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何も考えないって難しい〜ノートを始めたきっかけ〜

人間は生きているだけで五感を通じてありとあらゆる情報を得る。

意識的に得る情報もあれば意図せずにも勝手に得ることができる情報もある。

そんな情報に溢れかえった世界の中で私たちは何も考えずぼーっとすることができるのだろうか。


ぼーっとする時とはどういう時だろうか。




ふと、先輩にこんな言葉を言われたことがある。


「君って何も考えてないことがないんじゃない?」


自分ではそれまで何もそのようなことについて気にもしていなかったためよくわからなかったが、そう言われて意識してみると、確かにそうだった。


私にはぼーっとしているということがほとんどない


だからといって、ずっとテキパキと動いているわけではない。

体が休んでいる時にも五感を通じて入ってくる情報を得ながら、頭の中で独り言のように常に何かを考えているのだ。


もちろん、そんなの当たり前だ。という人はこの世の中にたくさんいると思う。

私が特別なわけではないことは知っている。

しかし、何も考えていない時間がある人がいるのも事実だ。


何も考えないということは、何かを考えないようにしようと考えることになるのではないか。

そう考えてしまうほど、私にとっては何も考えないということが難関に感じる。


何も考えないようにしよう。と思いベッドに横になるともうすぐ消えそうな電球が目に入る。


あの電球そろそろ寿命だな。
その前に埃も溜まっているからそろそろ掃除しないとな。


やはり、目に入った情報、聞こえる情報を解凍し、枝分かれするかのように考えが広がる。


小さな情報で膨らむ脳内の会話は終わる気配はない。

語彙力こそないけれども、そんな脳内の会話を自分1人で完結するのはもったいないと思うようになった。


どんなくだらないことでも、些細なことでも、自分の考えていることを発信してみたい。

もしその発信の中に共感や影響を受けたということを言ってくれる人が1人でも現れれば、それはまた私にもいい影響を与えるだろうし、さらに考えを発展させていくことができるのではないか。



そう思い、noteを書き始めた。



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