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ハナミズキという曲を解釈したい

※これは一個人の解釈なので悪しからずご容赦を。

一青窈さんのハナミズキという歌を初めて聞いたのは高校生の時。
儚げなメロディと意味深な歌詞に惹かれて、その曲はすぐに私のカラオケの十八番となった。
当時の私は歌詞の解釈を考えるのも好きで、当然ハナミズキについても考えたことがある。
しかし歌詞が詩的で抽象性も高いためか、いまいちストーリーとして繋がらない。
果てない夢が終わることを願う傍らで、誰かの幸せを願う?
一緒に渡るにはきっと船が沈むから先に行け?
明るい未来を語っているように聞こえるのに、言葉の端々に感じるそこはかとない陰鬱さ。
考えれば考えるほどドツボにハマって、大人になってからもふとした時に解釈を披露しているサイトを見ては、はてそうだろうかと頭をひねったものだ。

恋人を思う歌、母が子を思う歌、様々な解釈がある中で唯一しっくりきたものがある。
それが「不倫相手との間にできた子供を堕胎する歌」という解釈だ。
詳細は私がだらだら述べるより、こちらの方が分かりやすく述べてくれているので、気になる人は読んで欲しい。

ところで、去年の今頃に私は妊娠が判明した。
不妊治療の末、ようやく目にした陽性反応だ。
ほっと安堵し歓喜した反面、ほんの一瞬だけ頭を過った不安がある。
「もしもこの子が、生きるのに非常に困難な要素を持っていたらどうしよう。
もしそうであった場合、この子を諦める意志を固めるリミット。それは夏だ」
そんな残酷なことを考えてしまったのである。

結局私はすぐに「何があってもこの子を産む」と決意した。
だからそのリミットは裏を返して「この子が仮に早く生まれても、蘇生のための医療行為が受けられる希望のボーダーライン(※)」に変わる。
そして漠然と意識し始めた。
夏、まずは夏を乗り越えるのだ……と。
(※中絶手術は21週6日目まで。早産児の救命措置は通常22週以降から)

そして、今日。久しぶりに音楽番組で一青窈さんが歌うハナミズキを聞いて、私は鳥肌が立った。
初めて聞いた時からずっと不思議に思っていた歌詞。
「空を押し上げて 手を伸ばす君 5月のこと」
「夏は暑すぎて 僕から気持ちは重すぎて」
空を押し上げて手を伸ばしたという部分を命の芽吹いた瞬間と捉えるなら、船が沈むのを防ぐため一人先に行かせたことを命の終わりと捉えるなら。
この二つが、妊娠判明から堕胎期限までと一致するのはどうしてだろう?
不倫が絡むかどうかはさておき、やはりこの歌は本当に母と堕胎された子の目線で語られた曲なのではないか。
この頃に妊娠した人間だからこそ感じる違和感が、今あらためて堕胎説を推す根拠として心の内に湧き上がってきた。

一応、この曲に関しては一青窈さんから”正解”が提示されている。

ただし、その中で彼女は「それぞれの受け止め方でいい」とも言っている。
その言葉の中にある”真実”は一体何なのだろう。

だらだらと書いてみたが、それでもやっぱり私はこの曲が好きだ。
一青窈さんの思いが本当だとしても、別の誰かが考えた解釈が本当だとしても、この歌に誰かを思う愛情がたくさん込められていることは変わりない。
仮に堕胎説を採ったとしても、だ。

今時分、道ばたに咲く色とりどりのハナミズキ。
見上げる人の数だけ見え方があるように、この曲もまた万華鏡のごとく見る人によって様相を変えながら愛されていくのだろう。

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