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うんえいのちから

地位。

医者の世界は、特に勤務医は歳をとればそれなりの役職を与えられる。
開業をすれば院長だし、出世競争を勝ち抜いてそのポストに収まるなんてことは大学の教授とかくらいのものだろう。

それでもマイナーな科の教授はなり手がいないことも有名で、地方でバリバリ働くイチ勤務医に教授になりませんか?と声がかかることもある。

それくらい日本の医者の役職というのは競争もなく決まっている場合が多い。役職としての機能は多くは運営にあるのだが運営に興味を持っている医師はさらに少ない。おそらくは広大な医学知識の海に漂流しないように、身を立てねばならないために、医学を学ぶことに精一杯に生きてきた人が多いからで、経営や運営といった組織を強く大きくするような行動を学ぶ機会も時間もなかったのだろう。

医学というのは向上させようと思えば一人でもなんとかなる。これは内科に限ってだが。外科系は手術の技術を学ばねばならないのでおそらくは指導を通して他者と関わる時間が必然的に増える。内科も構造的には同じなのだが、膨大な情報量をすべて教えることはできないのでヒントはだすけど基本一人でがんばって!というスタイルになりがち。結果放任主義で個人主義。となると一人で身を立てやすい構造で一人で何とかなるというわけだ。

さて、運営を学ぶ機会がない医師が、役職に就いたら何が起きるか。
特に誰かの助けを得てその地位にたどり着いたものでもないなら、きっと生じる事態は運営の機能を理解しないでただそのポストに居座る住人となるのが関の山である。

こうしたほうがいい、ああした方がいい運営になる、というアイデアは思いついてもそれが実を結ぶことは実に少ない。それは組織が大きければ大きいほど関わる人間も多く、理想を語っても同じ要職に就いた人間たちに同意を得られなければ語る世界には一向に近づかないのだ。相手へのコミュニケーションが円滑に取れている程度のことで相手が協力することはないと言っていい。自分でコントロールできない交渉事を頻回に求められ、交渉下手が露呈し、理想は素敵、だが絵に描いた餅となりうまくいかないことが重なって早々に他人のせいにすることになる。問題は他者ではなく自分のなかにあることを棚に上げてしまう。

理詰めで語るか、密なコミュニケーションをとるか。相手は何を不安に思っているか。引けない条件は何か。守りたいものは。

抽象的な不安は本人も気が付いていないこともあって本能的に回避したいだけかもしれない。それを会話の中で明らかにしていくことができればきっと寄り添うことができる。サポートを申し出ることができる。相手に力があれば理詰めで納得。力がなければよりコミュニケーションの力が要に。

こういう運営をきちんと戦略的にできる医師は少ない。だから簡単に交渉決裂が生まれ結果地域の患者たちが危険にさらされる。地方の総合病院、特に市民病院を見てみてほしい。おそらく特定の科が無かったりするし、○○科は救急制限をしてますだのをホームページに書いているはず。田舎には基幹病院が一つしかない場合は多い。それなのに、例えば患者数の多い消化器内科が例えば救急制限をしたり、入院制限をしたりとほぼほぼ機能していない病院は全国でゴマンとある。これは医局人事で人をださない大学病院に対して交渉が上手くできない理由ももちろんある。しかし、その状況が5年以上続いていたら?大学に頭を下げても5年間医師を派遣してくれなかった事実を度外視して今後も頭を下げ続けるくらいしかアイデアがないのが実際の院長のレベルだ。そうなると今後も新たな医師は現れる可能性が低く、いつまでたってもその地域の特定の科の病気は診療できないことになる。人間は病気になるとき、この病気はやめておこうと思って罹患するわけではないのにその地域では診てくれる医者はいないとなったら、不幸極まりない世界に一変するではないか。

医学知識はもちろん必要だ。しかし、医学知識だけをもって運営などできない。医学知識を蓄積したのちにどのようなスキルが必要なのか、足りないのか、俯瞰してみなければきっと立ち行かなくなる。特に運営の能力が低く結果立ち行かなくなっている組織で働いてきた自分としては、もうそのような組織で働きたいとすら思わないほどに消耗を強いられた。こんな境遇を二度と味わってほしくない。だから警鐘を鳴らしたい。みんな運営を学んでほしい。

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