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義務教育の敗北「みんなちがって、みんないい」

『私と小鳥と鈴と』

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

(『私と小鳥と鈴と』金子みすゞ より引用)

聞いたことのない人は居ないだろう。有名な詩である。
だが、有名になりすぎた。

100年以上の時を超え愛されたこの名作にケチをつける身分にはないので、「私目線でしかない」とか、そういうことは今回は言わない。
最も問題なのは、この詩の感性が日本人に恐ろしいほど根強く普及していることである。
勿論、そこのあなたにも。

YouTubeのコメント欄、好き?

YouTubeを開いて、適当な動画のコメント欄を見てみよう。
そこではなんらかのケンカが繰り広げられている。
2つか3つほどの返信の後に、誰かが仲裁に入って、こう言っているはずだ。
「個人の意見だから」
この言葉を区切りにケンカは終わり、同意や、平和なコメントが続くのだ。

誰も違和感を感じないのだろうか?
「個人の意見だから」という言い訳だけで、信念の衝突が搔き消えてしまっている状態に、誰も違和感を感じないのだろうか?

これこそが「みんなちがって、みんないい」精神が日本人に染みついている証拠である。幼稚園、小学校ではこのプロパガンダがしつこく壁に貼ってあったような記憶がある。幼少期から人々に刻まれた精神であるから、違和感を感じることもないのだ。

義務教育の敗北

信念の衝突という言葉が戦争賛美ではないことを留意しておきたい。
戦争は各々の国の信念の衝突であるかもしれない。
「みんなちがって、みんないい」精神が認められるようになったのも、戦後に全体主義の考えを一転させるスローガンとしての役割があっただろうし、その点は素晴らしい。義務教育に取り入れることにも納得ができる。

しかし、私は戦って欲しいわけではなく、意見の擦り合わせを行って欲しいのだ。
物事には現時点での解答がある。
例えば法律が丁度それに当てはまる。ここには意見の擦り合わせの役割を持つ裁判が存在しており、それを通して現時点での解答を導き出す。

素晴らしい。ああ、なんて美しい人間の営みだろう。
なんで、皆やらないのだろう。なんで、スリスリしたがらないのだろう。
それは、逃げではないのか。それは、諦めではないのか。

義務教育の生みだした「みんなちがって、みんないい」の悪魔は多くの人に取り憑き、逃げ道となり、思考や議論の放棄を促してしまっている。
結果、相手の気持ちを理解しないまま放置してしまう人間が増え、相互理解は何十年経っても達成されず、争いを再び起こすことになる。
そうなってしまえば、戦争回避を目標としたこの精神は元も子もない。本末転倒だ。

だから、義務教育の敗北。

これは論理の飛躍ではなく、現実に起こっていること、これから起こるであろうことである。

詭弁信者の皆さん、息してる~?

そもそも「個人の意見だから」なんてものは筋が通っていない。詭弁だ。

2秒考えてみよう。
「個人の意見だから」というのも個人の意見なのではないだろうか?

なんてことはない。初めから矛盾した論理だった。だから違和感があったのである。あまりにもくだらない。

逆に、「ただ一つの答えがある」とすれば筋が通る。
「物事には現時点での解答がある」というのは、これに基づいた話である。

「現時点での」という含みを持たせているのは、二つ意味がある。
一つ目の意味は、将来、革新的な発想が出現し、パラダイムシフトが起こる可能性があるからである。
もう一つの意味は後に述べていく。

最近のACのCM、好き?

最近のACジャパンのCMに「聞こえてきたのは男性の声ですか?女性の声ですか?」という心底腹の立つものがある。

意図は明確で(というか最後に出てくる)、「無意識の偏見に気付こう」ということらしいが、軽々しく偏見というワードを使うのも中々変だ。

このCMを見て聞こえてきた声とはその人の人生経験に基づいたものだろう。無意識の偏見というよりは、人間の正しい認知能力だ。
そろそろあの言葉を言おう。
「物事には現時点での解答がある」
このCMを見てあなたが自分の感性を問い直す必要はない。それで、正しいのだから。

……おや、本当にそうだろうか?

「みんなちがって、みんないい」精神への対抗として挙げた「物事には現時点での解答がある」理論に綻びが生じ始めた。「現時点での解答」に個人の意見が強く反映されていることがわかってしまった。

ひょっとするとこういった思慮を巡らせている時点でACジャパンの思う壺なのかもしれない。そうだったら、ACジャパン天晴である。

スリスリしたいだけなんだ

「現時点での解答」に個人の意見が強く反映されているからといって、この理論は破綻しない。「現時点での解答」の本質は擦り合わせにあるからだ。

ACジャパンのCMが伝えたかったことはここにあるのかもしれない。無意識の偏見という強い言葉が邪魔になっているが、相互理解の一歩を提示したかったのかもしれない。

そうしてみるならば、個人レベルの「現時点での解答」を他者と擦り合わせることで、グレードの高い新たな「現時点での解答」を生み出すことができる構図が完成する。

これこそが二つ目の理由、解答は進化し続けるため、あくまで現時点にすぎないものであるから、である。

清濁併せ吞め!

進化というワードが出たため、ここにも触れる必要がある。所謂ダーウィニズムである。

ダーウィニズムは進化という概念で優越を定めてしまい、争いを生むきっかけになってしまった。現代では批判されるべき内容である。

いや、適者生存の考えこそが問題なのである。強いものに弱いものが淘汰される、この考えに問題があると言っていい。

「現時点での解答」理論に適者生存の考えは無い。あるのは多岐に渡る優越である。お互いの棘を削り合って、削り合って、削り合って、お互いの穴を埋め合って、埋め合って、埋め合って、どんどん完全な球体になっていく。そんなイメージだ。

これが私の掲げる進化である。
繰り返すが、「現時点での解答」理論に他者を排斥する意図は一切無く、協力して解答を作り出そうというのが本質なのだ。

曲線時間の提案

もう一つ触れておきたいことがある。それが曲線時間だ。

直線時間と円環時間を知っているだろうか。知らないなら、これを見ている便利な端末で調べてほしい。

さて、現在、直線時間にも円環時間にも欠点がある状況なのだが、一度これを擦り合わせてみよう。
私たちが三次元に存在する以上は、時間は前に進み続ける。しかし、時代の繰り返しを感じる場面もある。
前に進むけれど、繰り返す、そんな形があるだろうか。
そう、曲線だ。

曲線時間のイメージ

前に進んでいくと、同じ形の波に直面することがある。
我々は何度も繰り返し波に直面して、次第に波の乗り方を覚えるだろう。

世界レベルで言えば、COVID-19はいい例だ。過去のパンデミックの経験を活かし、ウイルスの拡大を抑えることに成功した。再びパンデミックが起こった際には、今回の経験が生かされるだろう。

これは、過去と未来の擦り合わせである。
擦り合わせは現代の人同士だけでなく、過去や未来の人の間でも行われる。
ただし、擦り合わせと言うには厳しい、一方通行の要素があるのが現実だ。

未来倫理でスリスリ

私たちは未来の他者に配慮する「未来倫理」を心に刻まなければいけない。(未来倫理についても調べてみてほしい)
現代の人同士の擦り合わせはできるが、過去や未来の人”同士”の擦り合わせは不可能だからだ。

もはやここでは対話の次元を超えてしまうだろう。過去の解答と擦り合わせを行い、未来に擦り合わせができるような配慮をしておくのはあまりにも難しい。

申し訳ないが、ここまでくると私の擦り合わせが足りない思考では限界がある。私の穴だらけの「現時点での解答」を、この類のことを仕事にしているおじさんおばさんに投げかけておきたい。

最後にスリスリ

以上が、私の「現時点での解答」である。
まとめれば、「みんなちがって、みんないい」で終わらせず、各々の「現時点での解答」を擦り合わせよう、ということだ。

途中から抽象的な内容が続き、私の言葉が足らず伝わらなかった部分もあるかもしれない。そこは私が擦り合わせなければならない点である。
皆さんの「現時点での解答」もぜひ聞いてみたい。
さあ、一緒にスリスリしよう。


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