幸せについて

芸術と商業

どのように結びつける?

生み出す人と売り出す人

そしてそれを買う人々

創造に求めるものは果たして消費?

お金を稼ぐことに興味がないのに

数字は安直に価値を可視化する


考えすぎる人

こだわりが強く自分が納得いくまで

決断を下せない人

このファッキン理不尽な世界に対して

どこまでも真っ直ぐ向き合える人

時に惨めで時に気高い

自分の美学を全うしているのなら

他人にどう思われようが気にする必要はない、

はずなのに潰されちゃうのはきっと心が寂しいからだ


心の絡まって固まった血管を

少しずつ少しずつほどいていく

微々たる違和感が重なってお互いを隠して

どこにしこりの原因があるのかなんて

すぐ見つけられなくなって

黒い塊になってしまう

割ともう手遅れ感はある


誰も望んで生まれてきたわけではないのだから

どこまでも図々しくいてやりましょう

生まれてきてやったんだからな、この俺様が

何かを追い求めるのも飽きて辞めるのも

俺様の好きなようにしていいし

いつだって足を引っ張るのは雑魚キャラだ

これは決まっている

俺様の足を引っ張った時点でテメエは雑魚キャラだ

そんな奴のために心を憂う必要はない

存分に見下してやるんだ

ダサいかダサくないか、ただそれだけなのです


本当の幸せを知らないから、なり方を知らない

そう言った友達はどこか遠くを見ていた

不幸の畑で育った自覚、

そしてその言葉が縛り付ける足元、視線

意外と身を任せてみれば簡単に

手にしてたりもするのかもしれないが

私の帰るべき場所は不幸の畑、と

結局居心地が良くなってしまうのは

なんとなく分かる


幸せって割とチームプレイだと思っていて

もちろん超個人的な幸せもあると思うんだけど

幸せを知っている人は与えられていた人

目の前にある個人の幸せを優先しすぎた結果

世の中を覆う幸せの分厚さは

どんどん薄くなっているのかもしれない

昔の時代を知らないけど


足ることを知る、

今手にしていないものに嘆くのではなく

目の前のものに満足をする

そう説く幸福論は果たして

本当の幸せを与えてくれるのか

今諦めることで手に入る光は

目先の闇を照らしてくれるが

今諦めないことで手に入る先の光は

この瞬間の闇無くして手に入らない

何事も正解はないから難しい

自分がどう感じるか、何が本当の幸せか

反射するほどまでにピカピカに磨き上げた

私の心だけがその答えを知っている


最近は少し消費されることに敏感だ

作品としても人間としても












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