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誕生日と命日が近いと色々物を考える

母が死んだのはゴールデンウィークが明けてすぐの五月某日。その四日後に彼女の誕生日が来る。
今までは「お母さんお誕生日おめでとう」と言っていた五月が、ある時を境に母を思い出して泣く五月になってしまった。
だから母が死んでからというもの、ゴールデンウィークという本来ワクワクするはずの期間を、楽しい気持ちで迎えられたことはほぼない。なんなら体調も悪い。
他にも色々あったので五月は嫌いだ。

母が死んだ翌年は、それでも何人か母のことを忍び私に連絡をくれた。けれど、数年経った今はもう何もない。
母の親友を名乗っていて、私のことを気に掛けていてくれた人でさえ、もう何年も音信不通である。
きっとそれぞれがそれぞれの人生を送っていて、母のことなんて身内以外は忘れてしまっているのだろう。いや、ときどきは思い出してくれていても、私にまで気は回らない。ただそれだけ。
時間の流れから一人取り残されたようで寂しい。けれど、それでいいのだ。
人はいつまでも他人の死を引き摺って生きることは出来ない。母の友人も、そしてきっと私自身も。

もしも自分が死んだ時、誕生日と命日どちらに己のことを思い出して欲しいだろう。
何年も前から、この時期になるとそんなことを考える。
あの人が死んで悲しいわと死に顔を思い出しながら嘆かれるより、あの人の誕生日だわと笑顔と共に思い出して貰える方がまだましだと私は考えるのだけれど、みんなはどうなのだろう?
少なくとも母は後者を選ぶのだろうな。見栄っ張りだったあの人が寂しい姿を記憶の中に留めていてめていて欲しいなんて思うわけがないのだから。

そんなことを考えながら、義母宛てに毎年送っている母の日ギフトの発送完了通知を眺めている。
結婚当初は本当に嫌で嫌で仕方なかったこのイベントを今では心穏やかに迎えられているのは、心優しい義母のお陰にほかならない。
旦那さんから「今年はpwccaにもやろうか?」と言われたけれど、うちの赤子はまだ母の日が何か分かっていないし、やっぱり私の中で母の命日・誕生日を消化できていない思いの方が強いので、赤子が大きくなってからで良いよと誤魔化した。
果たしていつ乗り越えるのだろう。寝ぼけて泣き声を上げた赤子の姿を見ながらそんなことを思う午後である。

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