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私の中の、小さなあの子

私の中には、いつも、小さな女の子がいた。
泣き虫で、いじっぱりで、気分屋で、ちょっとズルいところもあって。
自分が優位だと感じると、人にいじわるをすることもある。
多分、大人になった今の私とは、正反対と言ってもいい性格の女の子。
私はいつしか、この子の存在を、心の奥へ、奥へと追いやっていた。

辛いこと、悲しいことがあったら、一番に、えんえん、わんわん、声をあげていて泣いていた女の子は、いつしかぎゅっと唇を噛み締め、肩を震わせながら「泣いてはいけない」と自分に言い聞かせるようになった。

泣くのは子ども、弱者がすること。
泣いてもなにも解決しない。
泣くな。考えろ。自分で道を切り開け。

いつしか、そんな女の子がいたことすら、私は忘れかけていた。

幼い頃、初めてお友達を家へよんで、お誕生日会を開いた。幼稚園の年長さんくらいだっただろうか。憧れのお誕生日会。父がチューリップ唐揚げを作ってくれた記憶があるので、おそらく土日だったのだろう。そして、お誕生日会の最中、気分を害した私は、近所の男の子に「もう帰ってちょうだい!」と泣きながら叫んだ。おそらく、原因は本当に些細なことだったのだと思う。その子の言動の、何かが気に障ったのだろう。そして、母に叱られた。

「せっかくきてくれたのに、お友達にそんなことを言うんじゃありません」

おそらく息子が同じことをしても、私も同じセリフを言っただろう。

小さい頃の私は、そんな風に、自分の感情をよく表に出していた。兄と喧嘩しては泣き、父や母に叱られては泣き、思い通りにならないことがあれば泣き。妹だったし、女の子だったから、泣くと周りが優しくなったり、ひるんだりすることを分かった上で、策略的に使っていたこともあったかもしれない。

父は優しい人だった。でも、時折「家長」として、私や兄に厳しく当たることがあった。怒鳴られたり、はたかれたりすることもあった。
兄は鼻血が出るくらい、ひっぱたかれたことが、過去に一度だけあった。

私が中・高校生の血気盛んだった頃は、父と、時折衝突した。私も相当生意気だった自覚はある😓かっとした父に胸ぐらをつかまれ、「殴るなら殴りなさいよ!」と啖呵をきったことも、おそらく一度や二度ではなかった。その度に、慌てて母が仲裁に入っていた。

そして、そんなことが繰り返されるたびに、私は部屋で泣きじゃくった。結局、「父親」という家庭の中では抗えない権力(と、当時は思っていた)の元で、泣き寝入りをするしかなかった自分が、悔しくて情けなかった。当時の父は体も大きく、腕力でも体力でも勝ち目はなかった。

こんな風に上から押さえつけられるのはおかしい。
どうして私の話を理解してくれないのか。

どうにも消化できない想いを、パジャマにぶつけた。
泣きながらハサミで、ボロボロになるまで切り刻んだ。

・・・こんなことを書くと、父のことを、酷い人間のように感じる方もいるかもしれないが、断じてそうではない。
当時はそもそも、親が子を叩いたり、悪いことをすれば部屋に閉じ込めたり、というのは珍しいことではなかった。

これは私が親になってから感じたことだが、父は「家長として子供にはこう接しなければならない」という思いで、必死にその役を演じてくれていたのだと思う。私をはたいた手のひらは、きっと私の頭以上に痛かっただろう。ただし、私と同じで、父は瞬間湯沸かし器のような性格だったので、私たち父娘が衝突すると、歯止めがきかなかった。元来、穏やかな性格ゆえに、一度火がついたら、尚更だったのだろう。

この頃も、私の中の小さな女の子は、まだ、時折顔を出していた。
理不尽なことに対して大声で泣き喚き、感情を爆発させ、そのまま泣き疲れて眠った。

女の子の存在が影を潜めたのは、大学生の頃からだろうか。大学3年生になった私は、サークルの代表になった。20名もいない小さなサークルだったが、スタッフ間での意見の食い違いや、うまくいかない人間関係に、どうしたもんかと頭を悩ませていた。代表という立場上、いつもみんなを盛り上げ、引っ張らないといけない、と思っていた。幸い、気心の知れた友人が同じサークルにはいたので、悶々とした思いを、常に彼女と共有することができたのは、とても大きかったと思う。

厳しい就職氷河期の末、なんとか採用してくれる会社を見つけ、就職した。働けるだけありがたかったし、初めて手にする自分の給料が嬉しかった。残業代が出なくても、ボーナスがスズメの涙でも、とにかく一生懸命働いた。毎日忙しくて、小さな女の子の存在など、忘れかけていた。

しかし、一度だけ、あの子が顔を出したことがあった。

当時、社内で新システムを導入する部署に配属された私は、病欠の先輩のピンチヒッターを引き受けることになり、役員の前で新システムのデモンストレーションをすることになったのだ。しかも、それが言い渡されたのが、前日だった。そして、社内システムは未完成で、ボタンを押しても画面展開がなかったりと、まぁ悲惨な状況だった。真面目な私は、内心ビビりながらも、上司と一緒に、一生懸命デモの練習をしていた。しかし、うまくいかなかった。

私は泣きながら、会社のトイレに駆け込んだ。

とにかく泣き止まなければ。
一刻も早く泣き止んで、早く練習に戻らなければ。

そう思えば思うほど、涙は止まらない。また、一方で、こんな思いも湧き上がってきた。

こんなのムリ。できない。
そもそもシステムだって、できていないじゃないか。
ていうか、なんで一番新人の私が、こんな役をやらなければならないわけ?
もう逃げ出したい・・・。

心配した先輩社員がトイレまで迎えにきてくれて、一緒にがんばろう、と励ましてくれた。
時間が差し迫っていたので、ヒックヒックと肩を震わせ、しゃくりあげながら、居室に戻り、デモの練習を続けた。

思い起こせば、どの会社でも、何度か同じような状況があった。
どの場面でも、だいたい一緒で、がんばっているのにうまくいかない現状に、涙が止まらなくなるのだ。

職場で泣くなんて絶対にあってはならない。
恥ずかしい。
早く泣き止まなくちゃ。

そう思えばそう思うほど、涙は止まらなくなった。
私の中の小さな女の子は、いつだって私の心の片隅で、スタンバっていたのだ。

離婚をして、シングルマザーになってから、なおさら女の子を封印しようとする思いは強くなった。

泣いてる場合じゃない。
私がなんとかしなければならない。

そう思えば思うほど、また女の子は心の奥へと追いやられていった。

昨日、ある方に、私の中にいるこの女の子の存在を、指摘された。
久しぶりにスポットライトを浴びた女の子は、全身全霊で叫び出した。

あたし、ずっと、ここにいたんだよ。
あなたが無視しようとしてたけれど、あたしは、ずっと、ここにいたんだってば!

ずっと邪魔者扱いして、抹殺しようとしていた女の子が、必死に声をあげていた。

あぁ。
そうだね。うん、心のどこかでは、わかってた。
あなたがずっと私の中にいることも、あなたを消すことができないことも。
でもあなたがいると、わたしは強くなれないんだよ。
頑張らなきゃいけない時に、その度に、えんえんわんわん、泣いて立ち止まるわけにはいかないんだよ。
今だって、本当はこんな記事を書いている暇なんて、ないんだからね!

でも、今の私には、書かずにはいられなかった。
あの子と私の物語を。

これを書いたからって、何かが変わるわけではないかもしれない。
でも、もうあなたを無視するのはやめようと思う。
仲良く手をとりあって、るんるんとスキップする日はまだ先だろうけれど、あなたがいることは確かな事実だから。
まずはそれを、ここに書き留めようと思う。

亡きものにしようとして、ごめん。
もう、あなたを、無視したりはしないから。
だから、もう泣かないで。








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