思い当たる節がある

こんなの見かけたのさ。

私は文字列を反射的に読む組である。なんなら反射的に読む訓練してた。

幼い頃、私は桜台に住んでて、よく週末に母の実家のある石神井公園まで電車で行ってたのよ(昼飯代節約&母実家に居た年上の従兄弟に子守を任せられる&私としてはジーちゃんから百円もらって玩具屋の隣の駄菓子屋行くのが楽しかった)

で、西武池袋線に乗って窓の外見ながら、「あの看板には何て書いてあるか」って当てる遊びをしてたのだ。新米母であったかーちゃんが何処ぞで聞き齧った英才教育的なアレだろう。何でか知らんがかーちゃんはワシを学者にしたかったらしく、更によりにもよって「あちこち地方に行けるから(土産買って来てね)」で考古学者にさせたがってた様なのである。何故か英才教育は小学校上がるまで続いた。上がる頃には小学校3年生ぐらいまでの算数ドリルや漢字ドリルやれるまでになっていた。

で、幼稚園上がる前の段階で看板の文字はだいたい読める様になった。識字能力が高くなったせいで「とりあえず図鑑とか渡しとくと読み耽る」子供になったのだ。理解できると楽しいからもっと理解したくなって、それが分かるともっと楽しい!

まぁ、新米母の新米故に偏った教育により「絵を描く」という行為が概念レベルで分からないとか、絵を描くより先にブロック遊びに習熟したなんて負の側面もあるのだが。

後にこの瞬間的に読み取る能力は書店や図書館で背表紙を物凄く早く検索するというほんっとーにどーでもいい能力として顕現する。ガーッと見て行って「お、これは面白そう」と目的以外の本を掘り当てたり出来る様になった。

この様な経緯があるので、私は文章を読めないという事象に対して「泳げない魚や飛べない鳥」の様な印象を持っている。変な奴だなと。いや、人間って文字読む生き物だろうと。

しかし昨今、インターネットが初期の頃のテックナード系の人間(大体論述は上手い)だけではなく、広く大衆に門戸を開く様になると段々と世界の様子が見えて来た。

私が想定しているよりかなり大勢の人間が、日本語を使いこなせていない。

まず、誤字がやたら多いとか、明らかに読みが出来てない人が一定数いる。読めないから日本語FEP(MS-IMEとかの変換プログラムだ)が上手く扱えない。また、文意を正確に掴めない。包み隠さず申し上げれば、日本在住の外国籍の人であるとか、ちょっと行政からの支援が必要な知能の人かと思ってたりした。世間には色々な人がいるのである。最近は多少認識が修正され、文字情報に親和性が無く、音声でのコミュニケーションが主体の人が一定数居るのだなと考えている。会社で報告書とか稟議書書いたりはしないのだろうか?

所謂動画配信者のブログを見たことがあるが、そこに綴られてた文字列はそらーもーおじさんを驚かせるに値する破壊力でして……なにしろ文意が一貫してない(私からしたらちょっと信じられないレベルだ) 主語述語の呼応が取れてないとかテニヲハが使いこなせてなくて、知り合いの台湾人の林さんとかの方が日本語上手いなぁという感じだ。恐らく彼は言語能力を音声側に極振りした人物なのだろう。YouTuberには向いているのではないか。(私はコールセンターやってたから喋りも出来る。1000人ぐらいまでの聴衆相手なら演説できる程度には喋れるぞ。やってたし)


方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!