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これから?

イベント準備してたらこんな時間になってた。
めっちゃ集中してて、我に返って時計みたらこんな時間で心臓めちゃくちゃ跳ねた。よかった、日付変わってなくて……

心がざわざわで、思考を整理するのに感情がずっと追いついてこなくて、嗚呼生理後pms……って思って夕ごはん食べたあともずっとうだうだうだうだしていたんだけど、
よし。もう先にやることやろ。と思って、作業始めたら、めちゃくちゃ気持ちが落ち着いた。
やっぱり、わたし、これ好き。
子どもたちのことを考えながら、あーしてみよう、こーしてみよう、これに付き合ってもらおう、どんな顔するかな、って妄想するのが好き。
私は座学の勉強が好きだから、その手の勉強を教えることが生きがいだけど、この一年を通して感じたのは、生きることは学びなんだということ。もっというと、ヒトと関わることは学びの宝庫だということ。それをこの一年で身をもって実感したというか、大人も子どもも関係なく、人は人から学ぶんだなぁと。もちろん人以外のものから学ぶことも多いのだけれど、人間が社会を作って生きていく生きものである以上、自分以外の人間と「生活する」ことは学びの連続で、大袈裟でなく、他人のひと言、一挙手一投足、たぶん瞬きひとつでも、それは学びなんだと思う。でも、たぶん、家庭は狭すぎるし、学校は広すぎる。だから、どっちにも、寄りたくなくて、その間に、なりたくて。
だからわたし、生活したいんだ、と思った。
勉強を教えて、はいさよなら、じゃなくて、色んなことを一緒にしたいんだ。子どもたちと。もっと突っ込んで、友だちだけど先生で、一緒にいることが学びになるような、人にわたしはなりたくて(将来の夢は近所の子どもたちに「あそこの家には魔女が住んでるんだよ」って噂されるおばあちゃんになることなので)子どもも大人も関係なく、混ざりたい人が混ざれる空間を、私は作りたい。そのためには私を信頼してもらわないといけなくて、そのために、私は、いま頑張らないといけないんだ。うん。そう。それ。それだ。あ、時間が無い。

言葉としてわかっていたつもりだったことに、一年かけて経験が追いついてきて、やっと言葉になった。なったか?ちょっとだけな。
ちょっとだけ、クリアになった。

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