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あなたは幸せでなければならない

最近、最近とは言ってもここ数日のことではなく、言い換えるならば近年、顕在化してきたと思われる精神病の類。

それは例えば強迫神経症とか、それは例えば適応障害とか、それは例えばパニック障害とか。

私はその全て(私の見た限りだけど)に、適性がある、と感じている。あくまでも感想。私は心理学ならびに精神科医に足る知識は欠如しているため、感想に過ぎない。が、実感として間違いなく存在する。私の中で芽吹いている。

それは大抵、疲れているときとか、インターネットにのめり込んだときとか、外出しているときに起こって、部屋で普通に過ごしているぶんには問題ない。

で、私は健康においての公平世界仮説をそれなりに信じており、そういう人々はまず生活習慣がどうにかなっているんじゃないか、と思っている。体を慮った生活をしていれば、急に動けなくなったり、妙な衝動に駆られたりすることはないのではないか。

私が"そう"なるときの条件が一般に不健康とされている状態であるから、というのはあるが、それにしたって(そもそも生活習慣を治すのが難しいという問題はあれど)投薬その他治療が必要な段階にあるとは思えない。

そもそも、異常に思えない。

私にとっての正常の一番大きな部分を占めるのは一応私で、故に私はそれらの症状を人間の持つ一面としか思っておらず、例えば何かしらの被害に遭って悲しんだり怒ったりするのを異常として治療しようとするかと言われれば、しないと答える人が多いと思う。

それはその反応が正常であるからだ。これが「笑う」なら、軽度であれば見逃されるかもしれないが、それなりであれば(悲しみや怒りではそうとは判断されないラインでも)PTSDからの防衛反応とか、異常として扱われることだろう。

そして、治療が求められる。

あたしはXとかいうカスの場所を憎んで、あたしはXとかいうカスの場所に囚われて、いるので、少しだけ。
最近はロリコンやらペドフィリアやらが(ここでは特に、ペドフィリアは正式な病名としてではなく、単にロリコンとしての意味合いで扱われていることに留意してほしいのにゃん)、要治療対象だとかしょうもない言説がまことしやかに囁かれて、それに与する人も対する人も全部が憎しみに吞まれていて、あたしはこういうところが嫌いで好きなんだ、と。
関係ない話しちゃってごめん。
とにかく、社会から排除されるような(みんなが嫌悪するような)誰かは、治療対象になりやすい──異常として扱われやすい、ってことを言いたかったんだ。今までの差別の歴史がそうだったように。別に私は治療そのものを否定しているわけじゃなくて、そういうのは実際に手を出しそうで悩んでいる、自分を変えたい人が自ら望んで受けるものだから。
まだ犯されていない罪を裁くことはできない。私たちは無力で、故に守られているのだから。

閑話休題。

私は私を(一応)異常だと扱っていて、だから治療対象となる側だと常々思っているけど、それでも治療を受けたくないわけではなく。

こういう話題だと自我の一律性とか連続性とかで治療されたくない人が散見されるけど、私はそうではなく、どうでもいい。

でも、今の正常と異常の線引きは間違っていると思う。

誰にでも種は植わっている。それが芽を出して、花を咲かせて、実を結ぶ人が少ないだけで。

水と肥を与えなければいいだけ。どうしようもなく大きく育った実は、切り落とす必要があるかもしれないけど。

前頭葉を切り落とすよりはずっといいはず。

私が暗闇の中で踊れるように、皆が光の中で暮らせるように、異常と正常の区別は(それがグラデーションになるとしても)誤ってはいけない。

正直、治療によって間接的に苦しんでいる人もいると思う。

自分が異常であることを認識することで、自分に治療が必要であることを、半ば循環論法的に信じ込む。

それが普通せいじょうならば、ありふれているせいじょうならば、多数派せいじょうならば、一般的せいじょうならば、

必要のなかった治療こと

正常であるべきという観念が、その湧きどころに関係なく、圧迫して、語りかけてくるのだ。

「あなたは幸せ正常でなければならない」

と。


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