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アートではないことをアートのように

 もう半年ほどになるが、市役所の図書閲覧コーナーの一部を借りて作業している。そこには50代以降と思しき男性が2名居るが、お互い行き帰りの挨拶をするだけの関係だ。業務が全く違うため目隠しされて見えないが、お昼の一時間はラジオが点いて、湯を沸かしたり麺を啜るなどの生活音だけ聞こえる。

 彼らのうち1名は数ヶ月前に来た人で声が大きく、姿は藤岡琢也(以下「琢也」)に似ている。琢也には昼時同世代女性の訪問があり、昼食を共にしている。もう1名の前からいる白髪(以下「白髪」)は寡黙で、ラジオはこの人の持ち物のようだ。彼らのお喋りはそれほど多くないが、昨日珍しく琢也が愚痴ったことを白髪が「私の地域ではそんなことはないね。なんだかんだいっても都会だから」と否定していた。

 最近、作業中に向こうから時折「ポンポンポン」と音が聴こえることに気づいた。時間にすれば午後である。柔らかい音ながら明るく乾いており、どこか懐かしく慕わしい響きについ耳をそば立てる。昨日は複数回あった。

 この音は、満腹になった夫が発する腹鼓(はらつづみ)に酷似している。同じものなのではないだろうか!その音源を直ちに確かめたかったが、目隠しのカーテンから飛び出すことは憚られた。

 今はただ自宅で夫の身体を使って確認するのみである。私の感覚が正しければ、時空を超えて人のnormが共鳴しているのであろう。壮大な種の本能が織りなすハーモニー、というとアートっぽくないですか?全然アートじゃないですけどね。

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