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イラストを描き続けることは別に凄くないし凄さを求めない方が良い。

絵を書き続けるっ
すごくないですからね。

絵を描くっていうのは
ただの趣味ですから。

続けて何がすごいんですか?
っていう話ですわ。

楽しいから書く、
熱中できるから書く。
ただそれだけなんですよ。

ゲームが大好きで、
1日中ゲームしてる人の
何がすごいんですか?
っていう話なんですよ。

確かにゲームをし続けてる人に対して
よくそんなに集中力が続くね!
そこまで熱中できるなんて…
って思うことは確かにあるんだけど。

別にすごくはないですよ?
そういうことです。

こうやって、
 絵を書き続けることがすごい
って持ち上げるとどうなるのか?っていうと

絵を書く自分たちの首を絞めることに
なっちゃうんですよ。
この評価基準っていうのは。

絵を描き続けてる人がすごいってことは、

絵を書き続けられない人は
すごくない、努力不足だよね。


そんな見方になるわけなんですわ。

いやいやそんなこと思ってないし
何言ってんの?と思うかもしれないけど、
凄いがあれば必ず凄くないがないと
おかしいですからね。
無意識で作っちゃてるんですわ。

じゃあ何でただの趣味である絵描きが、
いつの間にこんな評価基準が
でき始めたのかって言うとですね、

絵を書き続けてる人が
褒めてほしいからなんですよね。

めっちゃ書いてるのに!
誰も何も反応してくれん!
何の成果も実ってない!
せめて褒めて!
かき続けてる私を見て!
自分を認めてほしい!
凄いと言って!

そういう思いが凝縮して、
【じゃぁまぁ…描き続けてるだけで凄いということにしよか!】て

勝手に内輪で決めちゃった感じです。

絵を書き続けることによって、
何かしら得られる利益を期待してるのに
まだ得られていないから
その得られていない利益を
すごいという評価基準に変換して
保ってる。

そんな感じです。

だけどボクも絵を書き続けるってのは
頑張ってると思います。

仕事をしながら、
家事をしながら、
睡眠時間削って、
合間に絵を描いてる。

すごいことっちゃすごいことなのですよ。
だけどベースに戻って欲しいの。

絵を描くって
ただの楽しい趣味だから。
すごくもないし偉くないのね。

ただ描いて楽しめば、
それでオールオッケーなのよ。

それにすごいと思っている時点で、
描くことが苦痛の可能性、めっちゃ高いんですよ。

すごいすごくないとかの基準を持ち出すと
ずーっと、シンドイんですよ。

ちょっち描くの休もうとしたら…
(あ、やべ。休んでる場合じゃない…
描かなきゃ!すごくない奴になっちまう!)
ってな感じで即罪悪感ですよ。

で、しんどくても描き続けちゃう。
休めない。

だって凄くないから。

もう描き続けることでしか
自分を救えなくなるっちゅ~
ラッドレースの出来上がりですわ。

だから、すごいすごくないで
考えないでいいって話ですわ。

もう一度言うけど
ただの楽しい絵描きよ?

書き続けるとしんどい時は、
モチベーションの拠り所が
その評価基準に傾いてることが
あるかもしれんのでね、
気を付けてよ~っていうことですわ。 

で、なんで楽しい絵が
凄い絵に変わっていったのかってことなんですが、
これは完全に仮説だけど

陰キャが陽キャに勝つため
だと思うんですよ。

ちっちゃい頃はさ、
やっぱり陽キャに注目が集まるわけです。
足が速い陽キャ、
話しの上手い陽キャ、
気が利く陽キャ、
楽器ができる陽キャ、
人気者になれるわけですよ。
モテるわけですよ。

残忍だ。子供の世界は。

そういう陽キャたちを見て、
陰キャは鬱々としているんですわ。

(自分たちもあんな人気者になりたい!
だけど何のスキルもない…くそッッ!
くそ~陽キャめ~グヌヌ~…!)

ボクも陰キャだったからね、
分かるわけですよ。

(何か武器はないのか…?
!…そうだ…!絵が描けるぞ!)

(これで女子と話せるじゃないか!
人気者になれるじゃないか!)

だけど、
注目されないんですよ。

何でかって言うと、
見せる機会もPR力も無いからですわ。

「自分!絵ぇ書いてます!」
なんて言えないんですよ。

(くそぅ…これじゃ陽キャに
何も太刀打ちできない…
差が開く一方だ!(何の?))

じゃあどうすればいいのか?

っていうことで、
陰キャ同士で絵を描くこと自体すごい認定会】
を開催しちゃうわけですね。

これは全国各地でやってます。
知らんけど、絶対全国各地でやってます。

これがひと昔前までは
学校内で出来上がってましたが、
いまやSNSがありますからね。

SNSで
すごい認定会が開催されまくるんですよ。

陽キャが観てくれることを信じて…ね…。
(書いててツラくなってきた)

でこのすごい認定会、
結果的にこの認定会が
開催されればされるほど
自分の首を絞めていくわけなんですね。

「絵を書き続けることはすごいんだ!
絵はすごいんだ!
なんかすごいんだぞー!ワー!」

と、仲間内でわーわー声高らかに言うと
外野の人たちは

(なんか…絵描きって怖くね?)

ってなるわけですね。

陰キャの想いがねじり鉢巻きのように
異形になっていき、変な形に成って
陽キャたちに届くわけですよ。

陽キャは思うわけですよ
(ま、まぁ、絵を描く人たちは熱量があって確かに何かすごいっちゃすごいなぁーと思うんだけども、な、なんか気難しいっていうか?なんか、ね?ちょっと、近寄りがたいというか?みたいな?)

そういう空気感が出ちゃうんですわ。

さらに、今からイラストを頑張って描きたーい!
って希少価値バカ高陽キャがいたとしても、
めちゃくちゃ輪に入りにくいんですよ。

描き続け凄い勢「絵を書くということは…あまりに壮大で…そうだな…高尚な趣味であるから、新参者はそう安々と入れると思わない方がイイですよ?覚悟がないと。よろしいか?」

なんて空気感が出てるから。

新参者の陽キャ絵描きが入りにくくなるという
構造も出来上がっちゃうわけなんですね。

そういう発信をすることによって
どんどん褒めてほしい人達との
差が開くわけですよ。
注目されたいのにされない。
こんなしんどいことはありますか?

だから、
絵を書き続けていることはすごいとかすごくないとか
そういう評価基準は一切考えない方がよくて。

いや、楽しく描けよって話。

だけどまぁ、絵を書き続けてる人たちは
楽しいことに時間を費やす努力をしているのよ。

頑張ってるんですよね。
結果が出てようが出てなかろうが、
楽しむ時間を作る努力をしていることは確かなのね。

努力をしてる自分、
それだけでいいじゃないのよ。

すごいすごくないとか
の基準を持ち込むと
シンドイよ~ということ。

なんだか今日は
いろんな絵描きを敵に回しそうな
noteを綴っちゃったけど、
自分自身もそういう評価基準になっちゃうことは
多々あるので、今後楽しむためについ書いちゃった。

怒っちゃったら、
その怒りの拳は
日本の政治にぶつけてくださいね。

ありがとうございました。

ぷいん

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