MONO NO AWAREと私

MONO NO AWARE というバンドに出会ったのは、高校三年生の時だった。YouTubeを観ていると ”言葉がなかったら” という曲が目に入り、何気なく再生してみた。「言葉がほんの一つ足りなかっただけで その後はたった一度の言葉も交わせぬまま」といった歌詞などから当時の私は言葉の持つ意味やその難しさについて考えを巡らせた。これが私と MONO NO AWARE の出会いであった。
”かむかもしかもにどもかも!”は生麦生米生卵、赤パジャマ黄パジャマ茶パジャマといった早口言葉で作詞されている。これに衝撃を受けた。こんなにも音楽は自由に表現できるのかと。なんでもありじゃないか、おもしろい。当時は今ほど音楽に触れていなかったため、なおさらである。
”テレビスターの悲劇”という曲をはじめて聴いた時には、先を越された、しまったとも思った。ラジオの讃美歌とも言えるQUEENのRadio Ga Ga、テレビに人気を奪われたラジオの衰退を歌う、バグルスのラジオスターの悲劇。となれば、現代のインターネット、SNSの発展に伴い窮地に追いやられているテレビのことを歌った曲を作るというのは必然の流れだろう。つまり誰かがやらなければならなかった作業であり誰かが作らなければならなかった歌だった。彼らは誰よりも早くそれを成し遂げた。この曲を知るより過去の私は思考の片隅で現代にアップデートしたものを作らなければと思っていた、、、と思う。この曲をはじめて聴いた時には、合点がいくと共にどこかで自身で実現できたのではないかという悔しさも感じた。今現在も具現化するスキルは持ち合わせていないが。しかもこれまたテレビスターの悲劇は素晴らしいバランス感覚でつくられた楽曲なのだ。今の時代背景にうまく落とし込まれている。「テレビで流れてるものはヤラセや作りものばかりだ ネットで見たから確かだぞと顔も名もない人が言う」といった批判的な面も有している。

他にも語れる曲は枚挙にいとまがない。
MONO NO AWARE はやけに熱を持って語れる曲が多い。
かといって好きなバンドは?と聞かれても真っ先に思い浮かぶわけではない。もちろん好きだけれども。
しかもすべての曲を聴いていた訳ではなく、自身のプレイリストに入っているものを繰り返していた。アルバム単位で聴くこともほとんどなかった。
不思議な距離感のバンドだ。

そんな中、1月19日東京でのライブに行くことになった。一度は生でみたいと思っていたため嬉しかった。ライブに向けて今まで聴いていなかった曲も聴き始めたが新たな発見もあった。
ライブ当日は最高であった。
またライブに行きたいし生で聴きたい曲がまだまだある。


と同時にもう一つの考えが浮かんだ。ポジティブな意味合いで自分が音楽を作ることはないだろうなと思った。もちろん曲なんて作ったこともないし、作る知識も能力もない。しかしなぜかこのような考えが浮かんだ。曲を作ってみたいという思いもあるし、意外といけるんじゃねとの浮ついた考えもある。だがそこは諦めてよいのではないかと。今の私が歌詞を書いたとて二番煎じであり、遥かに高い演奏技術によって彼らもとい、MONO NO AWARE,玉置周啓が表現をしてくれる。そこはもう任せてしまっていいのではないか。
あまりに無責任であるが、それほどまでにくらってしまった。

誰に対しても門が開かれている音楽という表現方法においてこんな大それたことを言ってしまった。しかし音楽に対しての価値観の一部が変わってしまうほどの体験をしてしまったことを嬉しく思う。
まあ、これは一時の考えで秘めたものが爆発する時がくるかもしれないが。
このようなことを考えるきっかけを与えてくれた MONO NO AWARE は私にとってさらに大切なバンドとなった。

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