名前は片想い/indigo la End 曲調と歌詞の明暗【歌詞考察】
歌詞考察、2回目。
今回は、名前は片想い/indigo la End について。
この曲は2023年に発表されたシングル曲で、現時点(2023.3)ではindigo la Endの最新曲。
作詞作曲は川谷絵音さん。
まだ聞いたことないよ!とかフルで聞いたことないよ!って人は、YouTubeや各サブスクリプションで配信中なので是非!!
↑こちらYouTubeのMV
最近はTikTokでよく音源が使われている印象を受ける。
(公式でもサビで手遊びダンス?している動画がアップされている。)
どのような形であれ、少しでも多くの人にこの楽曲の良さが伝わってくれるのなら嬉しい限り!
【個人的な感想】
初めて聞いたのは2022年11月に行われた、indigoの武道館ライブ。
当時は歌詞も分からないまま聞いたから、
「indigoなのに、曲調明るくないか!?」
というのが正直な感想だった。びっくりした。
そしたらたぶん、同じような感想を抱いた人が多かったのか。
と、絵音さん自身がツイートされている。
この「歌詞はめちゃくちゃ暗い」という前置きだけ念頭に、歌詞考察へ。
曖昧な関係=片想い
まずストレートに一目惚れしている「私」が描かれている。
「途中を飛ばした」というのは、内面や性格を知るうちに好きになる、みたいな王道ルートをぶっ飛ばして好きになってしまったことかな。
内面や性格を知る前に一目惚れしてしまったから、どんな人なのか分からず「怖かった」。
好きになってしまったから「怖かった」。
なぜ好きになるのが怖いのだろう?
「色が同じ」だと「混ざれない」。
絵の具の色も、例えば青と黄色なら混ぜて緑色になる。
でも青と青だと混ざっても青のまま。変わらない。
この場合だと、同性同士だったとか。
または既婚者同士だったとか。
(この場合は法に触れちゃいそうだけど。)
何か「混ざれない」理由・障壁がある関係性だと分かる。
(MVだと女の子同士の恋みたいに描かれている。)
だから、好きになるのが「怖かった」。
「バツが悪い」とは、居づらい。場違い。気まずい。
同じ属性を持っている、
「たったそれだけで」恋してしまっている自分が場違いである。気まずさを感じてしまう。
近年はLGBTQに対する世間的な目もだいぶ寛容になってきたとは思うけど、それでも法律的な問題やマイノリティであるがゆえの難しさや生きづらさをはらんでいる。
だからこそ、「私」は「バツが悪い」。
そしてサビへ。
はい、切なすぎる。しんどい。
音だけ聞くと明るめな印象を受けるけど、歌詞が切なすぎる。
「賢くなった私」とは、自分の素直な感情(恋愛対象としての好意)を押し殺して平然を装える「私」のことではないか?
または、恋愛対象を悟られないように振る舞っている「私」のこと。
感情を押し殺している「私」は「誰?」。
そんなの自分では無い、アイデンティティを失っている自分は他人同然。
なのに、「いつも通り」「そうやって縛った」。
それは、「あなたらしく生きて欲しいから」。
「私」は、「私らしく生きる」=自分の感情に素直に従って生きるのではなく、
好きになった「あなた」が幸せになれる道をそのまま歩んでほしい。
だから、「バイバイ」。
「私」がこの感情を押し殺して、好きな「あなた」に別れを告げることで、「あなた」の幸せを1番に望んでいる。
切ない…。辛い…。絵音さんは天才…。
2番へ。
まるでこの曲のよう。
悲しい歌詞も、明るい曲調に乗せて歌われている。
「わかって欲しい」・共感して欲しいという願望がある一方で、
やっぱり他人にわかったフリをされて心無い同情をされるくらいなら「わかって欲しくもない」。
とても人間的な矛盾性。
これはどこか、最近のSNSを反映した歌詞に感じた。
少し愚痴をつぶやくだけで、「見逃さない」とばかりに「正しさの矛」(=正論コメント)が飛んでくる現代。
正論の方が心の傷にぶっ刺さるから、より「痛い」。
正しいことは、必ずしも正義なのか?
自分の持つ「正しさ」を人にぶつけることが、正しいのか?
少し脱線するけど、Death Disco/SEKAI NO OWARI でも「正しさ」に言及した歌詞があるので、是非。
脱線はさておき、2番サビへ。
「問題ない関係で悩んだりしない」ということは、問題のある関係。
やはり世間一般的には認められにくい関係性の2人。
「賢くなったつもり」なのは、感情を押し殺して平然を装っている「私」のこと。
結局のところ、「私」の感情は隠しきれない。
波を立てないように「生きていくためのリアル」。
上手く生きていくための術。
それが「賢くなる」こと。
つまり、自分の気持ちを押し殺して生きること。
最後の一文は、疑問と羨望が混ざっている。
「あなたはあなたらしく生きたの?」
「私」に見せている「あなた」は、「あなたらしく」生きられているのか。
実は、「私」と同じように本音を隠して生きているのではないか。
そんな疑問。
または、「あなた」は「あなたらしく」生きられていて羨ましい。
「私」は「私らしく」生きられていないから。
そんな対比から生まれる羨望。
この一文で色んな解釈ができる、素敵な歌詞!
やっぱり絵音さんは天才…。
そしてこの物語はラストへ。
前半は1番サビと同じ。
特筆すべきは後半。
「あなたらしく生きて欲しいとか/強がってしまったの/本当は崩れ落ちそうで」
ここでついに「私」が本音をさらけ出す。
「私らしく生きるより/あなたらしく生きて欲しいから/バイバイ」と歌っていたが、これは強がり。
本当はバイバイなんてしたくない。嫌だ!
これが本当の「私」。
「飛んでった理性を取り戻したいのに」
これは「賢くなった私」のこと。
理性がある状態
=賢い「私」
=本音を押し殺せる状態
でも今はそれが崩壊して、「身体はやけに正直」になっている。
きっと、無意識的に「あなた」を求めてしまっている。
でも「曖昧な関係」であることに変わりは無いから、「私らしく片想いに乗せて歌った」。
結局、この曲の中では曖昧な関係から抜け出せていない。
なんと切ない歌詞なのか。
音と相まって、しんどくなるような美しさ。
一般的なラブソングだったら、きっと落ちサビで「私」を行動に移したりしそうだけど、しないのが川谷絵音さんって感じ。
相手を見つめたまま終わっていくMVからも、今後の2人はどうなるのか含みを持たせた終わり方で素敵。
私個人の意見としては、きっとこのまま2人が「混ざる」ことは無いんだろうなと思う。切ないけど。
最後に、タイトルを回収。
曲調と歌詞の明暗
これはそのまま、曲調は明るいのに歌詞が暗いことを指している。
この曲に出てくる「私」のように。
明るく振る舞いつつも、気持ちは暗い。
絵音さんの曲には二面性や矛盾性が含まれているなと、少し感じた。
また好きな曲が増えた。
「あなたらしく生きて欲しいとか/強がってしまったの」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?