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パソコン業界歴の始まり

なんか20年ぐらいパソコン周辺で飯食って来たんだけど、始まりはスッゲーいい加減だった。

諸般の理由で前職辞めて、次の職を探してたんだが中々見つからなかったの。じゃあバイトでもいいやと良く遊びに行ってたパソコンパーツショップのアルバイト店員募集の話を見かけ、店長さんに「プッシュしとくね」と言われて履歴書持って面接行ったのよ。東池袋商会(仮名)に。
でね、副社長のアカハナさん直々に面接でね、なんかもう入社前提の話するのさ。いつから働けるかとか、週休1日でも大丈夫?とか。

アキバのパーツショップ勤務なんてそんなもんやぞ。

で、最後に「社員になる気はありますか」と尋ねられ、「ええ、将来的には」と答えたら「明日から社員として出社してください」と来たもんだ。

こうして私は台湾系かつキリスト教系企業に潜り込んだ。大体この会社、何処ぞのキリスト教教会来てて無職の奴を社員にスカウトしてるもんだから……マトロックスのハードディスクだの(マトロックスはミレニアム出してるVGAメーカーだっ!)スカタン極まる連中が営業してんだよね。ハードディスクならマックスターやろ。

後で東池袋商会のホームページ修正で地獄見た。

で、店員になった後が問題よ。

儲からない店だが常連客は脂っこいのが多く、大学教授や人工衛星の回路設計してる技術者、CPUのコア(シリコンウエハー)蒐集家とか「何をして飯食ってんだかわかんないマニア」、コンピュータ雑誌のライター、謎のミュージシャン……
まぁまぁ、その道のプロですわ。
で、その人らと話すると「店員なのにそんな事も知らないのかよー」「え? それ売り物じゃない! 知らないのは不味いよ!」と馬鹿にされ、イジられるのである!
曰く、インテルのCPUやチップセットのホワイトペーパー読むぐらいはキホン、仕様の差を理解してその上で……

ゆーとくが、他店の店員もそこまで詳しくねーぞ?
暫くの後に、アキバでPermediaに一番詳しい人間と自負する様になった頃、某店でPermedia2だからAGP2×接続って書いてるの見て、3〜4枚Permedia2基板触って「これ、カタログスペックでは2×って書いてあるけど、どんな環境でも1×接続しか出来ないやん……」と知ってたワイは「マジか、これ2×接続マジで出来んの? 試した?」って聞いて、試しました平気です行けます!言われて買ったんだけど、やっぱり1×接続でした。
おい! クレバリーのデブ! 何試したんだよ!(今でも忘れない)

3Dlabs製品ばっか使ってたキチ気味のワイは、最終的に3Dlabs最後の製品群であるWildcat REALiZMシリーズのデモマシンを組み立てる偉業を達成する。先方から依頼が来たんや。色々得難い話も聞いた。恐らくPermediaNTからWildcat REALiZMまで全ての一般市場向け3Dlabs製品を触ったアキバ界隈人材はワイしか居ない様な気もする。900も買ったからな。NEC版の奴を中古だか新古で(新品価格20万ぐらいだったかな?)

なんつーかね、マイフェアレディではないが、マイフェアパーツショップの店員さんつーか、ご近所の資本関係がちょっぴり存在するA◯A Japanの露◯さんみたいに俺をしようとしてない?

A◯A Japanの露◯さん
人呼んでアキバの怪人。この人が凄いのは運営元の会社が給与振り込まなくなったら店にあった在庫と運転資金やりくりして店の経費と自分たちの給与を稼ぎ出し、1年ぐらい独力で店回してた辺りである。尚、ゲーム開発会社から組み立てPC受注したり、ジャンク屋で「売り物になるガラクタ」を見つけ出す天才だった。

後に、価格調査の閻魔帳で別の意味で有名になるんだがな!

で、店員やって最初の頃の仕事が他店の価格調査だ。最初期は「面が割れてない」からワイが行ってたのだが……

当時のパーツショップのシキタリとして、他店店員が店に入るのは許されてた。まぁ、互いにマニアだから買いたいもんもあるやろと。
ただ、露骨に価格表前にして、メモを取るのは不躾であるとされていた。

つまりだな、幾つかのパーツの型番と価格を記憶して「店を出てからメモる」のである。

当時、サハロフ佐藤さんやパワレポの記者は店内で価格をメモしてたが、サハロフさんは事前に挨拶と趣旨を話していたので許された。パワレポのニーちゃんはダマでメモるからウザがられた。

これを毎週、暇だと週に2回やっていたら記憶可能なメモリ容量が増加して、なんかほぼ全てのパーツショップのお値打ち品をメモでまとめた無料アキバパーツショップの案内所じみた人間になっただよ。ミレ2ならXXが安いが在庫少なかったからXY行った方がいいかもよとか、あー、そのVGAは今週何処も再入荷無かったみたいだよとか。今考えると何してたんだろ、当時のワシ?

新入荷パーツのチェックもした。商品押し付けてくるアカハナやゴキナマ(或いはヒゲ)は聞いても聞かなくても良さそうな事と「安いから、売ってクダサイ」みたいな値段のことぐらいしか言わんのだ。
ほぼ同スペックのサウンドカード2種類置いても棲み分け出来ねーべ!(と、これまた厳しい常連客に指摘された)
で、閉店後に常連交えて試聴ですわ。価格差はともかく同じ曲を別のサウンドカードで鳴らすと確かに違いがあるのが分かる。ビデオカードもベンチマークだけではなく発色の違いや画面の明るさ、いや本当に差異があるの!(同じチップ使っても違いが出ることすらある!)

で、そういうTipsを小さな蛍光色の小札に書いて知らせ始めたアキバ最初期の人間がワイや。なんならパーツショップの看板キャラとしてクレバリーのクマと同時期になんか小人さんの絵を描いてたのもワイや。
なんとなれば、ウチの店の常連が同人誌作ってたからな。店で暇こいてる時に鉛筆イラスト描いて掲示してたりもした。

実際基板設計してる人から高周波回路組む時のコツやら注意点聞いたり、何気なく売ってたパーツで使われてる超テクの話聞いたり、産機やハイスペック機で用いられる信号やノイズ対策の話を暇こいて遊びに来たジャンク屋の社長から教えてもらったり(LVDの前のHVDとかなー)
あの時あの「アキバ」には様々な学びがあった。沢山の「師匠」がいた。中には本物の教育者も居たし、有名企業の元重役がパソコン関係の商売始めて商売のコツ教えてくれたりなー。

ディファレンシャルの概念は大漁エレクトロの社長に教わった。

人に恵まれ、場所に恵まれ、時に愛された時代だった。これが私のパソコンキャリア最初の2年であった。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!