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個性ってなによ


わたしはよく、初めて会った人に「個性的だね」と言われる。

褒め言葉なのか、嫌味なのかわからないけど、悲しい気持ちにならないので勝手に好意だと受け取っている。ポジティブなので。
でも個性って言葉、難しいなあ。

「能力」のことを評価するつもりで使われているのか、それとも「社会的ではない」ことを指摘されているのか。
生まれてから今日までで感じてきた自分の個性の成り立ちについて、懐古できるように記録しておきたいと思う。

田舎から都会に出てきて、随分と個性の幅は広がったような気がする。地元でピアスをバチバチに開けていたら「あそこの娘さん、グレちゃって…」なんて言われるだろうし、いわゆる地雷服を着ていたら「風俗でも始めたのかしら、ホストに貢ぐなんて…」と狭いネットワークの中でぐんぐんと噂が蔓延して、いつの間にか勝手な人物像が生まれて自分ではなくなってしまうだろう。村八分にあったりして。そこまで田舎じゃなかったけれど。

わたしはずっと、かわいいものやキラキラしたものに憧れていた。
成人した今でもユニコーンやパステルカラーに目を惹かれるし、舌先をトカゲみたいに切っているお姉さんはかっこいいと思う。歌舞伎町には「自分」を曝け出して、生き生きとしている人達がたくさんいた。車だって赤や緑、スポーツカーやランボルギーニも見掛けた。田舎じゃ白か黒、軽トラのほぼ3択なのに。そういう意味で、歌舞伎はわたしに「思想を視覚で表現する自由」を教えてくれた。
今はそれが元気に育って「個性」になってくれた。

次にネット上で行う配信、これもわたしに個性を与えてくれた。
小さい頃から声があまり変わらず、いつまでも舌っ足らずな喋り方が直らなくて10代の頃はひどく悩んでいた。カラオケに行くと「萌え声(笑)」「声優になれるんじゃね」なんて揶揄われて、何度もアイスピックで喉を刺したくなった。昔読んだ小説で、女の人が男装して声を低くするために喉を傷つけたという話があったから。それ程にはコンプレックスだった。
高校時代は生徒会長をしていたので、何かしらの行事でマイクを持つ時は「大人のお姉さん」になりきって粛々とした態度を気取ってみた。予行練習の度に「なんか拍子抜けするんだよなあ…」と先生にしばき回されていたので。
けれど、練習の甲斐あってか大人っぽい声も出せるようになって、いつの間にか色んな声が出せるようになった。それで、大人になって時間のある時に配信アプリを始めてみたところ、かわいいね、声真似上手だね、声優になれるんじゃない?って褒めて貰えて驚いた。あの悩んでいた時期に聞いた「声優」の単語が、全然ちがうものになってわたしの頭に刺さった。この瞬間に、きっとわたしの声は「個性」になった。

それから、自分の努力も「個性」になることを知った。語学を勉強してみたり、論文を書いてみたり。何か自分でもできそうなことはないかなあ、と手当り次第試してみて、資格を取ったり経験値を貯めることに徹してみた。
最初は、これできたらかっこいいんじゃね?くらいの気持ちで始めたものも、気が付いたら周囲に評価してもらえるレベルになっていた。こんなに嬉しいことってあるのかな、時間を割いて、頭を使って、これって無駄じゃなかったんだねって、自分に価値を見い出せた気がした。

最後に、自分が元来持っていて、特に気にせず放っていたであろう「個性」。
わたしは昔から生き物が好きで、適当にそこらへんを散歩していても虫や植物の名前が大抵わかる。わかるようになりたくて勉強した訳ではなくて、自然と身についていた知識であった。これに関しては、幼い頃から研究に連れて行ってくれた父の影響もあると思われる。山を登っては、これはヤブニッケイだよ、葉をちぎって嗅いでごらん、ニッキ飴の匂いがするだろう、と体験を併せて色々なことを教えてくれた。
わたしはそれを生業としている訳ではないので、ちょっとした豆知識程度のものだけれど人に話すと喜ばれる。それに、世間からしたら「雑草」でも、わたしからしたら名前のある1つの個体に見える。知っていることが多ければ多いほど、世界が鮮明にわたしを迎えてくれるように感じる。

他にも、喋っている時の元気な雰囲気や、真顔でも口角が上がっているところ、あまり物怖じしないところ。自画自賛しているようで少し恥ずかしいが他人から見て魅力的に感じて貰える点はいくつかあると思う。

逆に、機械音痴、方向音痴なところ、色素が薄くて日光が苦手なところ、お酒をたくさん飲んでしまうところ。だめだめなことも数え切れない程あるけれど、わたしを囲んでくれているみんながそれを笑い話にして、「個性」として昇華してくれている。そういったことも、また数え切れない程ある。こんなに有難い話って、そうそうないよね。

結局「個性ってなによ」って、なにがゴールなのかよくわからないけれど、自分が出していきたいものは積極的に出してもいいし、自然と溢れ出ているものは誇ってもいいし、周りから助けを得られるものはちゃっかり受け取ってしまえばいいかなあ、に落ち着いた。

他人と自分を比べて、誰よりも優れていたいと思って落ち込むこともあるけれど、それ以上に「個性」をもらって生きやすい環境を作ることも必要なんだと近頃はよく感じている。

今のわたしは通院中の無職、必死に勉強していた学生時代の自分がこの事を知ったら、ショックでしんでしまうかもしれないな。けれど、こんな最低な肩書きでも、「やっほ〜!ニートだよお!」なんて元気な声で叫んでいれば意外と優しくしてもらえるんだぜ、って教えてあげたい。そんな喪服みたいなファッションじゃなくて、パステルピンクのプリントシャツを着てもいいんだよって教えてあげたい。

そんなことを今日は考えていました。
たくさん文字を打ったね、読んでくれたね。
お疲れ様、ありがとう。

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