Potential of Voice/声の力
音楽は「感じる」もの
わたしは音楽が好きだ。
ライブやコンサートに出掛ける機会もよくある。
CDやレコード、デジタルデータなどと違い、生演奏の何が良いかというと、
音を体で感じられる点だ。
耳で聞くだけではなく、空気の振動が肌に伝わったり、
会場の匂いが鼻腔をくすぐったり、
そして文字通り音色というくらい、
実はエネルギーとしての音には色があることも分かる。
そういった、五感を通して味わうものが音楽。
聞こえていなくても、音は存在している。
どう感知するかはその受け取り側のキャパシティによるところが大きい。
聞こえないけれど、聞こえる。
矛盾したことを言うようだけれど、これは実体験に基づいたこと。
学生時代のエピソード。
当時わたしは同じ大学の友人たちとバンドを組んでいた。
担当はヴォーカル。
※ときどきベース&ヴォーカル。
自分だけ音楽性が異なり早々に脱退したものの、
在籍時には数回、ライブハウスなどで演奏した。
ライブを間近に控えた練習中、ギターの子(以下T)が
「今度のライブ、彼氏が観にきたいって」
と告げた。
メンバーはみんな
「大丈夫?」
という反応。
というのも、Tの彼氏(以下Mさん)は聴覚障害者だったから…。
彼らは常々、手話でコミュニケーションを取り、一緒にいないときはファクシミリで連絡を取り合っていた。
電子メールや、メッセージアプリなどない時代のこと。
電話が出来ない彼らは、連絡にもタイムラグが発生する状況だった。
どうやらMさんは、Tがギターを弾く姿を見たいから
ライブに行きたがっているとのことだった。
他のメンバーが止める必要もない。
でも、やっぱり不安というか、心配だったはず。
だって、聞こえない、聞いてもらえないのだからね。
でもわたしたちは、いつも通り楽しくやろう、
ということで当日を迎えた。
おそらくそのときMさんとは初対面だったかな。
穏やかそうだけれど、実際はかなり積極的な人物で、
スキューバダイビングなども楽しんでいると聞いた。
わたしたちの演奏中、ニコニコしてステージに目を向けているMさんが、
楽しそうな雰囲気だったのでほっとした。
演奏後片付けをして、メンバーが集まったところにMさんもやってきた。
Tと何やら手話で話をしている。
そして伝えてくれたのは、こんな驚きの事実だった。
「じゅんちゃんの歌が聞こえたんだって!」
思わず、えーっ?!と、みんなでびっくり。
だって、Mさんは、「聞こえない」はず。
Mさんは
「なぜかは分からない。でも聞こえた。人の歌が聞こえるのは初めてだった!」
と、Tに伝えたんだという…。
なぜ、わたしだけ?
その後まもなくわたしはそのバンドを脱退した。
先に書いた通り、自分だけ音楽性が違っていたから。
辞めるときにちょっと揉めたこともあり(若気の至り、自分が悪かった)、
バンド活動に行き詰まっていたことも合わせて、
「もう歌はやらない」
と、心に決めた。
ちょうどその頃自分の好きな音楽ジャンルにも
変化の波が来ていて、
新しいトレンドについて行けず、
新しく聞く音楽もなく、自分も演奏側になれず、
音楽とちょっと距離を置くことになった。
じゃあ代わりに演劇?と思うも、観劇だけで満足できる。
油絵でもやるか?と思い、地区の油絵教室に申し込んだら、
人数が多く抽選に漏れる。
結局音楽しかないのに、
音楽が好きなのに、
携われない。
なんとも歯がゆい状況の日々。
そんなとき、大学のある授業でそれは起こった。
文化人類学の先生が、
「クリスマスソングを英語で歌いましょう!」
という提案をしたのだ。
クラスを数グループに分けて、それぞれに先生が課題曲を与える。
正直、
「嫌だなあ…」
と思った。
歌うのは、やめたのに…。
それに、同じクラスには前のバンドのメンバーが2人いる。
彼らの目が気になる。
だけど、自分だけ
「すみません!嫌です!」
なんてわけにいかない。
意外と忠実(笑)
だから、その課題をこなしましたよ…。
なるべく目立たないよう、そ~っと。
わたしたちのグループが歌い終えたあと、
先生が言った。
「良かったわ!それに、じゅんさんの声がとてもよく聞こえたわ!」
と。
え、すごく小さな声で、細く歌ったのに…。
その上先生は、
「ねえ、じゅんさん、ソロで歌ってくれない?」
というリクエストを寄越したのだ!
「マズいぞ、この状況」
真っ先に浮かんだのはそんな考え。
だって、
歌うのは止めたし、
元のバンドのメンバーが見てるし…。
でも先生のリクエストを無碍にも出来ない。
忠実なんだよな、自分(笑)
おそるおそる、歌った。ひとりで。
何ならアドリブをきかせて(笑)
それでね、大きな拍手をもらった。
一瞬、
「あ、わたし、また歌ってもいいのかも…」
と思って視線をとある人物に向けたそのとき、
その人はムッとした表情で、下を向いていた。
元のバンドメンバーのひとりだった。
そうだよね、わたし、もう歌はやめるって言ったよね。
だからバンドからも抜けたよね。
そのわたしがこんな状況になったら、面白くないよね。
そんな考えが瞬間的に頭を巡った。
そして出た答え。
「歌っちゃ、いけないんだ」
…わたしが歌うことで、不快になる人がいる。
そんなことは、良くないこと。
先生、なぜ、わたしだけ歌わせたの?
と、歌ったことを後悔してしまったのだった…。
褒められることが苦痛
そんなことがあってから、歌うことを封印。
まあ、ときどきカラオケに誘われて歌ったことはあるけれど、
本気を出すものじゃないし、
何なら10パーセントくらいの軽いノリで歌っていた。
もちろん、日常で歌うことはある。
実はよくある(笑)
本来、歌うことが好きなんだろうね。
ところで、わたしは長らく自分の声が嫌いだった。
きっかけは小学生の頃。
昭和の小学生あるあるなのだが、
友達とラジカセ(時代!!!)で、
みんなのおしゃべりを録音してみよう、ということになった。
そして録音したテープ(時代!!!)を再生したら、
すっごく変な声のヤツがいる。
…自分だった。
「えっ、わたしってこんなヘンな声してるの?!」
と気付いたときから、自分の声が大嫌い。
そのくせ、よくバンドで歌ったりしていたなあ…
まあ、好きなジャンルがどちらかというとヴォーカルメインではなかったし、
何ならわたしはベーシストになりたかったので、
ヴォーカルのほうがおまけだった。自分的には。
だから、学生時代にバイトで電話を取ると、
受話器の向こうの人が
「いい声ですね」
って言ってくることが信じられなかったし、
何人もそういう人がいるので、
電話に仕掛けがあるんじゃないかと思ったり(笑)、
他のバイトでも同じようなことを言われると、
ひょっとして褒められている?
と気付いたのだが、
こんな変な声なのに?!
と、褒められることに苦痛を感じたりもした。
どれだけ自己肯定感低いねん!
塾講師時代に生徒から何度か
「先生の声、癒されました」
という手紙をもらったり、
近所で泣いている赤ちゃんがいるとき
そっと「犬のおまわりさん」を歌うと
百発百中で泣き止んだり、
自分は自分の声が嫌いなのに、
何かしらインパクトを与えてたりするのかな、
と、漠然と思うことはあった。
カギを握るのは「周波数」か?
で、長~くなったのだが、ここからが本題。
つい最近、とある動画を見て、
「ひょっとして、わたし?!」
と思うくらいの衝撃を受けた。
それがこちら。
ガチです…人類を操作する目には見えない存在が発見されました【 都市伝説 周波数 音 ゲスト : yujinさん 】
このチャンネルのファンなのだが、
※実はグッズ持ち(笑)
この回は、もう、自分のことを言われているのか!!!
というくらいに強烈にシンクロする内容だったので、
自然と今回書いたようなエピソードを思い出してしまった。
内容の詳細は動画にてどうぞ。
ちょっとさあ~、自分の声、調べてもらいたいんだけど…。
どうすればいいのかな?
って、今、本気で思ってる。
スピリチュアル的な視点では
でね、ここで前世との絡みに言及したい。
というのも、30年ほど前、
まだ前世ヒーリングみたいなことが一般的ではなかった時代に、
とある人のヒーリングを受けたのだが、
そのときに、前世をいくつか教えてもらったのだ。
その内のひとつが、
「古代の日本で歌を奉納していた巫女」
だったんだって!
はあ、そうですか…。
と当時は、「昔バンドで歌ってたしな」くらいの感想だった。
とは言えそのときも「おおっ!すごいな!」
とは思ったんだよ。
でも、今になってみると、
これは、何かある。
何かあるよね?!
対峙するとき
遡ること2年前、ふとしたきっかけで
30数年ぶりにステージで歌うことになった。
緊張感からガッチガチで、
声も全然出なくて、
余裕まったくなし。
だけど、「人前で歌うこと」これ自体に意義があったのだ。
誘ってもらって、良いきっかけになったので感謝感謝。
そして今、
歌うことや、自分の声の力と
向き合うときが来ているように思う。
思えば「自分の声嫌い」を克服しようと、
今年ふと思い立って音声配信を始めたのだった。
はじめの数回は、再生して聞くのが気持ち悪かった。正直。
だけど回を重ねるごとにだんだん慣れ、
今では収録を何度も聞き返すまでになれた。
自分の声、悪くないじゃん?
くらいには思えるようになった。
これからは、もっと自分の声の良さを自分自身が認め、
もっと世に出してあげようと思う。
そして、例の動画のように、
自分の声が何かの役に立つのなら…
それがわたしのもうひとつの使命なのかもしれない。
未知だけど。
でも、未知だからこそ、やってみる価値はあるのだろう。
※【追記】小さい頃の夢
書き終えてから思い出した。
子どもの頃、何になりたかったか。
物心ついたとき、ふんわり思っていたのが、
「物書き」。
それから、
「歌い手」。
子どもの感性は純粋だから、
たましいが望んでいることをしっかり覚えている、はず。
変わる必要はない。
思い出せばいいんだ。
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