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パパを探して三千里


今回の記事には暴力的・性的な表現が含まれます。倫理観がひと欠片くらいしかないです。対局よろしくお願い致します。

まず、少し前から流行っている「パパ活」についてわかりやすく説明したいと思う。

パパ活とは、富裕層の男性が気に入った女性にブランド物や現金をプレゼントしたり、食事に連れて行くという恋愛感情を抜いた関係性のことを表す。基本的には年配の男性が容姿の整った若い女性に接触し、お礼という形でお手当金を渡している。キャバ等の夜職で生計を立てている女性を相手に、お客として通う男性がプライベートで会うための手段として選ぶことも少なくない。女性側も「時間を買ってもらっている」と意識しやすい生業ゆえに、繁華街では仲睦まじく手を握り合う親子のような2人組を観察することができる。

しかし、ここ数年でパパ活の本質は大きく変わってしまった。
今は誰でも簡単にパパになれるし、娘になれる。年収1000万を超えていなくてもパパだし、容姿端麗で若くなくても娘になれる。安価な市場が基盤となった援助交際のことを、パパ活と呼ぶようになったからだ。

このパパ活という名の援助交際は、アプリを通していとも容易く行われる。
パディ、ペイターズ、シュガーダディ…このようなマッチングアプリが主に利用されている。
メッセージのやりとりをし、会う時の内容やお手当ての額について話し合いを行うが「大人」という単語が度々行き交う。大人、というのはホテルで性行為をすることを表すのだ。初めの頃はなんのことやら、と思っていたが、おじさんたちが大人大人、大人〜!!と口を揃えて言うので詳しくなってしまった。

体の関係を求めるパパ、お茶やショッピング等の健全な関係を求めるパパ、男性はこの2種類に分かれるが前者が圧倒的に多い。
安価でソープ体験をしたがっているだけなのだ。高級ソープでは90分で数万円と高くつくが、パパ活での相場は2~4万円ほど。本物のお金持ちならば、パパ活アプリなんて偽造女の多い怪しい方法で性欲は発散しない。

女の子の方も年々人口が増えるにつれて質が下がってきている。コロナの影響もあり、元々風俗店で働いていたものの客入りが悪くなってしまいパパ活に走る嬢もいれば、気軽にバイト感覚で春を売る大学生もいる。以前はハイスペックな美人だけが受けられる恩恵として知られていたが、今や大衆店みたいに、無秩序なパネルが並んでいるようだ。

わたしがパパ活アプリに登録したのは、大学生の人生どうでもよくなっていた時期である。
お金が欲しかった。けれどもそれ以上に、パパ、お父さんが欲しかった。

わたしの実の父親は、中学2年生反抗期真っ盛りの頃に家を出ていった。
ママと仲が悪く、いつも喧嘩をしては部屋に引きこもってゲームをしているような父親だったがわたしは大好きだった。わたしのことを、賢い、えらい、さすが俺の子供だ、とちやほやしてくれていたからだ。自然が好きな父は、よくわたしを山に連れて行っては勉強会を開催した。わたしも興味のある事柄ばかりだったので、父のことを先生のように尊敬していた。

一方で、父と弟の仲は険悪だった。
弟は引っ込み思案で、学校での成績もあまり良くなく、色々なことに無関心で無頓着な子供であった。それが気に食わない父は、わたしのことは可愛がるけれど弟のことをいつも馬鹿にしていた。お姉ちゃんと違って出来が悪いな、お前は何も出来ないんだな、と酷い言葉を浴びせている様子を何度も目撃した。
それを見る度に、ごめんね弟くん、わたしが天才すぎるばかりに…と謎な謝り方をしていた。

弟は、いつもわたしに引っ付いてくる可愛い子だった。3つ年下だが、わたしの同級生にも同じ年の差の友人が多かったため遊びに行く時はいつも一緒だった。
レゴブロックよりもシルバニアが好きで、いちご味を好む可愛い子だった。
小学校では気の弱さに付け込まれ、よくいじめられていたようだが優しい彼はやり返すことをしなかった。むしろわたしが飛んでいっていじめっ子達を蹴散らした記憶がある。
弟のことは可愛かったが、やはり姉弟喧嘩はどうしても回避できない。小さい弟をボコボコにシバキ回してはギャン泣きさせまくっていた。

わたしが中学生になったころ、反抗期に突入したこともあり、いつまでもくっついて歩く弟に嫌気が刺し始めた。髪を染め、毎晩友達と遊び歩き、気がつけば不良の道を疾走して弟のことを放ったらかしにしていた。今思うとこの時期が本当に良くなかった。

両親の仲が悪いことがコンプレックスで、家に帰らず友人の家で朝を迎える日々が続いた。わたしは楽しく過ごしていたが、その間、弟は家で何をしていたのだろう。大喧嘩をする父と母に怯え、1人で布団にくるまってじっと耐えていたのではないだろうか。
久しぶりに家に帰ったわたしは、傷だらけで不登校気味になってしまった弟と再会した。

それから少し経ち、父は家族を捨ててどこかに消えてしまった。原因はわかっていた。
多額の借金と女を作っているのを、わたしが母に報告してしまったせいだ。

ある日、父とドライブしていたときに「ママにもうすぐ帰るよってメール打っておいて」と頼まれ、当時スマホを持っていなかったわたしは父の携帯を借りて使っていた。そこで興味本位に送信ボックスを開いてしまったのが間違いだった。「○子ちゃん💕昨日はありがとう😃‼️お土産もっていくからね💕」
…なんだこのハートが散りばめられたメールは??……浮気か??
誰が見てもすぐに分かる、浮気の証拠が携帯の中にはたくさんあった。
これは…ママに相談するべきか?知らぬが仏って言葉もあるし…と悩みに悩んだわたしは、一気に心の体調を崩した。
ついに隠し続けることが難しくなり、耐えきれなくなったわたしはママに報告してしまった。大喧嘩が勃発していたが、教育に悪いのよ!と叫ぶママの言葉を聞いた父は、わかった。とだけ言い残して次の日には部屋を空っぽにして居なくなってしまった。

わたしがチクったせいで、家族が減ってしまった。煙草の匂いが残る父の部屋の前で、わたしは毎晩泣いた。ごめんなさい、ごめんなさい。
お父さんは毎日働いて養ってくれてたのに、ごめんなさい。ママをシングルにしてしまって、ごめんなさい。パートでしか働いていなかったママに、わたしたちを育てられるのかな。そんな不安と申し訳なさで、わたしは更生することに決めた。

わたしが立ち直った後、次は弟が反抗期に突入した。小さい頃からの鬱憤もあったのだろう。その荒れ方は凄まじかった。
ある日、弟が塾をサボり、塾代を支払わずに使い込んでいたことが発覚した。これにはママもブチ切れ、なんと父を召喚したのであった。
あなたも父親なんだから、この子をなんとかしてよ!!とヒステリック気味に叫ぶママの声が聞こえた。久しぶりに見た父は、少し老け込んで目を血走らせていた。わたしに虫の図鑑を解説してくれていた、優しい父はもういないんだ、と確信した。
怖くなったわたしは部屋に引きこもり、弟と父のバトルを聞き耳を立てて見守ることにした。
どんな罵声を浴びせられるんだろう…とドキドキしていたが、聞こえてきたのは鈍い打撃音と呻き声だった。
1時間ほど、ひどい音が家中に響き、それから父が部屋から出てきた。制裁はした、だから俺は帰る。そう言ってまたどこかへ消えてしまった。慌てて部屋に入ると、そこには血まみれでうずくまっている弟がいた。かわいそうに、鼻血を出して涙を浮かべていた。身体中には出来たばかりのアザや傷が生々しく生まれていた。当時の弟は柔道部で、父と張り合える体格をしていたはずだ。それなのに弟は、やっぱりやり返すことをしなかった。優しい子なんだよ、こんなに優しい子に、どうして手をあげることしか出来ないんだろう。そもそもこんな反抗期になってしまったのは誰のせいなの…?そう思い父への尊敬の念は完全に消え失せた。

その日から、わたしの中からお父さんは居なくなった。それと同時に、昔の美化された記憶の中のお父さんを、探し求める生活がはじまった。

パパ活の存在を知った時、これだ!!と思った。理想的なパパに会ってみたい。誰も殴らなくて、知的で、やさしくて、娘のように可愛がってくれるパパ。心の拠り所にできるパパ。そんな人を追い求めた。
しかし現実は甘くなかった。
何人か会ってみたが、みんな下心丸出しのただのおじさんだった。お金あげるから、ホテルだめ?って…。そんなこと、パパは言わない。
わたしはわたしを可愛がってほしいだけ。お金なんて二の次だ、愛はお金で買うものなの?と悲しい思いをしてはおじさんたちに罵声を浴びせ、一刀両断していった。

大学四年生の頃、パパ探しを諦めてラウンジで働いていた。やさしいお客様たちに囲まれ、段々と心が癒えていくのを感じた。その中の1人のお客様が、わたしのことをとても贔屓にしてくれた。彼は地元の人で、父と年齢も近いジェントルなおじさんだった。大学卒業と同時にわたしは都内へ移ったが、その後も連絡をくれては度々会いに来てくれた。

お仕事は順調?人間関係とか辛いことはない?
…成績しか聞いてこなかった父が絶対に言わなかったであろう言葉。
生活費足りてる?キツかったら教えてね。
…借金を残して消えた父が絶対に言わなかったであろう言葉。
ごはんたくさん食べてね!一緒にお酒飲むと美味しいなあ。
…家族団欒の食事を1度もしなかった、わたしが成人する前に出ていった父が絶対に言わなかったであろう言葉。

この人だ、この人がわたしの理想のパパなんだ!そう思い、歓喜した。
わざわざ飛行機で会いに来てくれる、定期的に連絡をくれる、それからなんたって、とってもやさしい。お金なんてくれなくていいから、ずっとわたしに関わり続けてほしい。本気でそう思った。
しかしその関係が崩れたのは、6回目の訪問の時であった。

今日も美味しい食事をありがとう、また連絡ちょうだいね!と言って解散しようとした時、腕を掴まれて驚いた。どうしたの?と言うと、彼は「いや、ね、僕たちそろそろさ…次のステップに進んでもいいと思わない…?」とありえない事を言い始めたのだ。
うん…?と困惑していると、そのままホテル街へとずんずん歩き始めた。
…こいつはパパなんかじゃない!!わたしのパパを…返せよ!!!とブチ切れたわたしは、手を離せええええ警察呼ぶぞォォオ!!!と大声で叫び、ビビって手を離した瞬間に走り出してタクシーに飛び乗った。
2回目のパパ喪失、無念。

こういった経験から、やっぱりパパなんて存在しないんだなあと学んだ。
パパ活はやっぱり、援助交際だ。
中にはやさしい人もいるけれど、もうなんかリスキーすぎる。可愛い娘を演じるのも疲れた。だって求めてるのは娘じゃなくて、風俗嬢なんでしょう。誰もわたしになんか興味が無い。人間としてのわたしじゃなくて、結局はわたしの身体目当てなんだ。もういいや、って、それでパパ活を引退した。

それでも、やっぱり、どうしても心の中ではパパを探してしまっている自分がいる。
おとうさん、会いたいよ。
わたしに色んなことを教えてくれた、やさしいおとうさん。ガンプラを一緒に夜通し作ったおとうさん。休みの日は遠くへドライブに連れて行ってくれたおとうさん。
わたし、ずっとさみしいよ、一緒にお酒を飲みたかったよ、おとうさん。大きくなったら晩酌一緒にしようねって約束したよね。

いつか叶うのかな、お父さんが期待していたような、頭が良くてかっこいい生物学者さんにはなれなかったけど、それでもわたしがんばって生きてるよ。わたしがまだ生きているの知ってる?生きてるんだよ。

センチメンタルになってボロ泣きしながら文字を打ちました。変な話でごめんなさい。
次回はわたしの最強のママの話を書きたいな。読んでくれてありがとう。

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