カテゴライズについて

最近流行ってる性格診断

カテゴライズされる、ということに

いろんな角度からの賛否両論があって面白い


高校時代、アメリカの教育を

この堅苦しい日本の学校に取り入れようと

一人先生たちと日々闘っている

めちゃくちゃ頭のいいアメリカ人の先生がいた

私はその先生の授業が大好きだった

誰も知らない隠れ部屋みたいなところに連れて行かれ

寝っ転がって食堂のホットスナックを食べながら

アメリカの新聞をみんなで読んだりしてたし

日本よりいろんなカテゴライズが存在する

アメリカのティーネイジャーの悩みや

それに伴う日本には存在しない気遣いの色々、

たくさん肌で感じさせてくれた

今でもその先生には感謝している


どれだけの人間に出来ない、と言われようとも

頭の凝り固まった先生たちに対して

(彼らにも彼らなりの歴史と経験があるのだろうけど)

質の良い教育をするという自分の信念を曲げず

逆境に立ち向かい続ける姿は本当にカッコよかった

結局厄介者扱いされてすぐいなくなってしまったのだけれど

私は一番生徒のことを考えてくれてる人だなあと

アツい人だなあと時々思い出す

自分は日本語を全く理解しないのに

手加減ゼロの英語で話して来るし

ちょっとクレイジーな先生だったけど


その先生の授業で昔性格診断をやったことがあった

アメリカでは自己分析において主流な手段だよ、と

その時はなんだか心理テストみたいな気持ちで

どの有名人と同じタイプなんだろう、とか

そんなことしか考えてなくきゃっきゃしてたので

みんなもそのくらいの気持ちなんだろうと思っていた

まあ割と的を得ているところもあると私は思うのだけれど

いろんなタイプの人間がいるからこそ

いろんな捉え方があるんだろうね

当たり前だけどなんだか改めて実感した


社会人になって置かれている状況が

周りと一人一人違うようになって

悩みというものはそれぞれのバックグラウンドや

そこからのギャップや

いろんなことが繊細に絡み合っているものであって

今まで同じ教室にいたからなんとなく理解できてた

親友の悩みも今じゃ

完璧に理解してあげることは出来ないし

きっと彼女も私のこと理解できないんだと思う

なんで私はこんなにも生きづらいのかな、とか

なんでこんなにも生きるのが

下手くそなんだろうか、とか

同じことを何度も繰り返して

いつになったらこの悩みは消えるのかな、とか

変なループにハマって

この広い世界の中

それぞれの島を作りすぎた現代社会では

どこまでも世界、というものは狭く感じて

こんな悩みを持っているのは私だけなんだ、と

とても悲しくなってしまう日もたくさんあった


そこで私の心を少し軽くしたのが性格診断である

私はこの性格だから絶対こう、とか

え?君◯◯なの?ふーん
(じゃあこういう性格なんだろうな)

とかそういったことは全く思わないし

昔からその人のことどう判断するかくらいは

ちゃんと自分の脳みそで決めてきたので

あんまり悪い影響は

自分の中ではないと思っている

なんとなく、先ほども言った通り

ネットに転がっている心理テストを読む感覚で

自分のキャラクターの説明を読んでいると

え、恥ずかしいくらいに

今悩んでることここに書いてあんじゃん

え、私のこの頭が

地面に埋まるほど悩んでたことって

こんな心理テストなんかに

見透かされてるっていうのか

え、てかじゃあこのパーソナリティの人って

割と同じ事で悩んでるんじゃない?

え、もしかして私だけっていうのは思い上がりで

割とよくある悩みなんじゃない?

みんなが悩んでるってことは

別に気にしなくてもよくない?

当たり前のことじゃない?

何を悲観してきたのだ????

と急に心が軽くなったりした


うえーんと泣いていてもしょうがない

どうせやらないといけないことは

変わらないのだから

泣いてしまう原因を取り除くために

また泣き止んでも泣き続けるのだから

上手く自分を騙して騙されていきましょう

割と何でもできてしまうのだから

なりたい物には何にでもなれるのだから



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