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思い出の川

私が覚えてる限り、一番最初に来たのは中学生の頃だった。当時勉強がなかなか出来なかった私は(出来なかったというか、今思い返すと、反抗心も込めてやらなかっただけかもしれない。)両親から手をあげられがちだった。叩かれないにしても、毎日ご飯を食べ終わったら夜8時頃まで勉強をして、それを後ろで母が監視するような日々の繰り返し。
何故こんな目に、と思った。でも、私が両親に愛されてないとは思いたくなかった。だから私は、勉強が嫌いになった。
勉強がなければ。勉強さえなければ。私は両親に愛されて幸せな毎日を送れていたのに。
そんな日々に疲れ果ててしまって、私は学校をサボってここに来た。別に何かあるなんて期待してたわけではないけど、何となく足がここに向いた。

ここなら誰にも勉強をしろなんて言われない。自由で伸び伸びとボーッとしてられる。それから私はこの場所が好きになった。

ある時、これまた制服姿でボンヤリと河原に佇んでいると、一人のおじいさんに声をかけられた。
「どうした?」
「こんなところにいるなんて、何かあったんだろう。」
世間の常識で考えると、制服姿の女子生徒に話しかけてくるおじいさんなんて不審者なのかもしれない。でも私は思わず、全てを話してしまった。

勉強が出来なくて手をあげられること
私の誕生日は期末テストの一ヶ月前だから、今は勉強に集中しなさいと祝ってくれなかったこと
勉強中、息抜きに両親の目を盗んで絵を描いていたら、その絵が家の玄関前に晒されていたこと

どれも私にとっては日常で、受け入れられたはずの毎日だったのに

言葉は涙とともにボロボロこぼれだした。おじいさんに話し掛けて何かが変わったわけじゃない。それでもあのとき、私は確かに救われてた。そんな思い出が、今でも頭をよぎるんだ。

あれからもうすぐ10年弱。社会人になった私はまたここに来た。今度は両親が鬱病になった。

ご飯を作れなくなってしまった。
情緒不安定になってしまった。
ほとんど寝たきりになってしまった。

あんまりじゃないか。私が何をしたって言うの。私はこの10年、毎日消えたいと思いながらも必死に必死に明日へバトンを繋げてきた。やっと幸せになれると思ってたのに。両親と笑顔でご飯を食べたり、たわいもない話で笑い合ったり、そんな日々が来ると信じてここまで来たのに。でももしかしたら、両親が鬱病にならなくても、そんな日は来なかったかもしれない。だって私の頭の中には、両親から受けた仕打ちを昨日のことのように思い出せる幼い私がいるから。

こんな私を世間はきっと、「親不孝者」と呼ぶ。でもいい、しょうがない、親不孝で結構だ。世間や周りの期待なんて、学生の頃から裏切り続けてここまで来た。

5時を告げるチャイムが鳴り響く。もう下校の時間だ。まばらになっていく人通りを見ながら、ふと思った。いつか、今度は誰かと笑い話をしながらここに来れますように。