長いお別れ

祖父と3年ぶりに会った。
前に会った時から物忘れがひどかったり、ボケている感じはあったけど、まだしっかりとしていたことを覚えている。

コロナ禍で会えないでいるうちに、祖父の認知症は進行し、同居する祖母や叔母が、耐えることのできないほどになっていた。

15分の限られた時間で、入院している祖父と面会した。
私が知っている祖父より、白髪が増えていて、髪の毛も少なくなって、痩せて、小さくなっていて、黒目の色も薄くて、目が虚で、肌が白くなっていて、、。。

身近な知っている人に対して、「老いたな」と感じたのが人生で初めてだった。人間が歳を重ねるごとに老けていくのは当然だけど、たったの3年で急速に「おじいちゃん」になった祖父を見るだけで苦しい気持ちになった。

話をしてみると、会話のキャッチボールはまだできるようだった。ずっと一緒に住んでいた祖母や叔母のことは、さすがにしっかり認識しているようだった。多分、父(祖父の息子)のことも覚えていたかな。

私は、孫だけど、最初母(息子の奥さん)だと思われていたようだった。私の名前を言ったら分かってはいるようだった。「中学生になったの?」なんて言われたけど、「この前大学を卒業して、社会人になったんだよ」って。まだ私の存在が忘れられてなかったのは良かった。

たったの15分の面会はあっという間に終わる。長い長い握手をして、別れを告げる。施設のスタッフに連れられて去っていく小さくなった祖父。どうしようもない気持ちになって、出そうになった涙をグッと堪えて、手を振った。

施設を出て、祖母や叔母とも別れ、父と2人になった時、涙が溢れて止まらなくなった。

ぬいぐるみで一緒に遊んでくれたこと、近所の公園でキャッチボールをしたこと、料理好きで実家に帰るたびに美味しいご飯を用意してくれたこと、特にすき焼きが美味しかったこと。。悲しいことに、1年に1回会うくらいだった祖父とそんなにたくさんの思い出があるわけでもなかったり。でも、初孫である私の成長を見届けてくれたことはきっと確か。

祖父が「おじいちゃん」になったことも悲しかったけど、祖母が祖父を施設に入れることに罪悪感を持っていたり、夢に祖父が出てくるって言っていたこともなんだか悲しかった。
一緒にいたくて結婚して一緒になって、一生一緒にいたかったはずなのに、今はもう、限られた面会の時間にしか会えない。寂しくても、認知症の祖父を家で世話をするほどの体力も祖母には残っていない。

アメリカでは、認知症のことをlong time good bye と言うらしい。死に向かって、記憶を少しずつ失っていく。現世に悔いが残らないためだろうか。記憶がない方が、少しでも荷物が少ない方が、楽に天に行けるのだろうか。

身近な人の老いと向き合うことがこんなにも辛いとは思わなかった。
祖父母だけでなく、両親もいずれ老いていく。そんなことを考えた夜は人生で今夜が初めてだ。
誰の最期にも、悔いを残したくない。

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