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当たり前はひとつもないとつくづく思う

お盆休みは毎年恒例で妹家族たちと甥っ子の誕生日祝いを兼ねたバーベキューをしたり、プチ登山(奥宮に参拝)したり楽しく過ごすことができました。
毎年恒例の行事が今年もできるってすごいな、と、思います。
13日にはご先祖様たちにお供えなどして、迎え火でお迎えもさせて頂けて、
今年もお盆を迎えることができたことに感謝しかありません。

お盆あけてふと、わたしの両親のことを思い出しました。

わたしが18歳の夏に亡くなった父と22歳の秋に亡くなった母のこと。
まあ30年も前のことだから、そのときの悲しみがどうとかそういうことを
今回はいいたいわけではないのです。

あのとき。
高校生だった自分、それどころか父が亡くなった大変なときにも関わらず母に短大にいかせてもらっていた自分。(それなのにろくに勉強もせずお弁当まで作ってもらったりしていた当時を振り返り、マジでクズだったと恥ずかしい限り (笑))
両親が元気でいてくれたときには微塵も感じなかった「感謝」を
今ほど直接本人に伝えたいと思ったことはないなあ。
ほんとに、父と母が命をかけてくれたからこそ、今のわたしがこうして生かされているのだ。

子供時代から、何不自由なく暮らせていたこと。
清潔な洋服を着せてもらい、学校に行かせてもらって、必要なものは買いそろえてくれて、いつも美味しいおやつとごはんを用意してくれていたこと。
そして、習い事やわたしがやりたいと言ったことをやらせてくれたこと。
それなのに、言い出しておきながら飽きるとすぐ放ってやらなくなったわたしを見守ってくれたこと。
誕生日、クリスマス、夏休み、お正月、ひな祭り。
お祝いしてくれたこと。嫌がるわたしと写真を撮りたがった父。
おかしなことをいって家族を笑わせていた父。
いつもキッチンにたって家族のためになにかしていた母。

朝起きれば朝ごはんがあり、一日生活ができることに感謝をしたことがなかった10代のとき。
20代で両親とも亡くしたときだって、悲しいばっかりで父にも母にも
最後のお別れのとき「ありがとう」を言えなかった。
泣いてばかりで。悲しいばかりで自分のことばっかりだった。
生きるのに必死で感謝する余裕がなかったことを本当に恥じる。
ごめんなさい。

当たり前みたいに生きて、ここにいるのがさも当然みたいな顔していた時期が私にはあった。
大間違いだ。
生かされている。こうして病気ひとつせず、いろんなことがあったけど
いまいられるのは、まわりのおかげだし、有難いことなんだと、
ようやく肚の奥でわかってきた40代後半です(遅い)

でも自分を責めているわけでもない。
赦しということも一方では大切なことだと、思っています。
そういう過去を経てきた自分のこともまるごと愛してあげて、
両親には心でたくさん感謝を伝え、
いまいる家族や友人、まわりにいてくれる大切なみんなに
ありがとうをたくさん言って、素直に生きていきたいと、
そう思ったこの頃です(^^♪







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