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風俗嬢Yちゃんのはなし


大学時代に出会った友人、Yちゃんのはなしをしたい。

個人の特定を防ぐため、一部フィクションを含むことにする。

ただ、先に伝えておくが彼女はすでにこの世にいないので、この後どれほど彼女に魅力を感じても出会える可能性は0%なので留意して頂きたい。

わたしの記憶が鮮明なうちに、きらきらした彼女との思い出を残しておきたいと思った。まだ声が思い出せるうちに、後で見返せるように残しておきたい。

出会いはバイト先、つまり風俗店であった。

わたしはラウンジで働き、学費や生活費を稼いでいた。田舎の繁華街にある店舗の時給なんて、都会を知った今では比べ物にならないほどちっぽけに思えてしまう。けれど当時のわたしにとっては「お酒飲んでお話するだけでお金もらえんの!?」と張り切る要素満載の良い職場だった。老舗で客層も良く、地元の人に愛されるお店だった。

大学4年の冬、卒論に執心している学生の姿が風物詩となる季節であるが、わたしは学内屈指のレアキャラとなっていた。度重なる教授との揉め事、進まない執筆、緊張感のある研究室のムード、全てがストレスとなってわたしの足を重くさせた。時々友人に家凸されては引きずり出されたが、いつも時間は深夜3時。みんなが帰った後のしんとした部屋へ押し込められ、パソコンに向かうよう監視されていた。こっそり目を盗んで、嫌いな院生の引き出しに仕込んでやろうと遺書をしたためていたが結局設置することはなかった。少しでも不審な動きをすれば、分厚い図鑑の角でしばかれたので。
この友人がいなければ卒業できなかっただろうなあ、と今なら思えるが当時は鬼だった。
わざわざド深夜に迎えに来てくれるだなんて、天使じゃん。

そんな友人の手厚い介護をすり抜け、毎晩のように繁華街へ繰り出してはお酒をしこたま嗜んでいた。あまりに陰鬱になってしまい、薬物を乱用し始めたのもこの時期である。酒、薬、お金。この三種の神器が揃えばなんだってできる気がした。気分が高揚して、お客様とも楽しくお話できるしお金も手に入る、win-winじゃん?と本気で思っていた。毎日過剰な量の薬をビールで流し込み、ぴかぴかした時間を過ごしたが、朝になってすっかり効果が抜けると朝日に罪悪感を感じてしにたくなった。
学校はどうしよう、友人にもLINE返してない、親に合わせる顔がない、卒業できないのかな。そんな不安がぐるぐると脳内を渦巻いて、また安心のために薬を飲む。その繰り返しで日に日に顔色は悪くなり、真っ直ぐ立つことも難しくなった。そんな様子を見ていた常連客のお兄さんが、見かねて持ち掛けてきたバイトが「風俗店のスタッフ」であった。

お兄さんは最近メンズエステを開店したと言う。キャストもお客さんも増えてきて経営は順調だが、雑用をこなすスタッフが足りずに困っているらしい。そこで、わたしを待機所に設置し、時給を与えるというのだ。タオルや備品の洗濯、女の子のメンタルケア、仕事が無い時は寝ていてもいいし、卒論を書いても良い。ラウンジに出勤する時は車を出すし、迎えにも行く、私物を持ち込んで自宅化しても良いとまで言ってくれた。ひとりでいると希死念慮マシマシ人生カラメになってしまうわたしにとって、最高の条件であった。
早速荷造りをし、研究室のテーブルに「あばよ」と一言走り書きのメモを残して待機所へ向かった。

ここでようやくYちゃんの登場である。
連れていかれたのは普通の民家、扉を開けると和室が2つ繋がった15畳程の空間が広がっていた。壁にはレゲエ風のポスター、棚には派手なランジェリー、ずらりと並べられた香水の瓶、どれも畳には似合わない組み合わせで異質な雰囲気を放っていた。挙動不審になりながら恐る恐る室内を歩き回っていると、何かを蹴り飛ばしてしまった。
「いってぇな…何?…は?誰?!」
これがYちゃんの口から聞いた初めての言葉だった。

おまえ、新しいキャスト?てか蹴るなし笑
と言いながらタオルケットを剥ぎ、胡座をかいて煙草を吸い始めたYちゃん。
思わず、え、何歳ですか?と聞いてしまった。
低めの身長に大きな目、黒髪の可愛らしいボブ、小動物のような彼女が成人しているようには見えなかったから。
すると、元気に「18歳〜!!」と両手を上げ、煙草の灰をパラパラと頭上に落とした。馬鹿じゃん!?と慌ててハンカチで拭いてあげていると、彼女の足元にいくつもの市販薬の瓶が転がっているのが見えた。これ、わたしの鞄の中にも入ってる…。
こんな出会いではあったが初日から仲良くなり、暇な時は荒野行動をしながら人生について語り合っていた。

Yちゃんはお店の寮に住み込み、実家からは離れているようだった。通信制の高校をまもなく卒業するとも言っていた。ほら、あたし馬鹿だし勉強できないからさ、若い時間を無駄にしたくないだけなの!と豪語してはホスクラに行きモエを下ろしていた。勉強は嫌いだなんて言っていたが、わたしが卒論を書いている間、横でパソコンをじっと覗き込んでいる時間は長かった。時々わたしの持ち込んだ図鑑や資料集もペラペラと捲っていた。
これ英語じゃないじゃん!!何語だよwと笑うYちゃんに、それはドイツ語、どうせわたしも読めないから安心しな、と笑った。

天真爛漫なYちゃんはお客様からも好評で、裏表のない元気なところが可愛いとレビューにも書かれていた。「今日の客、なぜか俵担ぎしてきたんだけどww体重当ててきやがったww」とゲラゲラ笑い、いつも何かを報告しながら玄関のドアを勢いよく開けて帰ってきた。
お互い激務で疲れ切った日は、居酒屋さんに行ってホッケをビールで流し込んだ。
Yちゃんはいつも1番にホッケを注文するので、来店した瞬間に焼き始めてもらえるようになった。お魚好きなの?と聞くと、普段ひとりで魚なんて焼かないし、お寿司のネタくらいしか魚の種類わかんない!ホッケのお寿司なんてないから、焼いたのを食べたいの!!と言った。
それに、こうして1匹のお魚をふたりでつつくのってたのしいじゃん?と続けた。

唐突かもしれないが、クジラの最期がふと脳裏を過ぎった。クジラは死ぬと、まず海鳥や魚たちに啄まれる。あらかた肉を持っていかれると、脂肪が無くなり海底に沈んでいく。そして建築物のようにずっしりと深海に身を置くと、カニや二枚貝、古細菌などに骨の油分を提供する。ホネクイハナムシなどは名前の通り、クジラの骨のみに寄生して花のようにゆらゆらと漂う。鯨骨生物群集の代表的な種である。クジラは死んだ後にも色んな生き物につつかれながら海に命を返していくのだ。そんなことを考えながら、ふたりでホッケをつついた。

居酒屋を出ると、いつも向かいにあるゲイバーに行った。そこでお客さんの愚痴をママに聞いてもらい、お酒がまわると煙草を持ってビルの屋上に向かう。ふたりで大の字に寝っ転がり、星を見ながら酔いを覚ました。あれオリオン座だよって教えると、マジ?たくさんありすぎてわかんない。と目を細めていた。このゆったりとした時間が大好きだった。
いつの間にかビールで流し込むものが、市販薬からホッケに変わっていた。

その後なんやかんやあって2週間で卒論を完成させたわたしは、なんとか大学を卒業した。
また遊びに帰ってくるから、いい子にして待っててね、とバイバイしたけれどその後会うことはできなかった。

Yちゃんと過ごした期間は3ヶ月くらいのもので、本当に彼女が18歳だったのかもわからないくらいあやふやな付き合いだった。本名だって聞かなかったし、Yちゃんというのは源氏名だ。踏み込みすぎるのはこの世界での御法度なので。
けれど、明らかにわたしの人生に影響を与えた1人だよなあ、とホッケを食べる度に思い出す。
わたし、マッコウクジラをチェーンソーで解体したことあるんだよって話したら、魚をつつく箸をとめて「写真見せてよ〜!」と身を乗り出したYちゃんを忘れることができない。

以前の記事で前世について語ったが、やはりわたしは輪廻を信じているのでまたどこかで会えると思っている。数百年後くらいにタイミングがあって、同じ時代に生まれられたらいいなあとぼんやり考えている。次はもっと時間をかけたいね。

湿っぽい内容になってしまったが、読み返してみると「ホッケ」という単語を人生で最多数使った文章なのでは?と気付いて笑ってしまった。Yちゃんは1度、酔って荒野行動をしている時に「あたしが死んだら笑い話にしてくれてもいいからね〜」と言っていたので、存分に使わせてもらうことにした。ありがとう。

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