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Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女 が美しすぎる【歌詞考察】

初投稿です。
noteを始めようと思った理由は、タイトルの通り。

Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女
が美しすぎるから。

この曲は2017年にリリースされたアルバム『達磨林檎』の12曲目に収録されている。

作詞作曲を手がけているのは川谷絵音さん。

聞いたことない人はYouTubeや各サブスクリプションで配信中なので、是非!!

歌詞を見ながら、音に溺れてほしい。

https://youtu.be/7Dxee0o2eR8

↑こちらYouTube

聞いていただけただろうか?

以降、歌詞の内容を個人の見解で解釈していく。

あくまで【個人の見解】であり、決して川谷絵音さんの解釈と一致しているとは限らないことを前提にしてほしい。

絵音さんも、以下の様に語っているので。

川谷:あくまで個人の意見ですが、僕はすべて説明書きしているようなものは、歌詞ではないと思っていて。人が想像する部分を残す、人によって受け取り方が変わるのが歌詞の魅力なんじゃないかなって。テキストにしてしまうと言葉の受け取り方は人それぞれ、という認識になりずらいし、自分が一番正しいと思い込む人も出てきてしまう。でも、歌詞に関しては作者が語らない限り、正解はいろんなところにあるんです。他の人と受け取り方が違っても、それを間違いだっていう人は少ないじゃないですか。

Real Sound(2020.5.2)でのインタビューより

さて、前置きと保険はこのくらいにして。
Dancer in the Dancerの歌詞考察へ。

【Dancer】として踊らされているのは、誰?

誘われる苦い思い出の空気
食べちゃおう
いっそ食べちゃおう
日常に飽きたサムライの真似事
よしとこう
僕はよしとこう
1が10になる魔法をかけたこと
頑なに認めない神様が
やっと認めそうになったとこで
終わった夢を何度も思い出そうとしてる

Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女

ここでの「終わった夢」とは何だろうか?
そのまま解釈すると、あと少しで認められそうだったことが寸前で絶たれてしまった。
でもそれを忘れられない、的なこと。

個人的には、この情景はゲスの極み乙女が紅白出場まで上り詰めたことと、それが「終わって」しまったことを指しているのではないか?と思う。

覚えているだろうか?あの【騒動】のこと。
(知らない方は「川谷絵音 文春」で検索していただければ。)

このアルバムがリリースされたのは2017年。絵音さんの活動休止後のこと。
あの騒動があったのは2016年の年明け。
紅白出場まで上り詰めたゲスの極み乙女は、まさに夢の途中。国民的バンドになると誰もが思っていただろう。

「頑なに認めない神様」は音楽の神様、または世間のこと。その音楽性がようやく高く評価されて実を結び始めたのに、騒動があり終わってしまった。
そのことを表していると考えた。

(もちろんこの曲が2016年以前に作られている可能性も十分に考えられるため、一個人の意見として聞いてね。)

80年代の流行ミュージック
流せば揺れ動く僕のミュージック
何でもないことが何かになると
突然輝くみんなのミュージック
結局何かを信じて踊ろ
結局何かにすがって踊ろ
まだまだ捨てたもんじゃないって思おうよ

Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女

前半は音楽について。
「何でもないことが何かになると/突然輝くみんなのミュージック」
とは、各個人が持つ音楽への思い入れのことではないか。

例えば幼い頃、家族でドライブしている時に聞いていたサザンオールスターズの曲とか。
孤独な夜を救ってくれたindigo la Endの曲とか。

それぞれの音楽には、それぞれの物語がある。思い出がある。
その物語や思い出のことを、「輝く」と表現しているのではないか。

後半で「結局何かを信じて」「結局何かをすがって」と表現している。
結局、人間は信じる・頼ることを放棄できない。

これは絵音さんにも通ずることなのではないか?
ここで絵音さんが信じて頼ってしまったのは、周りの支えてくれる人達や、ファンのことなのではないか?
(ファンについては、希望的観測も含むけど。)

そしてサビへ。

Dancer in the Dancer
身を焦がしながら踊らされて
好きでもない自分に酔いしれる
嫌いでもない自分も恥ずかしいんだ

Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女

サビでタイトルが登場。
自分のことは好きでもない、けど嫌いでもないという矛盾性を書いたサビ。

多くの人が共感するのではないかな。
少なくとも私はそう。

赤裸々な告白を代弁してくれたような、嬉しく恥ずかしい気持ちになるサビ。

そしてここで答え合わせ。

【Dancer】として音楽に踊らされているのは、自分自身(絵音さん)。

誰が踊らされているのか分かったところで、2番へ。

頭の中でペシャンコになって
理由付けされず持て余した
希望8割余裕2割の
感情支配型優良物件
言葉にしちゃえばこうだけど
実のところ最近の僕の暮らしです
期待外れでごめんなさい
本当にそんな感じで今日も踊る
ひたすら意味なさそうな振りで踊る
さも申し訳なさそうに笑いながら踊る
敷礼1:1が今なら礼金0の張り紙がちらつく夜の中心

Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女

「期待外れでごめんなさい」という直接的かつ悲しい表現。
これも1番で語った「終わった夢」と結びつくなら、より切ない。

前半では自分のことを「優良物件」と評しているが、最後に「今なら礼金0の張り紙」と価値が落ちてしまった物件のように表現している。

「今なら」とついていることから、より騒動との関連性が伺えるのではないか?と個人的には思う。
(実際は作詞者のみぞ知る!けど。)

2番になってから「踊る」と自発的な表現に変わった。なぜだろう?

それでも迷うのが今日の気持ちです
それでも踊るのが今日の気持ちです
それでもそれでもそれでも
夜に踊るのが僕の務めです

Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女

「それでも踊る」「夜に踊る」と表現されている。

踊るとは、曲を作ることなのではないか?

踊ることを「僕の務め」としている。
務めとは、当然果たさなければならないこと。義務。

あまりに音楽を愛しすぎたのか。
あるいは音楽に愛されすぎたのか。

曲を作り出さずにはいられない運命を背負っているのが、「僕」なのではないか?

そして再びサビへ。

Dancer in the Dancer
身を焦がしながら踊らされて
好きでもない自分に酔いしれる
嫌いでもない自分も恥ずかしいんだ

Dancer in the Dancer
踊らされながら夜を描く
今日もまた言葉が浮かんでは
歌になって空に昇る
美しいんだ

Dancer in the Dancer

2番では1番サビに加えて後半、いこか様の声で歌われるパートがある。

歌詞も分かりやすく、直接的。

そして、

ただひたすら美しい。

酒の残り香漂わせたほろ酔いのダンスで身を投げる
一瞬の隙に入り込まれたあの日の夜を思い出しては言い訳に使ってる
Dancer in the Dancer
Dancer in the Dancer

Dancer in the Dancer

この文もすごく実体験的というか、なんというか。

ここで唯一、【音楽】ではなく【酒】に踊らされている。

酒に踊らされたゆえの過ちか何かが、あったのか。

まぁ誰にだってあるよね!(急に楽観的。)

そしてラスト。

Dancer in the Dancer
身を焦がしながら踊らされて
好きでもない自分に酔いしれる
嫌いでもない自分も恥ずかしいんだ

Dancer in the Dancer
踊らされながら夜を描く
今日もまた言葉が浮かんでは
歌になって空に昇る
美しいんだ

Dancer in the Dancer/ゲスの極み乙女

ここでも改めて、音楽を踊り、音楽に踊らされることの【美しさ】が描かれている。

言葉で直接的に表現しづらい感情や考えを、曲に昇華することによる美しさ。美学。

音と歌詞の美しさを同時に味わえる1曲だと、強く思う。本当に好き。
(同時に絵音さんの想いも。)

結局、私が川谷絵音様に踊らされている。

「美しいんだ」


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