「おかねのけいさんはできません」障碍者男性が自殺した事件で自治会に噛みついてる人たちは何もわかっていない

1. 事件の概要

次の記事が詳しい。https://www.sankei.com/premium/news/200813/prm2008130004-n3.html
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20200731-00191058/

ざっとまとめると次の通り。

1. 自治会「12月の集まりでくじ引きにより次期班長を決定する。後から変更はできない。」
2. 知的と精神の障害が理由で、もし班長に選ばれたとしても務められない男性。
3. 今期班長に相談するも「特別扱いはできない」と突っぱねられる。
4. 12月の集まりに地域の社会福祉協議会の担当者が同席してくれることに。
5. 11月になると、担当者、自治会長、今期班長、男性の4人の場が設けられた
6. 4人の場にて、次の写真の文章を書かされる。

画像1

自治会側は「当面班長をしなくてよい」とした上で、12月の集まりへの参加を求め、さらにこの文章を集まりで見せる旨を伝えた。
7. 男性は『根掘り葉掘り書かされた』『さらし者にされる』と落ち込み、翌日自殺。
8. 遺族は自治会長、班長、自治会を相手取り訴訟。
9. この事件がネット記事で報道されると「自治会が悪い!」「今期班長最低!」「不寛容!」と大炎上

2. 対案を出せる者だけが会長・班長を叩け

遺族が訴訟を起こしたことは、僕には責められない。くだらねぇおままごとに付き合わされるために家族が殺されることの憤りは、他人からは計り知れないからだ。強要された自治会など、「ネトウヨの馴れ合い」に他ならない。

だが、ネットで記事を読んだだけの奴らが感情的になって自治会を叩いているのを見ていると、「そういうとこなんだよなぁ」という気持ちになる。

彼らは叩くだけ叩いて、「じゃあどうすればよかったのか」については全くと言っていいほど考えない。

会長や班長がどのような立場に置かれていたのか、最悪の場合をを想定し、
その場合の打開策を提示できる奴だけが、会長や班長を叩けってんだ。

自治会の加入者の大多数が不寛容なネトウヨで、弱者に理解を示す態度を全く見せないようならどうだろう。
会長や班長たるもの、その他のメンバーを納得させる解決策を模索するのは当然のことだ。メンバーにネトウヨがたくさんいれば、会長や班長は(ある程度)ネトウヨにならざるを得ないのだ

もちろん、「メンバーにネトウヨがいたら、そいつらを納得させるか咎めるのがリーダーの仕事」という意見もあるだろう。
しかしだ。その「仕事」がどれだけ大変なことか、本当に誰でもできるようなことなのかを考えたことはあるだろうか。
もっと言えば、背景を考えたことはあるか。
自治会なんてこのご時世、「邪魔なごっこ遊び」に他ならない。
多くの人が「理由」をつけてはくじから除外されたがることは容易に想像がつく
その「理由」が真っ当なものであるか、あるいは取るに足らない屁理屈であるのかを、常に正しく分別し、その分別根拠を説明するという仕事(これを「仕事A」とする)は大変難しく、それを強要するのもまた酷ではないだろうか。
(だからと言って無条件で除外していたら、誰も班長を引き受けなくなってしまう。)

3. 会長・班長障害者仮説

次期班長を知的・精神障害者に押し付けようとしていた自治体のことだ。もしかしたら今期班長や会長も障害者なのにその役職を押し付けられたのかもしれない

実は僕は発達障害者だ。ASDとADHDを抱えていて精神障碍者2級の手帳を交付して頂いている。そんな僕には仕事Aをこなす自信がない。
かといって僕が班長を断るのは、きっと今回の男性以上に困難を極めるだろう。僕が会長または班長だったら、きっとどうすることもできずに、本当に悪気なく訴えられていたんだと思う

会長や班長が、実は発達障害、人格障害、および何らかの配慮すべき事情を持つ者だったという可能性を
「会長・班長障害者仮説」と呼ぼう。
もし僕のこの仮説が正しかったとすれば、会長・班長叩きは理屈が通らなくなる。
障害者に無理やり役職を押し付けようとすることは批判するくせに、
すでに無理やり役職を押し付けられた障害者に対しては仕事Aを押し付け、それが出来ないことを執拗に叩くのだから。

故に、「会長・班長障害者仮説」を棄却できないままに彼らを非難している、人たちの態度には、ダブルスタンダードが生じるているのである

------------------------------------------------------------------

そのことに気が付けなかった人たちに言いたいこと。それは

自分では寛容なつもりのおバカたちが、当事者でもないくせに首突っ込んで意見してんじゃねぇよwww

ということだ。

彼らは驕っているのだ。「自分はやさしく、障害者に理解がある寛容な人なのだ」と。

しかし、実際は違う。「会長・班長障害者仮説」を棄却できない以上、
知らず知らずのうちに障害者をいじめているかもしれないのに、
そのことに気が付けなかった大馬鹿者
なのだ。

物事はなんでもそうだ。僕が仮説を立てるまでの間は、僕ですらその仮説を知らないのだ。それは他の人もみんなそう。

物事や現象はどんなものであれ、
1. 誰かが仮説を立て、
2. 新しい側面が発見される
までの間、その側面はなかったかのように見えるのである。
これを否定できない限り、限られた側面だけから物事を評価しようとするのは愚かなことだ。

そしてこれは僕であっても同じ。僕も愚か者だ。
何故なら僕もまた、「自分では寛容なつもりのおバカたち」を、限られた側面だけで評価して軽蔑しているからだ。
そう。

人間は善悪の評価をする限り、常に愚かなのである。
愚かなのは仕方ないとしても、愚かであることを自覚してほしい。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?