し限りです。

お客様の熱い思いを差し置いて、自分の保身のことだけを考え、判断する その態度を私は絶対許すことができなかったので、争った次第です。

その後、その提案した案件を無事受注した際、上司が私に歩み寄ってきて、「なかなかいい提案だったみたいだね。ご苦労さん」と言ってきました。

 私は、何をいまさらと思いましたが、「おかげさまで、ありがとうございます」と答えておきました。 

その時は本当に頭に来ましたが、これ以上上司と争っても仕方がないと思いました。

今、思い返しても、あの時、直属の上司と思い切って争ってよかったと  心から思います。

なぜなら、「お客様を第一に考える」という自分の信念を曲げずに済んだ からです。

渋沢栄一は、「論語と算盤」のなかで、こういいます。

人には、年寄りだとか若いとかに関係なく、誰でもわたしのように、「これだけは譲れない」というところがぜひあって欲しいものである。     そうでないと、人の一生というものが、まったく生き甲斐のないものになってしまう。
人の品性は円満に発達した方がよいといっても、あまり円満になりすぎると、「過ぎたるはおよばざるがごとし」と「論語」(先進篇)で孔子が  いっているように、人としてまったく品性がなくなってしまう


読者の皆さんも、自分の「こだわり」「これだけは絶対譲れない」というもの(信念)をお持ちでしょうか?

お持ちの方は是非大事にしていきたいものですね。

参考文献:渋沢栄一『論語』の読み方(竹内均著)三笠書房刊。
      現代語訳 論語と算盤(守屋淳著)ちくま書房刊


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