テルーの唄はダメですわ
誤解をされそうな話なんで最初に注意しておく。以下の歌は全く背景無しでただの歌として聴いたら中々良い。
が、しかし。ゲド戦記の舞台であるアースシーの常識に照らして考えると「設定無視」であるし、現代科学的にもちょい怪しい。そしてアースシーの「テルー」という人物が歌う唄としてはダブルでダメなんである。
まずこの唄の歌詞内容だが、1人孤独に空を飛ぶ鷹を見て、少女が感情移入しまくり「寂しいだろうなぁ、悲しいだろうなぁ」とエモってポエる唄である。まぁ題材としてよくある奴だ、たい焼きが鉄板の上で焼かれて嫌になったりもするしな!
が、アースシーには魔法があり、鷹に化けるには2つのパターンがある。先ずは見てくれだけ変える幻術じみたやつ。そしてもう一つは文字通りそのものになる方法だ。ゲド戦記1巻 影との戦いでも劇中ゲド(ハイタカ)は敵から逃げる為に後者の魔法で鷹になり、師匠のオジオン様の所に逃げ帰るシーンがあるのだが……
この後者の魔法、考え方などもその様になって行くという大問題があり、鷹に化けると考え方が鷹みたいになってしまい、しまいには戻れなくなるのである。
ゲドがオジオンのもとに帰るシーンは、半ば鷹になってたゲドの中にオジオンが残り続けるほど偉大な師であり、愛を受けていたって部分の描写なんだわ。鷹は鷹の様に考えて人間の様には考えない。これはゲド戦記における基本的な知識である。
でもまぁ、アースシーにも魔法詳しく無い奴いるだろうし、無教養にもこんな唄歌う可能性がある──そりゃそうだ。確かにそうだ、そりゃそうだ。
が、テルーというのが不味い。テルーは人間が先祖帰りしたドラゴラム人間だからである。
ゲド戦記の人間の進化はちょいとバグっており、人間とは竜から進化した(変化した?)臭いのだ。で、中間形態として人と竜の2つの姿を持つドラゴラム人がおり、彼らは竜になったり人間になったりするし、生得的に魔法の言葉「真の名」などを扱えるである。
形や姿に思考が影響を受ける為、ドラゴラム人は竜と人の2つの形態に従う思考を理解してるはずなんだわ。だから少なくとも原作設定準拠ではテルーが無知で無垢な少女の様にこの唄歌うのはおかしいである。
例えば鷹ではなくドラゴンなら……寂しいぐらいは考えるかもしらん。設定的に竜と人は近いし。しかしタカは無いだろタカは。ゲドが鷹になってヤバい描写あったやん! ゴローちゃんはゲド戦記読めてないのかっ!
尚、ゲド戦記1巻「影との戦い」は小学生向け推奨図書である。
おーまーえーさーっ!
方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!