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書くことは楽しいけど辛い、辛いけど楽しいという矛盾

中学生の頃、私の一生を左右する恩師に出会った。
「私のことはヘンリエッタと呼べ!」と豪語するその不思議な教師は、作文指導が得意な国語教師。
この恩師のお陰で私は書くことの楽しさを知った。
彼女に出会わなければ今の私は絶対にない。

元々アニメや漫画が好きだったから二次創作に嵌まった。
最初は読み専だったのが次第に書き手に変わっていって、当時流行だったホームページを作成して細々と作品を公開する日々を送ることになる。
後にマクロが使えるようになったのは、この頃培ったHTMLソースを読む能力のお陰にほかならない。
隠しページを探すのってとても楽しかったよね。

社会人になってからは職場と家を往復する日々が始まった。
「何か書きたい」が口癖になって、仕事の増加と共に自分の作品を書く気力は減っていく。
それでも「出しても読んで貰えるか分からない通知」を毎日職場のワードで作ることで、どうにか書きたい欲は満たされていた。
自分の中で美しくない日本語と判断した通知は片っ端から修正していったので、上司に小言を言われたのも今では良い思い出だ。(もちろん無視した。)

そして今、縁あって文章を書く仕事をすることになった。
自分の想像した世界を文字に落とし込み、物語として機能するようにする仕事。
とでも表現するのが良いだろうか。
この仕事に就く前は「自分の好きなように物語を書くことが仕事になるなんていいなぁ」と思っていた。
現実は違う。
物語の展開が相応しくないと他者から判断されればリライトを食らう。
私の中の主人公はこう言ってるからこう書きましたと主張しても、編集者にそうじゃないと言われれば、広げた風呂敷をすごすごと畳まざるを得ない。
もちろん編集者は悪くなくて、流行やパターンを知り尽くしている彼らの意図するところに最初から落とし込めない私が悪いだけだ。
(それは分かっているけれど、それが出来たら苦労はしないんだよね……。)

ここでタイトル回収である。
書くことは楽しいけど辛い、辛いけど楽しいという矛盾が私の中にずっとある。
初稿を書いている間は楽しいけれど、リライトを食らい続けると最早どこを目指して何を書いていたのか分からなくなるので辛い。
好きなように物語が書けると思っていた世界は意外にもそうではないと、この世界に飛び込んでから知った。
頭に浮かんだ文字がそのまままるっと本になってしまうような天才なら辛いことはないかもしれないが、きっとそれはほんの一握り。
凡人の私は辛いなぁ、分からんなぁ、これ面白いのかぁ、とぼやきながら今日も指を動かすしかない。

それでもやっぱり書くことは楽しい。
だって「リライトに飽きたから、久しぶりに息抜きでnoteでも書こう!」と書くことの息抜きに書くことを選んでしまうのだから。
上手いか下手かはさておいて、やっぱり私は書くことが好きなのだ。

そんな山も落ちも起承転結もない散文を、大好きな華流ドラマの主題歌をBGMに書いている。
誰にも添削されない文章って、楽しいなぁ…………ということで仕事に戻ります。

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