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プロペラと再会。木製プロペラは日本楽器製造株式会社、エンジンは東京瓦斯電気工業

GW期間中に帰省し、ついに木製プロペラと約30年ぶりに再会することができました。プロペラは子供の頃の記憶以上に大きなもので驚きました。
木製プロペラを調べると、下記の情報が刻印されています。

・日本楽器製造株式会社
・ロ式八○馬力 発動機用
・大正十一年一月製作
・甲式一型練習機

父が最初に話してくれていた「甲式一型練習機」で合っていました。

プロペラは日本楽器製造株式会社製

そして、木製プロペラを製造したのはヤマハ、ヤマハ発動機の前身である「日本楽器製造株式会社」です。やっとひとつ答え合わせができました。

プロペラの長さを調べると、中心から片翼の先端までが127.5cm程でしたので、全長255cmはあります。
プロペラ本体は木でできていますが、羽の先端に金属のような何かが覆うように付いており、その留め方も特殊に感じました。触ると冷ためですが金属よりは冷たくはない素材です。見た目は先端の木材の保護や、ほんの少し重みを加えて回転しやすくするためのように見えますが、プロペラが回った時、木材だけよりは良い音が出そうに感じました。

1922年(大正11年)製。。。想像以上に古いもので驚きました。
外国機製を使って国内初飛行とされる1910年から12年後のプロペラ。私が事前に調べていた日本楽器のプロペラ関係工場が陸軍の管理下になったのは1938年前後なので、それよりずっと前のものでした。
そこで再度ヤマハについて調べました。ヤマハのWikipediaによると下記のように書かれています。

1916年(大正5年)の寅楠の死後は2代目社長に天野千代丸が就任し、ピアノ製造は一族の山葉直吉らがあたった。1921年(大正10年)に帝国陸軍の要請により、軍用航空機の木製プロペラの製造を、1931年に金属製プロペラの製造を開始した。

大正10年(1921年)に陸軍の要請により軍用航空機の木製プロペラの製造を、と書いてあります。残されたプロペラはこの翌年の1922年1月のものなので、日本楽器が木製プロペラを作り始めた初期の物、そして国産の飛行機として作り始めたばかりの機体の一部ということになります。

エンジンは東京瓦斯電気工業製

プロペラにもう一つ刻まれていた「ロ式八○馬力 発動機用」についても調べてみると、こちらのサイトにたどり着きました。エンジンが土中から掘り起こされ清掃したという記事です。一部を下記に転記します。

ロ式八十馬力発動機は、大正時代にフランスのル・ローンC型エンジンを東京瓦斯電気工業(現在の日野自動車(株)の前身)が国産化したものです。
正ロ式八十馬力発動機 第三十九号 東京瓦斯電気工業製造 大正十一年八月
# ル・ローンC型エンジン自体は、所沢航空発祥記念館や
# 東京の交通博物館(移転のため閉館しちゃいましたが)に完全なものがありますね。

所沢航空発祥記念館には、ロ式八○馬力発動機と同じであるフランスのル・ローンC型エンジンの展示があるようです。
こちらのブログ
からも引用させていただきます。

TGE型トラックの試作が完成した1917年、ガスデンは陸軍の指示によりフランスのル・ローン 空冷星型回転式航空エンジンを40基制作し納入、1922年まで月産15基程度を生産していた。
エンジン自体がプロペラと一体で回転する回転式である。
ガスデンがトラックと同時に航空エンジンを導入したのは戦時に航空エンジン生産に転換し軍の要請に応える目的があった。ジェットエンジンが開発されるまで、航空エンジンと自動車エンジンは表裏一体であったのだ。
ル・ローン航空エンジンは原型は1914年であるが、これは Gnome et Rhône 社で制作され、その軽量と信頼性から第1次大戦で大量に生産された。
陸軍が80馬力型と120馬力型のライセンスを買い取り、ガスデンが制作している。

上記ふたつの記事を読み、東京瓦斯電気工業(ガスデン)という名前が出ていて驚きました。東京瓦斯電気工業とは、私が以前から調べていた当時の航空機エンジンメーカーです。ふたつの記事の内容は時代もぴったり合いますし、陸軍というワードも出てきました。当時ガスデンは陸軍からの補助金でエンジン製造に取り掛ったとの記事もありました。
東京瓦斯電気工業のWikipediaから転記します。

東京瓦斯電気工業(とうきょうがすでんきこうぎょう、Tokyo Gas Electric Engineering Co.,Ltd. 、TGE)は、大正~昭和初期に鉄道車両、自動車、航空機、その他を手がけた機械製造会社。航研機を組み立てた航空機メーカーでもある。いすゞ自動車、日野自動車、ハスクバーナ・ゼノアの前身で、小松製作所やDMG森精機にも事業の一部が引き継がれている。略称瓦斯電(ガスデン)。
航空機・工作機械関係
1918年(大正7年) - 日本国内の民間工場で製造された物としては初の航空機用エンジン、ダ式一〇〇馬力発動機(ダイムラーの航空機用水冷直列6気筒100馬力ガソリンエンジンのライセンス生産品)が完成。この年、大森工場において工作機械の製造を開始。
1920年(大正9年) - ノーム・エ・ローヌ(ノーム・ローン)社よりロ式八〇馬力発動機とロ式一二〇馬力発動機の製造権を取得、ライセンス生産を開始。
1922年(大正11年) - ベ式一三〇馬力発動機の生産を開始(鹵獲機のベンツエンジンのコピー)。
1928年(昭和3年) - 航空機用国産エンジン「神風」を開発。
1933年(昭和8年) - 小型旅客機 KR-1の生産を行う。
1938年(昭和13年) - 東京帝国大学航空研究所設計の航研機を組立て、周回世界長距離飛行記録樹立に貢献。
1939年(昭和14年) - 航空機部が日立航空機として独立。造機部門は日立工作機を経て日立精機(国産精機として1936年設立)に継承。

1920年(大正9年)にノーム・エ・ローヌ社より「ロ式八〇馬力発動機」の製造権を取得し、ライセンス生産を開始、と書かれているように、エンジンは「東京瓦斯電気工業」製で間違いなさそうです。

東京瓦斯電気工業は1939年に日立航空機という名前になり、都内にいくつか工場を持つ航空機エンジンメーカーです。その中でも東京都東大和市にある立川工場は日立航空機最大のエンジン製造工場であり、初飛行とされる所沢からも割と近い場所に位置します。なお、立川工場は旧日立航空機立川工場変電所として、立川空襲で受けた弾痕の跡が生々しい状態のまま、東大和南公園に現在も建物が残っています。

立川工場
東京瓦斯電気工業時代からの工場で、現在の東京都東大和市桜が丘にあり、最盛期には14,000人の従業員を要する日立航空機最大のエンジン製造工場であった。1944年(昭和19年)には月産350基を製造し、全社エンジン生産量の半数を占めた。

残された木製プロペラが使われた機体のエンジンは立川工場で作られた可能性は高い上、飛行場のある所沢からも近いため、ご先祖様も当時この工場に足を運んでいたかもしれません。

今回のまとめ

【木製プロペラ】
 ・日本楽器製造株式会社製
 ・ロ式八○馬力 発動機用
 ・大正11年1月製(1922年1月)
 ・甲式一型練習機

※プロペラは全長255cm程
※プロペラ本体は木でできているが羽の先端に金属のような何かが覆うように付いている

・1920年(大正9年)  東京瓦斯電気工業はノーム・エ・ローヌ社よりロ式八〇馬力発動機の製造権を取得し、ライセンス生産を開始
・1921年(大正10年) 日本楽器製造は帝国陸軍の要請により軍用航空機の木製プロペラの製造を開始
・1931年 日本楽器製造は金属製プロペラの製造を開始

■プロペラ→日本楽器製造株式会社製
■エンジン→東京瓦斯電気工業製(所沢に近い東大和市にある立川工場で作られた?)

機体の製造と、甲式一型練習機については後日の記事で詳しく見ていきます。

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