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自由すぎて不自由

あくまで一個人の意見として見てください。

Twitterを再開して約一週間が経ちました。

最近、他人のツイートやTwitter運営に関して批評意見を言う割合がとても多いなと感じます。

なんで多いのかをひも解くnoteです。

過去にさかのぼって描いてる部分は、すべて僕の予想です。

#自由の種類

発信する内容なんですが、Twitterは大前提として、マナー違反でなければなんでも発信OKな自由な場所です。無法地帯ですな。

その中でもざっくり発信する内容が3つに括られたのでまずそれを紹介します(ぷいん肌感覚調べちなみにぷいんは混合肌です化粧水選びが大変よね)

1、自己表現を発信する人…主にアート的要素が多分に含まれているもの

イラストとか漫画とか、ライティング力がある方、ブロガーさんであれば文章だったりとか、あとは動画で自己を表現して発信していく方ですね。

2、経験談を発信する人…その人だけが経験した貴重な体験談

経験談が実は有益な情報になるという、貴重な発信をする人ですね。そしてココには無益情報も含まれます。分かりやすいので言えば『なう系』ですね。『ランチなう』とか『ダウンタウンなうなう』とか『オナニーなう』(おっと。)どちらにせよ自己完結・自己満足で終わるものです。

3、批評意見を発信する人…ツイートもしくはTwitter運用の意見

そのままですね。『○○な発信は適切じゃない』とか『リプはたくさんしよう』とか…そういったものです。

ざっくりいうとこんな感じかなと思います。他にもリプを主体でする人も多いですがこちらは発信じゃないので省いてマッスル(中山きんに君。は?)

そして僕は3番の発信内容は嫌いです。見てると心がもやもやするのです。なんでもやもやすんのか、10㏄の脳みそで考えたところ2つの理由が急浮上してきました。

1つ目…【他人のツイート←意見】この図式は何も得るものはないし、実生活では何の役にもたたない。ほんでもって意見をするほどその人は良質なツイートをしているのか粗探しをしちゃう自分も嫌だから。

2つ目…意見をしているので一見、思考していそうだけど他人のツイートがないと意見はできないので、他人のツイートを借りているにも関わらず自分で考えたぜ感が癪に障るから。

この2つでした。その意見に共感することはありますがそれまでで、心は全然動かないからなおさら見ていて意味がないなと思います。

この3の発信の比率がやたら多く感じます。TLをスクロールすると5割はこのツイートが流れてる気がします(ぷいん肌感覚調べちなみにぷいんは混合以下略)

じゃあなにゆえこんなに3が増えたのか考えていきます。

#批評意見発信が目立つ理由

これにはざっくり4つの理由がでました。

1 単に人数が増えすぎたから

今や4500万人Twitter利用者がいるそうです。こんだけ多いと、元々「批評をすることが好き」な人も増えるから必然かと。

2 ネタになるから

毎日Twitterをしているとネタ切れするんですよね。だからTLを見ていって、考えが出やすいから、無意識でもネタにしてツイートをしちゃう。ってことです。

3 共感されやすいから

だいたい意見や批評をする的は、話題を呼んでる人や、Twitterの流れに逆らってる人などです。その人たちを標的に正義を掲げて意見をすれば、首がもげるくらい共感されやすく、いいねに繋がるのです。

4 自由すぎる場だから

こぉれが今回一番言いたかった部分です!↓

#自由すぎて不自由

最低限のマナーを守れば自由なTwitter。そう、無法地帯です。

それこそがTwitter理念の【表現の自由】ですからね。

だけどそんな無法地帯、新しく入る人は思うのです。

…何をすればいいんだ。何を発言すればいいんだと。

例えば、初めて入った会社で社長に『マナー違反はダメだけど後はなんでもやっていいよ。売上げ爆上げよろピコ⭐︎』て言われたらow Jesus…神よ…ってなりますよね。そこで困った新入社員は仕事の進め方やルール、社風などを知るためにアドバイスを求めにいくのです。業務をよく知る先輩社員に。

Twitterもそれと同じで、始めてみたものの、何を発言すればええか分からんわあかんどないしよ思ったら、まずはTwitterの先輩社員、つまり先にツイートをしていたTLやらを覗きに行くんですね。

(だから初期のTwitterって何を発信しようか分からんから【○○なう系】のどうでもいい内容が多かったんじゃないかなと予想します)

さっきの例に戻すと、自由にやっていいのに関わらず、方向性が分からない。自由だけども動けない。社風もよう分らんから先輩に目を付けらるのも嫌だ…はみ出しものにはなりとうない。まずは様子見で周りに合わせよっかな…だから自らルールに従いにいく。そう。つまり、

人間自由過ぎると、逆に不自由になるから

自由になるために不自由を求めにいく(ガンギマリの名言でたわ)

『発言したいのに自由すぎてできない!うわぁーん誰か発信するためのハウトゥー本とか指標とか持ってないのー!?』という内なる悲鳴に応えたのが、先人たち、いわゆる、インフルエンサーですね。

#ルールを制定する人とそれに導かれる人

まずはこれをみて欲しいのです(このテーブル=【円卓】)

▶︎たとえの話で…君はこのテーブルに座った時…
ナプキンが目の前にあるが…君はどちら側のナプキンを手に取る?向かって右か? 左か?
▶︎「 普通は…「左」でしょうか」
▶︎フム…それも「正解」だ…だがこの「社会」においては違う。「宇宙」においてもと言い換えていいだろう
▶︎「 ………宇宙??」
▶︎正解は『最初に取った者』に従う…だ。
誰かが最初に右のナプキンを取ったら全員が「右」を取らざるを得ない。
もし左なら全員が左側のナプキンだ。そうせざるを得ない。これが「社会」だ

これは僕の大好きな『ジョジョの奇妙な冒険』より一部引用したものです。

つまり円卓で最初にナプキンを取ったものが、右か左のナプキンを自由に取る権限があり、他は従うしかない。最初にナプキンをとったものが、一番自由な世界。

ナプキンを取るルールを決めることができるのは、最初に取ったものなのです!(ズギャァァァァァン)

Twitterも然り!Twitterのルールというものを決めることができるのは、最初に発言したインフルエンサーなのです!(ズギャァァァァァン※2回目)

皆が発信しやすいように、指標となるアドヴァイス的ツイートを発信したのです!(ズギャァァァァァン※3回目)

これが、自由という名の無法地帯の中にできた、ルールという名の街とでもいいましょうか?ができたのです!(イヤァァァァン※初)

結果的にみんな、住みやすい街に住みだすようになります。

だがしかしBUT、無法地帯滞在者はどんどんはみ出し者として見られていきます。

そして街に住み慣れまくりやがった街の人たちは疑問に思うのです。『あいつら無法地帯でなんか怖くね?とりあえず街の近くから追い出さね?』と!

つまりまとめると、

Twitterでは初期のころ自由な発信ができていたけど、自由すぎるがゆえに発信内容が定まらなかった。
そこでナプキン奪取野郎たちがルールを暗黙的に徐々に(ジョジョの奇妙な冒険だけにねぇ!)定める。
そして、指標がすでにあった方が簡単に始められるため、始める人の大多数がルールを参考に発信する。
すると本来の自由な発信をしていた人に向けて、ルール範囲内じゃないか?と疑問を持ち、ネタ切れや共感ほしさも相まって意見批評をよくツイートする人が増えた。

こういったん流れでルールができてきて、それに共感した人はその街に住みだしたという感じです。

#だけどめっちゃ自由

Twitterは円卓じゃないから他にいくらでもルールは作れちゃいます。

だから本当にマジモンの自由なのです。

だけど先ほど書いたように、一定の不自由がないと人は不安になるからルールを求めるわけです。

だから先人たちはルールを決めたっちゅー話ですよね。ありがてぇよ。

(※分かりやすいようにルールと言ってますが、詳しくいうとおそらく少し違くて、こうした方がいいよ。って言うアドバイスに近いものです最初に言っておくべきこと〜♡)

#みんなほぼ同じだった

もう一度書きますがあくまで一個人の意見として見て下さい。

Twitterのルールはきちんと定まってなくて、空気感というか、暗黙の了解というか、同調圧力というか、曖昧なルールです。

だからルール改定もコロコロあって、それこそさっきの例で言ったらナプキンを最初に取っとる人が例えば、今までは140字ツイートがルール(オススメ)とされていたが

【せや!今日から80字のツイートが絶対流行るで!なぜなら端的な方が明解やからや!これからは80字がわいらのポピュラーカルチャーやでぇ!】

て言ったら間違いなく80字以内のツイートが増える気がギンギンにします。

僕はそういった街の中での同調圧力感というものに疲れていき、Twitterを一時休止していたんかなと今になって思います。

そしてTwitterから離れて再開、気づいたことがありました。

TLの内容がほぼほぼみんなダダかぶり。

自分の言葉で言ってるんだけど、とどのつまり内容は同じ。

ほぼほぼみんな同じルールブックを読んでる人だから、かぶるんですねー。

これは僕が自由を求めた結果、不自由さを取り入れまくったTLになっちまったなと思いました。

あ、TLは東京ディズニーランドの略じゃぁないですよ。タイムラインの略ですよ。え?知ってた?天才かな?

#アンバランスなTL

こうしてアンバランスなTL(東京ディズニーランドじゃないよタイムラインだよ)と化した僕のTwitter。

この一週間TL(東京ディズニーランドじゃないよtimelineだよもう言わないよ)をほとんど見ませんでした。

TLは色んなルール(アドバイス)改定がバンバン行われています。それに対しての意見もバンバン流れています。

さらに、意外に体育会系で押しが強いツイートもあるので、(あぁすればいいのかな?こっちがいいのかな?あぁこの人はこんなすぎょい実績あげてる。これはこのルールに乗っ取れば出来るのかな?)ってね…もうね…

疲れちゃう。だっておじさんなんだもん(おっと?)

だから見なくなって疲弊感が、ストレスが無くなりました。そして今は、発したいことだけ発して後はシャットダウン。即シャットダウン。Twitterなんてヤリステよ(??)

Twitterはアウトプットには最適だけどインプットは最適じゃないです。

例えば今から、ズブの素人が、よっしゃ筋トレするで!と思ったら、何から学んだらいいと思いますか?…筋トレ方法?食事療法?休息方法?すべて大事ですがまず一番に取り組む方法ってわからないことが分からない状態ですよね?インプットするも何も、インプットの作業自体ハードルが高いのです。

入口から出口までを理解しながら一歩一歩進むことが大切なのに140字で区切り区切りみてもなかなかインプットしづらいし、できたとしてもそれが本当に最初にインプットするべき情報かも分らんですよ全く。

であれば本屋さん行って『サルでもわかる筋トレ法』的な本を熟読するなりジムで指導してもらうなりした方がよっぽどええインプットになると思います。

Twitterでインプットできるものをしっかり見極め、他は何もインプットせず最短ルートで道をかけ進んでいく、そんあ初めから取捨選択できる人は天才だと思います。

僕はできず、情報をたくさん浴びて何個か実行してすべて中途半端に終わって結果もそこそこしか出ず気づいたらちんぽじをなおす人になってました。

#お気づきだろうか

だ・け・ど♡(吐き気注意)そんなTwitterも自由なんだからアリなんですよ。

ジョジョの円卓のようにワンルールではないからどうしようが超自由。

自己表現をしても、経験談を発信しても、意見批評を発信しても自由なんだからなんでもいいじゃないって。

そしてここまで読んでくださった皆さんはお気づきだろうか?

なんでかちょっと上から目線でこいつイラっとするなと思う方もいたのではないだろうか?

そう、そんな意見批評ツイートが嫌いと豪語した僕のこのnoteも他人のツイートを見て思った意見批評なのです。

批評って最高だよね!ヒュー☆!☆

だけどまじめな話、批判は嫌いだけど批評は大事だと思うんです(おっと?)

ツイートを見て自分の考えを整理する(おっと?)

そして新たな問題提示をしてみる(おっと?)

それをすることで新たな自分が見えてくるのだから(手のひらくるくるだな)

オウジーザス神よお許しを。

だけど批評というのは共感やネタにしやすいから慣れてしまうとそれしか言えなくなりそうな気もします。それは自由を求めた結果不自由になりかねないことになるので適度に言うことが大切です。

僕は基本的に自己表現と、それを経験した上での発信をすることを心掛けて、Twitterをしていきます。

みんなもTwitterへの向き合い方の参考にもらえると嬉しいです。

ここまで見て頂いてありがとうございました。

読んでくださるだけでもとても嬉しいのです!さらにサポートして頂くと血反吐吐くほどガンガン描く書く速度が増します!もっと血反吐をはかせてくださいお願い致します!