富士葵さんと確率と波動関数

富士葵さんのお話。およびそれに絡んで確率と波動関数の実在性に関して。ちなみにスピリチュアルではないです。

Aoi ch.

富士葵さんという歌をメインに活動されているVTuberがいらっしゃいます。主にYouTubeで活動されています。

私が紹介するまでもなく大変有名です。パートナーとしてキクノジョーさんという「富士葵が友達欲しさに黒魔術で魔界から召喚した猫の魔物」(下記リンクより引用)がいらっしゃいます。リンク画像の黄色いライオンみたいなの(失礼!)がキクノジョーさんです。以下ノジョさんと呼ばせていただきます。

基本的には個人勢ではあったのですが、企業にも一部所属されていたところを最近完全独立されたとのことです。新たな旅立ちおめでとうございます!

歌のこと

どの歌も素敵ですが、個人的にはミュージカル「アニー」の「Tomorrow」、「Over The Rainbow」、あと歌枠でちょっとだけアカペラで歌われた「Caro mio ben」などが好きです。

歌声は澄んだ青空みたいな感じです。ぜひ聴いてみてください。

カバー曲だけでなくオリジナル曲も歌われています。またライブもオンラインだけでなく実際の会場でも行われています。先日活動6周年を迎えられ、渋谷O-Eastにてワンマンライブ「Aria」を行われました。完全独立後初のライブということで、大変気合を入れて宣伝活動等されていたことが印象的でした。

動画のこと

歌をメインに、と書きましたが、普段の動画ではそれに限らない様々な企画が行われています。調査系の企画やイグノーベル賞的な実験が多いのが特徴です。「ふつうに食べたらむせるようなすっぱいものでも、ミラクルフルーツを口にしてから食べるとむせないのでは?」という企画には感心しました。結果が気になる方はぜひ動画を御覧ください。

ライブ配信では歌や雑談以外にもノジョさんが主役で行うものがあり、そのときは彼の趣味全開です。フォトグラファーのJRを扱った動画には考えさせられるものがありました。

体をはった企画も見受けられます。ライブの1ヶ月ほど前にも関わらず葵さんが富士山のまわり1周130km獲得標高1800mを自転車で走破した動画は涙なしには見られません(※個人の感想)。

あと執筆時点でショート動画に「気になる激辛商品 辛さ判定シリーズ」が上がり続けています。確か1ヶ月毎日上げる企画だったと思います。これで体をはっているのはどちらかというと辛いもの苦手なノジョさんです。

このお二方性格が本当に真逆で、それに起因してたまにケンカみたいになるのですが、それもまた「セロリ」の歌詞みたいで(恋人同士じゃないけど)よいです。

モンティ・ホール問題

そんな動画の中に「モンティ・ホール問題」を扱ったものがあります。ノジョさんが葵さんに問題を出し、解説をするものです。

これは以下のようなゲームに関する問題です:

3つの扉があり、そのうち車が存在する扉を当てるゲームをする。1つの扉の中には高級車、あと2つの中には羊がいる。挑戦者はまず3枚の扉のうち1つを指定する。

このゲームには司会者がいる。彼は車のある扉を知っている。司会者は挑戦者が扉を選択したあと、その扉以外の扉で中に羊がいる扉を1つ開ける。その後挑戦者は、最初に選んだ扉を開けるか、またはもうひとつの開いていない扉を開けるかを選べる。

(問題)開ける扉を変える方が有利か否かを答えよ

モンティ・ホール問題

答えは変えた方が有利です。なぜなら最初に羊の扉を選択した場合(確率2/3)扉を変えれば必ず車のドアをあける。一方最初に車の扉を選択した場合(1/3)扉を変えれば必ず羊のドアをあけるからです。すなわち扉を変えると2/3の確率で車を引き当てます。一方最初のドアから変更しなければ車を当てる確率は完全に当てずっぽうなので1/3です。

一方この問題を聞いた葵さんは「え〜本当?今までそういう死闘何度も繰り広げてきたよ。わさび寿司とかさ」「(司会者が)いじわる言ってたら?」などそもそもの設定や背景を疑い議論します。キクノジョーさんからすればトンチンカンなことばかり考えるため、最終的に彼はキレます(笑)。VTuberさんの企画ではいわゆる「ドッキリ企画」も多いので、設定そのものを疑うのも仕方のないことなのかもしれません。

しかし一方で、この話は確率に関する大切な側面を教えてくれます。葵さんの言われることはもっともで、誰かが発信した情報を信用するか否かによって、そのひとにとっての確率は左右されるとも言えるのです。確率は客観的な実在とは考えず、特定個人の情報量に依存するという考え方は事実存在し「ベイズ主義」と呼ばれます(※脚注)。

「ピカソの絵100万円」と書かれた商品があるとします。本物だったら安い気がします。そのときあなたは様々な観点からその信ぴょう性を確認するでしょう。鑑定書があるかをまず確認するかもしれません。無ければ似た絵がないかインターネットで確認し、ピカソの人生の中でそのような絵が描かれる可能性を調べ、売っているお店の評判を確認し、店主や美術に詳しい第三者にも詳しく話を聞くことでしょう。そうして信頼度が上がり確信に至れば買うし、至らなければ買わないでしょう。本来その絵が本物であるかどうかは不確定ではなく確定事項なはずですが、そんなこと知らないあなたにとっては結局のところ情報を集めてそこから推測するしかないです。そんな情報量を定量化し0から1の間の実数で表せば、それは確率のようなものです。

ということで葵さんの考えは全く的外れというわけでもないです。

波動関数の実在性

量子力学も確率的です。ではその確率は客観的な実在なのでしょうか。さすがにこれに関してはそうでないと困る気がします。なにせ量子力学の確率は「ものがそこにある確率」なのですから。それが人によって違うなどということはなさそうです。しかし考えてみれば量子の世界は我々の目に直接見えるわけではないです。何らかのプローブを差し込み、そのプローブと量子系の相互作用を通して古典系に現れた何か(例えばメーターの指し示す値など)を眺めることで我々は対象の量子系の状態を知ります。その過程ではヘンなノイズが入ることもあるでしょう。古い装置なら信頼性も落ちるでしょう。説明書に記載のある精度にも依存するのはもちろんですし、なんなら装置の制作会社の信頼性も関係するかもしれません。

このように考えると、量子力学にもベイズ主義的な考え方がありえそうです。そのような量子力学の解釈論は実際いくつかあると思いますが、QBism(量子ベイズ主義)と呼ばれるものはそのような考え方の中でも最も急進的な立場かと思います。アイディア自体は大変面白く、なるほどと思わせられることもあります(あんまりわかってないけど)。しかしながらこのような解釈論は沼であり、コンセンサスがとれているものではありません。私のような素人が簡単に口を挟めるようなものではないです。そもそもそれは正しいとか正しくないとか、そういうものでもないのだと思います。

解釈問題は未だ議論が尽きないし、現代になってむしろ盛んになっている側面もあります。一方現在では見解がかなり一致している量子力学の基礎的問題もあります。それは「波動関数は物質的存在ではない」ということです。波動関数$${\psi(x,t)}$$とは、時刻$${t}$$に位置$${x}$$に粒子が存在する確率密度を表す量です。正確にはその絶対値の2乗$${|\psi(x,t)|^2}$$が確率密度です。これはシュレーディンガー方程式に従って時間変化します。不思議なのは、そのような定まった時間発展とは別に、ある粒子を観測して位置が確定した途端それまで空間に広がっていた波動関数がその位置でのみ値をもつ波動関数に瞬時に変化することです。これは「波動関数の収縮」と呼ばれます。観測による波動関数の収縮のダイナミクスを追うことを目的とした研究はいくつもあります。

しかしながら現代的な立場では、波動関数の収縮を実際のダイナミクスとみなす考え方はナンセンスだと思われています。今ではこれは実際の動的な出来事ではなく、観測者の量子系に対する情報の変化の反映だと考えられています。もともと空間に広がっていた波動関数が観測により一点に収縮するのは、観測装置によってあなたがその粒子の位置を知ったという情報量の増加の反映です。べつに実際の物が変形するわけではないです。Ref.[1]で谷村省吾先生(名古屋大学)は「波動関数とは物質的存在ではない。二つの世界をつなぐ窓口」のように表現しています。2つの世界とはミクロ系とマクロ系のことです。波動関数はその2つの世界の間の情報をつなぐ記述法であり、観測によるその変化は系に関する知識の変化に対応します。そしてこの記事では波動関数を使わない量子力学の記述法が紹介されています。この記述法(Segalによる)では状態は物理量$${A}$$(量子力学では演算子)から観測時の期待値への写像として扱われます。波動関数の概念は現れません。

勘違いしないでほしいのは、波動関数を扱ってはいけないと言っているわけではないこと、また人間の認識によって波動関数が自由に変化しコントロールできるというわけではないことです。波動関数によるボルン規則に依拠した量子力学の記述で問題が起こることはありません。またあなたの意志とは関係なくシュレーディンガー方程式に従い波動関数が時間発展するし、どのような状態を観測するかもあなたの意志ではコントロールできません。

シュレーディンガー方程式なしに量子力学の発展は無かったと言って良いし、その様々な解法のテクニックは実用面だけでなく数学の深化にも寄与していると思うので、波動関数自体の有用性は非常に高いです。それにもかかわらず物質的ではないと声高に主張する理由のひとつは、波動関数を実際のオブジェクトだと考えると、それに付随する様々なイメージにより余計なことを考えてしまうからです。実在だと考えるから、その収縮のメカニズムはどうなっているの?とか、光より速い速度で収縮するのはヘンだとか、波動関数が頭の中でどう収縮するのか?とか、観測するとは波動関数にどのような作用を及ぼすことを言うのか?ということを考え始めてしまいます。そのようなことは現在までさんざん考察され、そして大きな成果を上げたことはないと思います。ボルン規則(波動関数の収縮のルール等の規則)に虚心坦懐に従う、それが我々庶民が波動関数を用いた量子力学を実践する上で重要な心構えです。

近年情報理論的な量子力学の記述が隆盛ですが、そのひとつのメリットは、余計なイメージを付加せずより量子力学の本質のみを取り出していることにあると思います。

まとめ

富士葵さんの紹介。および葵さんがモンティ・ホール問題で呈した疑問は確率の主観性を浮き彫りにする、というお話でした。またそれをダシにしてそれに付随して量子力学の波動関数の実在性に関して書きました。

noteでは量子力学の観測や基礎問題に関し、堀田昌寛先生(東北大学)や中平健治先生(玉川大学)が記事を書かれています。どちらも大変勉強になる内容です。ちょっとむずかしいですが、興味のある方はご覧になると良いと思います。

おしまい。$${{}_\blacksquare}$$


(※脚注)このベイズ主義の表現はかなりくだけたものであることをご了承ください。ちなみに以下のpdfでは確率の「主義」に関する見方が書かれており勉強になります:
「統計学入門 「主義」 を心配するみなさまに」 東京工業大学 渡辺澄夫
http://watanabe-www.math.dis.titech.ac.jp/users/swatanab/bayes000.pdf

参考文献

[1] 谷村 省吾「波動関数は実在するか −物質的存在ではない.二つの世界をつなぐ窓口である−」 数理科学(サイエンス社)2013 年 12 月号 (Vol.5112, No.606), 特集テーマ「物理学における存在とは」pp.1421.
 (web上にpdfファイルがあります)

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