知らない間に、誰かをそっと助けている
こんにちは、ぷるるです。
先週の木曜日、駅の改札を出たところで見知らぬ人に声をかけられました。
驚いて振り向くと、そこに立っていたのは若い男性。
彼はこう言いました。
「その荷物、運びましょうか」
確かに私は、大きな荷物を抱えていたのです。
その重さに辟易してもいました。
でも、果たしてこの好意は受けて良いものか・・・私は迷いました。
SNSやニュースで仕入れいた多くの情報が、頭の中を駆け巡ったからです。
多分この時私は、戸惑いの表情を浮かべたのだと思います。
男性は、慌てた感じでこう付け加えました。
「とても重そうだったから。本当それだけなんで・・・」
その時、彼の表情に淡い怯えが浮かんだのを見て、私は反射的に「じゃあ家の近くまでお願いします」と答えていました。
なんというか、断ったらこの人を傷つけてしまう気がしたのです。
「運んでくれて本当にありがとう。実は重くてうんざりしていたのよね」
身が軽くなった私は、その喜びから感謝を告げました。現金なものですね。
すると彼は前髪をいじりながら、笑いました。
「僕、困っている人を見ると助けたくなるんです。だけど半分以上は断られちゃうから・・・今日はうれしいです」
ああ、だからあの表情か・・・私は納得しました。
彼ほどではないけれど、私も見知らぬ人にサポートを申し出ることがあります。
でもその時、警戒されたり迷惑そうにされると、やっぱり傷つくんですよね。
今のご時世では、仕方ないとわかっていても。
多分よく断られるんだろうな。それでも頑張って声をかけたのね・・・
私はあの時好意を受けて、良かったと感じました。
「ああ、日本もまだまだ捨てたもんじゃないわ。私も色々頑張らなくちゃ」なんて考えながら。
結局家の前まで運んでもらうことにして、私たちは他愛もない会話を続けました。
彼は今大学1年生で、この街のことはなんでも知っていると言います。
「だってずっとこの街ですから。あそこに見える病院わかります?僕、あそこで生まれたんですよ」
彼が指差した病院を見て、私はドキリとしました。
なぜならそこは、私がかつて通院していたところだったからです。
しかもちょうど、彼が生まれた頃に。
私は30代の頃、不妊治療をしていました。
その時、最初に行ったのが彼の生まれたF産婦人科。
家から歩いて行けたし、なかなか評判が良かったのです。
先生は私も夫も健康で問題ないと言ってくれ、とても嬉しかったのを覚えています。でも一向に妊娠はせず、私は徐々に追い詰められていきました。
やがて先生を疑い転院し、様々な検査もしましたが、どの病院でも原因はわからずじまい。私たちはある時点で、夫婦だけで生きようと決めました。
あれから時が流れ、今はこの人生を満喫しています。
多くの人々と同じように、楽しさと苦しさを抱えながら。
でもF産婦人科を見ると、たまに当時の痛みをぶり返すことがありました。
近所だから目に入るんですよね。他の病院は遠いのですが。
例えば親戚の子どもと過ごした夕暮れの帰り道とか、秋が訪れた頃など。
普段は隠れている棘が、ちくりと胸を刺すのです。
私はこれを、一生抱えていくんだろうと思っていました。
でも、この時私は彼の話を聞きながら、自分の胸からこの頑固な棘が抜け落ちていくのを感じました。
私にとってF産婦人科の思い出は、苦しいことがほとんどです。
でも幸せな思い出に満ちた人だって、たくさんいるはずでした。
その一人が今、私の隣で元気に歩いている。
そして人を助けるのが好きなんてことを言っている。おまけに助けてもらっているのはこの私でした。
この二つの出来事はふっと私の中でつながり、何かがすとんと腹に落ちました。
そして気付いたら病院は命を授かれない場所から、命を生み出し繋いでいく場所へとさわやかに塗り替えられていたのです。
私が見えなくなっていた、本来の姿がそこにはありました。
自分の苦しみに手一杯だったから、気づかなかった姿が。
家の前に着いた時、私は彼にお礼をしたくなりました。
この感謝の気持ちをどうしても形にしたくなったのです。
もし運んでくれたのが女の子なら、「お茶でもごちそうさせて!」と我が家に誘ったかもしれません。
あるいは昭和であれば、連絡先を聞いて後から何か届けたかもしれない。
でも、私にはどちらもできませんでした。
そしてなんとなくこの彼も、お礼など望んでいないような気がしました。
逆に好意を何かと交換する形になり、彼の喜びに水を刺すように思えたのです。
私は精一杯お礼の言葉をのべて、この男の子を見送りました。
温かい気持ちを抱えてリビングに入った時のこと。
ふと窓を見ると、物干し竿に鳥が止まっていました。
脅かさないようにそっと眺めながら、私は人生ってやっぱり不思議だなと思いました。
この鳥は、そこにいるだけで私をこんなにうれしくさせているとは、知らないでしょう。
彼も荷物を持つ以上の助けを私にくれたことなど、一生知ることはないと思います。
もしかして誰もが、知らない間に人を助けているのかもしれません。
そんな巡り合わせは、ひそやかで目立たないけれど、本当に素晴らしいものだと思います。予期せぬ時に訪れるところも、魅力的ですし。
私は連休より一足先に、小確幸をもらったのかもしれません。
皆様のGWも、素晴らしいものとなりますように!
<読まなくていいおまけ>
何かお礼をしたい!と思ったけれど、「我が家にあげられる物など存在したか?」との疑問に取り憑かれました。
この場合消え物がいいと思われますが、我が家はお菓子の買い置きをしないのです。
探して見つかったのはこの3つでした。
祖父母の家か。
「おば」を通り越して、これじゃ「おばあ」ではないか。
そろそろ私も、バッグに飴ちゃんを常備しておくべきなのかもしれません。
昭和女子らしい飴がいいですかね?パインとか黄金糖とか・・・・。
今「恩を仇で返す」ということわざが浮かびました。
このGW中に少し考えてみたいと思います。