甲式一型練習機と当時の流れ

木製プロペラの刻印からこちらの記事で書いたように
・プロペラは日本楽器製造株式会社製
・エンジンは東京瓦斯電気工業製
と分かっています。

今回は刻印のひとつにあった「甲式一型練習機」について情報を集めました。

甲式一型練習機の情報収集

陸軍がフランスのニューポール社から輸入した練習機で初歩練習機として重用されたが、操縦性に難があり乗りこなすのにコツの要る飛行機であったと言われる。教官と練習性が二人で乗る甲式一型を卒業した後は甲式二型練習機で単独飛行を行うことになる。尚ニューポール社からの輸入飛行機はすべて甲式・・・と称している。因みに乙式はフランスのサルムソン社からの輸入飛行機で、丙式はやはりフランスのスパッド社,丁式はフランスのファルマン社、戊式はコードロン社からの輸入飛行機を表す。
引用

飛行機の名前の付け方で面白いことが書かれていました。それぞれ輸入した飛行機会社によって、甲式、乙式、と名前を区別していたようです。これを見ると日本の飛行機の発展はフランスの技術が大きく関与していることが分かります。
甲式:フランスのニューポール社
乙式:フランスのサルムソン社
丙式:フランスのスパッド社
丁式:フランスのファルマン社
戊式:フランスのコードロン社

ニューポール81E2
所沢陸軍飛行学校設立以来、フランス航空教育団の教材として使われた。
フランスから輸入したが、後には日本でもライセンス生産された。
エンジンは空冷式回転星型「ル・ローヌ」で、プロペラと共にエンジン全体が回転する
所沢航空発祥記念館に保存展示されている残骸は、埼玉県出身の操縦士 岩田正夫氏が、当時のフランスから個人輸入したという機体の物で、大正15年郷土訪問飛行で埼玉県比企郡都幾川村を訪れた際、破損しそのまま村へ寄贈されたもの。同村の慈光寺に70年間保存されていた。
戦闘機ではないが、WW1のニューポール戦闘機とほぼ同じシリーズである。
ル・ローヌ 80HPエンジン
9気筒、空冷回転星型エンジン。
回転式エンジンで、エンジンマウントにエンジンは固定されておらず、エンジンのシャフトが固定されている。
引用
1919(大正8)年、陸軍の招きでフランスから総勢61名のフォール大佐一行が航空指導に来日した。それに先立って、ニューポール社から3種の練習機が購入された。ニューポール81E2、同82E2、83E2 が、それだ。81E2は甲式一型練習機として、83E2は甲式ニ型練習機として制式となり国産化されたが、82E2は輸入10機だけの試用に終わった。 なお、「甲」はニューポールのことで、「E」は練習機、「2」は二人乗りの意味。このうちの甲式一型練習機は、埼玉県のあるお寺にあった残骸が埼玉県所沢市にある航空発祥記念館に展示してある。
引用

先立ってフランスから輸入した3種類の飛行機についての記載があります。
ニューポール81E2:甲式一型練習機として国産化
ニューポール82E2:輸入10機だけの試用
ニューポール83E2:甲式ニ型練習機として国産化

大正8年に来日した、フランス航空教官団が教材として使った、前後複式操縦装置付の練習機。
大正10年12月に甲式一型と改称された
同型機は、陸軍航空部補給部所沢支部及び、三菱で国産化された。
引用(Amazon)

Amazonに売られていたニューポール81E2の1/72スケールのレジンキットの説明には、1921(大正10)年12月に「甲式一型」と改称された、という貴重な情報が書かれています。

実機のタイヤ
空気のかわりに綿が詰められていたらしい。
機体はエンジン取付け部と操縦席周辺のみ金属が使われ、その他の胴体と翼は木製、ドーブ油を塗った絹布が張られていた。
引用
フランス航空教育団
1919年、フランスが日本に派遣した航空教育軍事使節団。
一次欧州大戦後のヨーロッパの航空機を見て、臨時軍用軍用気球研究会(陸軍)は、遅れている軍用航空の発展、向上を図るため、大正七年(1918年)日本政府を通して、航空戦技、航空技術開発の指導、教育、育成をフランス政府に要請した。
日本政府からのこの請願を受け、フランス政府はこの案件を検討後、受諾した。このため ・操縦 ・射撃 ・爆撃 ・偵察観測 ・気球 ・機体製作 ・発動機製作 ・航空機検査 の八部門にわたる、軍人、航空機技術者をもって教育団を編成した。
この教育、指導、支援の見返りとして、フランス政府はフランス航空機の教材使用とその後の採用を要望した。日本政府はこれを受諾、この教育団を招聘した。
フランス政府はこれを受けて、’遺日航空教育軍事使節団’を結成、フォール中佐を団長とする57名の団員を日本に派遣した。
教育団は大正八年(1919年)1月に来日、この年の11月まで滞在し、軍用航空全般にわたる指導、教育に当たった。

ニューポール81E2
第一次欧州大戦時のフランス、ニューポール社の練習機。ニューポール17をベースにした複座の練習機

日本での運用
1919年(大正8年)フランス航空教育団の教材機として、数機が輸入され教材機、二式八一型 として用いられた。その後陸軍航空部で国産化、三菱造船(飛行機部)でも生産された。後に「甲式一型」と改称された。

ニューポール81E2 諸元
エンジン: ル・ローン空冷回転星型9気筒80馬力
乗員2名 複葉機
・全幅9.20m ・全長7.20m

国内で製作された ニューポール81E2
・「甲式一型」:エンジン:ル・ローン空冷回転星型80hp 瓦斯電気製
陸軍航空部(砲兵工廠) 製作機数
三菱造船(飛行機部) 製作機数 57
引用

これらの記事から当時の流れをまとめると

・1918(大正7)年、臨時軍用軍用気球研究会(陸軍)は日本政府を通して航空戦技、航空技術開発の指導、教育、育成をフランス政府に要請
・陸軍がフランスのニューポール社から練習機を購入し、そのうちのひとつがニューポール81E2
・1919(大正8)年1月、陸軍の招きでフランスから総勢61名のフォール大佐一行が航空指導に来日。同年11月まで日本に滞在。
・1921(大正10)年12月にニューポール81E2は「甲式一型」に改称
・ニューポール81E2は陸軍航空部補給部所沢支部で国産化し、三菱造船(飛行機部)でも生産された。
・所沢陸軍飛行学校設立(1924年)以来、ニューポール81E2はフランス航空教育団の教材機として使われた。

実家に残された甲式一型練習機のプロペラは1922(大正11)年1月製造のものです。ニューポール81E2を「甲式一型練習機」と改称した次の月に作られたものになります。また、ご先祖様は当時、所沢にいたことが分かります。

甲式一型練習機(ニューポール81E2)まとめ

・フランスから輸入したニューポール81E2は陸軍航空部補給部所沢支部で国産化し、三菱造船(飛行機部)でも生産された。
・所沢陸軍飛行学校でニューポール81E2はフランス航空教育団の教材機として使われた。
・初歩練習機として重用されたが、操縦性に難があり乗りこなすのにコツの要る飛行機であったと言われる。
・エンジンは空冷式回転星型で、プロペラと共にエンジン全体が回転する。
・所沢航空発祥記念館に埼玉県出身の操縦士が当時フランスから個人輸入したものが、一部レプリカで保存展示されている。

■機体の情報について
『フランスのニューポール81E2』
エンジン:ル・ローン空冷回転星型9気筒80馬力
乗員2名 複葉機
全幅9.20m
全長7.20m

『国内で製作されたニューポール81E2』
1921(大正10)年12月「甲式一型練習機」に改称
エンジン:東京瓦斯電気工業製「ル・ローン空冷回転星型80hp」
プロペラ:日本楽器製造株式会社製(木製)
タイヤ:空気のかわりに綿が詰められていたらしい
機体:エンジン取付け部と操縦席周辺のみ金属、その他の胴体と翼は木製、ドーブ油を塗った絹布が張られていた
陸軍航空部 製作機数 ?
三菱造船(飛行機部) 製作機数 57

甲式一型練習機など当時の飛行機の機体は、重量を軽くするために金属はワイヤーのみなど、全体的に木材や絹布を使って作られています。
機体の製造に関しては、陸軍航空部で国産化し何機か製造しているようです。
三菱造船(飛行機部)でも生産とあり、三菱重工の航空機事業の歴史のページには1920年代に「甲式一型練習機」と記載されています。

甲式一型練習機は、ヨーロッパの飛行機を見て開発の遅れを感じた日本陸軍が、フランスから先駆けて輸入した飛行機のひとつ。
所沢の飛行学校では教材機として飛行機の勉強や飛行練習に重宝されたと言います。
当時飛行機に関係する人にとっては有名な機体のひとつだったことが伺えます。

甲式一型練習機
・プロペラは日本楽器製造株式会社製
・エンジンは東京瓦斯電気工業製
・機体の製造は陸軍航空部および三菱造船飛行機部
・機体に金属は少ししか使わず、木材、絹布、綿を使って作られた

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