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ネオサイタマの不思議

うっかり気が付いたが、忍殺の舞台のネオサイタマに埼玉みが殆どない点について。

さいたまとは?

ぶっちゃけ埼玉の埼玉という呼称の源は元忍藩のあった辺りで、さきたま古墳群である。熊谷バイパス沿いには唐突に「下忍」(ゲニンではなくシモオシであるが)などという交差点があり、軽くニンジャリアリティショックを感じる。所謂旧武蔵国以前の行政中心が多分この辺にあったのであろう。古墳時代の話であるが。(忍藩とか古墳とか忍殺的な要素沢山あるのに惜しいなぁと思う筆者であった)

大和時代

平野耕太先生が大好きな足立郡が出て来る。足立の語源はヤマトタケルの東征時期らしく、病気こいたか怪我したかで「大宮氷川神社」に立ち寄り、その後快癒して?旅立ったが「足立ち」となり、足立になったと。うん、足立郡って実は大宮辺りが中心地だったのだ(ヤマトタケルの話は多分地名創設逸話なんだろうが)。当時の荒川と利根川の流域が足立郡の郡域で、低湿地が多いこの地区では水運が盛んだった模様。また、大宮氷川神社は天皇の四方拝でも遥拝される割と由緒ある神社であり、古代史ロマンの塊である客人神「アラハバキ」の社があるのも覚えておきたい。めっちゃ忍殺適合しそうなもんだが……

承久の乱とか前後

埼玉辺りは超田舎だったので武家や地侍がヒャッハーして古河公方とかと仲良くハック&スラッシュしてた。一応源氏万歳派閥かつ太田道灌とかの派閥らしい。なお、筆者の家の裏手の元地主さんちは800年ぐらい続いてる元ヒャッハー組の御本家です。1600年前後に家康に帰順して農家やる事になり、地域の名主を続けた名家です。

埼玉県成立

最初期埼玉県はさきたまエリアを中心としたかなり小さな地域だったのだが、浦和辺りまでを引き込み県として始まってすぐ、幕府直轄地であった浦和が「暫定として」県庁建てると、そのまま県庁所在地として定着させたである。つうか忍藩や川越藩、岩槻藩は親幕側であり、明治政府側の意向も多少はあったんじゃないかなぁ。浦和なら政府側の役人送り込めるやー、みたいな。なお、この時「暫定だから」で県庁所在地奪取された「埼玉の交通要所」である大宮はこの後浦和と100年闘争を繰り広げる事になる。


楽しそうなネタ満載なのに、何度も更地にされ埋め立てられた東京湾隣接地域がメインなのは悲しいである。築地にダンジョンあるらしいが、江戸時代の魚河岸は日本橋から江戸橋辺りのエリアにあり、関東大震災で築地に移転したでござる。築地掘って出てくるマグロは第五福竜丸の被曝マグロでござるよ…(実際埋められた)


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方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!