子どもの頃のこと

子どもの頃、今では考えられないくらい、自分の思いや疑問を口に出して話すということをしなかった。
話すという発想自体が無かったのかもしれない。
かと言って、人とのコミュニケーションが嫌いと言う訳でもなく、それなりに友達もいたし、一緒によく笑い、よく歌ったりしていた。人の話を聞く事も好きだった。
ただ、家でも幼稚園でも、自ら発言することは殆どなかったと思う。何か分からない事、不思議に思う事があっても誰にも質問せず、一人でひたすら何故そうなのか、考え続けていた。
父親の仕事は何なのだろう?
ひいばあちゃんは何故いなくなったんだろう?
一言質問すれば分かるような疑問も誰かに聞くことはなく、1人で考え続け、分かるまで何年もかかったものもある。
それでもかまわず生活の中で答えが見つかるのを待っていた。
何をしたいのか、何が嫌なのか、そんなこともほぼ話さなかった。自分で分からなかったのかもしれないし、その時の思いに合った適切な言葉が選べなかったのかもしれない。
そんな、当時の私の性格から起因した思い出がある。
4歳か5歳の頃のことだ。当時、幼稚園へは幼稚園バスで通園していた。毎朝バス停まで母に似て連れられ、帰りは同じバス停まで迎えに来てもらう。
送迎バスで帰宅する時は一番にバスに乗り込み、運転手さん近くの1人がけの席に座ることが当たり前になっていた。お気に入りの席だった。
ところがある日、何かの理由で、一番乗り出来ず、いつもの私の席には他の園児が座ってしまった。仕方なく2人掛けのシートの奥に座った。当然ながら横に他の園児が座る。横になったのは名前も知らない隣のクラスの男の子だった。名前は知らないが、私が降りる幼稚園バスのバス停よりももっと遠くで降りる男の子だと言う事は知っていた。その時点でどうしようか悩み始めた。自分が降りる時には、この子がいるから降りる事が出来ない。
バスが発車し、だんだん気持ちが暗くなってきた。どうやって降りよう?
暫くすると母親の待つバス停が見えて来た。しかし、私は降りれない。横に人がいるから。立ち上がったものの、隣の男の子に降りる事を伝える事が出来ないまま、バスは再び発車した。窓の外に母親の顔が見えていた。
私は座り直し、その場でシクシク泣き出した。泣いている私に、保母さんが気づく。笑顔で言った。
「ミヤちゃん降りんかったん?」そのままバスは走り、次のバス停で降ろされる事になった。
今であれば、幼稚園側が母親に連絡したり、責任もってバスに乗せて帰すなどし、4、5歳の子を1人で返すことはないと思うが、当時は色んな意味で大らかだった。
次のバス停で待っていたお母さんたちは、知らない顔ばかり。私は一人でバスが通った道を戻る事になった。母は、私の事を心配してくれているだろうか?
母親に思いを過らせながら、またグスグス泣きながら歩いていると、自転車に乗った男の子が私の横で止まった。
「おまえ1人か?」小学校2~3年生くらいの子だったと思うが、当時の私からすると、随分とお兄さんに見えた。
「家、あっち?」と指差すので泣きながら頷くと、「俺がつれて帰ってやる」と自転車を降りて、私の歩みに合わせて歩き始めた。他にも幾つか話しかけてきていたが、何を聞かれたかは覚えていない。
頷いたり、首を振ったり、声を発することなく質問に答えていたと思う。
暫くすると、前方から母親が歩いて来ているのが見えた。私を見つけて笑顔になる。いつものバス停で降りて来なかったので、次で降ろされるだろうと予想して向かえに来たのだ。その様子を見て男の子が、
「おまえのお母さん?」
コクンと頷くと、男の子は何も言わずに自転車に乗って去って行った。
それから長い間その事は忘れていたが、大人になってからふと思い出した。当時の町並み、当時の若い母親の姿で記憶がよみがえって来るのに、あの男の子の顔は思い出す事ができない。あの子は誰だったのだろう?
今思えば近所に住んでいたはずだし、その後通った小学校にも上級生としていたはずである。
泣きながら歩く私を放っておけなかった優しい子。子どもは子どもながら、自分よりも小さい者、弱い者をを守ろうとするのだ。それが通りすがりの知らない相手でも。
そんな事を気づかせてくれた、私にとっては可愛らしくも美しい思い出。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?