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投擲兵 ーーグレナディアーー

 投擲兵、と言う歩兵職種があった。
 元は17世紀ヨーロッパに生まれた手投げ弾……後に手榴弾と呼ばれる事になる爆弾を相手に投げ付ける兵種である。戦列歩兵による統制射撃が行われていた時代に生まれた兵種なのだが、当時の野戦・会戦に詳しくない諸兄には少し説明が必要だろう。
 前近代より戦争とは「兵を組織的に運用して、敵陣を撃破する作業」となっており、極論すると敵の布陣を破り組織的抵抗能力を奪えば勝負が付いた。それ以前までは騎士による縦深突撃であるとか槍兵による両軍の激突により陣形の破壊を行なっていたものが、イングランドの長弓兵や弩《クロスボウ》兵、マスケット銃の普及により姿を変え、最終的には訓練を余り必要とせず(つまり、徴課兵を短期間の訓練で戦力にできる)、威力のあった戦列歩兵が戦場の主力となっていったのである。戦列歩兵の戦い方は過酷そのものであり、ただ銃の射程まで隊列を組んで歩いて行き、射程範囲に入ると交代でバンバン射掛けるだけ。当然の事ながらこちらの弾が届くと言う事は即ち《《相手の弾も届く》》という事であり、兵隊は面白い様にバッタバッタと死んでゆく。その過酷な戦闘から罪人等の《《活用》》が図られたという。名誉ある軍人の武勇が遠い過去のものとなり、1束いくらの雑兵を《《消費》》して進める新しい戦争。眼前を死の銃弾が飛び交う恐怖に打ち勝ち、相手の隊列を崩した方が勝ち……兵隊が死んでも変わりは幾らでも補充可能、短期間銃の扱いを教えて「逃げる奴は殺す」と叩き込むだけで戦力化出来るのだ。怯まず弾を撃ち敵を怯ませる。国家による莫大な生命の消耗戦。これが当時の戦争だった。
 この不良少年《ヤンキー》の根性試しの如き戦いの中で、更に根性が求められたのが投擲兵である。マスケット銃やフリントロック式の銃というのは先詰式の銃であり、火薬への点火方式が違うだけ。つまり次弾装填までの時間が比較的長く、ここに隙が出来てしまうのだ。この隙に騎馬による突撃を受けるとマスケット銃の兵隊は簡単に蹂躙されてしまう。何しろマスケット銃の射程は高々100m程度。戦列歩兵になると彼我の距離は50m程だという。初期の銃兵はこの為随伴として防御用に長槍《パイク》兵を付けたりしていたが、たまたま当時フランスの田舎で起きた農民同士の争いで、銃にナイフを差し込んで相手を刺した事例から銃剣が誕生すると……銃剣は正式兵装として急速に普及した。戦列歩兵の護衛を省略し、彼ら自らを槍兵として活用できたからだ。なお、銃剣をバヨネット等と呼称するのは先の農民同士の喧嘩が発生したBayonneと言う地名由来とされている。
 さて、この戦列歩兵を恐怖の底に叩き込んだのが投擲兵である。物を投げる……原始的であり人類が獲得した最も古く最も特徴的な攻撃方法。ユダヤ王ダビデは若き日に投石で巨人ゴリアテを屠り、日本でも投石は飛礫や印字打ちと呼ばれて西日本で多用された。そもそも初期の投擲弾は漫画などで見られる丸い玉に導火線を付けたもので、誤爆などの危険すらある。また、爆弾による爆発は銃創とは異なり非常に致命的である。まだ初速が遅くライフリングも刻まれていない当時のマスケット銃はそもそも精度が低く、弾で肩や脚を撃たれたぐらいなら生き残る可能性は多少あるが、爆弾が至近距離で爆発すると高確率で即死する。即死せずとも腕がもげる脚が飛ぶと『かなり酷いもの』を見せられるので、威嚇効果は高い。故に、当然の事ながら投擲兵は真っ先に狙われる。味方をミンチにしてくれる敵兵を活かしておく法は無い。彼が自分をミンチにしないなどと言う確証は無く、戦友をミンチにして欲しがる兵隊は居ない。幸いな事に投擲兵の射程は然程長くはなく、彼らは敵兵に肉薄しなければならなかった。そして投擲兵はそれを知りながら肉薄し、敵兵をミンチにする投擲弾を投げるのである。
 後に擲弾発射機能を備えた小銃や、小銃自体が連発機能を持ち掃射が可能になると投擲兵という兵種自体は消滅した。しかし精鋭兵である投擲兵--グレネード転じてグレナディア--は今も名誉ある部隊名として現存している。兵制、兵種が変わってもグレナディアは最精鋭であり最強の魂を持った男たちへの尊称なのである。(実際、21世紀においてもイングランドの近衛第一連隊の英語名 The First or Grenadier Regiment of Foot Guardsにグレナディアの語が残っている)

 我々の住む地球とは異なるここ、物語の舞台となるユギニアのフランカ地方でも現在大絶賛国家間戦争が展開中であり、この地にもグレナディアが居た。ユギニアは地球とは異なる世界なのだが、読者諸兄はこの事について余り頭を悩ませる必要はない。大体技術及び文化レベルが地球の17世紀ヨーロッパ程度であると考えて貰えれば良いだろう。それでもイメージが湧かない場合は世界史の教科書を紐解くと良い。《《それすら》》嫌がる諸兄の為に簡単に説明すると、ニュートンやレンブラントが生きた時代で、ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を作った頃である。ヴェルサイユ宮殿の話をすると直ぐにベルサイユのばらを想起する残念な人もいるが、ベルばらは18世紀末の話だ。科学技術や科学思考が勃興し、物理法則の解析に微分・積分などの計算が様々に活用され始めた時代でもある。詳細に語るならば地球の17世紀と幾つか目立って違う点もあるにはあるが、取り立ててそれを意識する必要性は全くない。エルフやドワーフにお馴染みのゴブリンやドラゴンなどのモンスター達が存在する世界ではあるし、魔法もある……ただ、人間の高過ぎる繁殖力と開発力により、フランカ地方の属する大陸西側では相当な山奥に行かねば出会えない。そして大変ありきたりでなんの捻りも無く、誠に申し訳ないのだが--ユギニアにもいわゆる異世界転移者が一定数存在して地球の文化風習が多少輸入されており、ライトニングボルトをカートリッジ化した雷撃杖と遅延爆発式ファイアボール --ディレイドブラストファイアーボールを転用した手投弾で組織的な戦争を展開している。このディレイドブラストファイアボールが実に曲者で、雷撃杖の射程が僅か30メートル(但し、魔法を撃ち出す関係上命中精度はマスケット銃やフリントロック銃よりかなり高い)、呪文としてのファイアボールの射程も僅か45メートル程度であるこの世界で、「結晶化したファイアボールの呪式」を遠投に秀でたものであれば百メートルを超える距離まで射程と出来たのだ! 各国のエース級であれば精度を保ったまま百三十メートル近い距離まで投擲可能であった。このユギニアでは残念な事に異世界転移者ならば必ずチートスキルが与えられる訳ではなく、大変好都合な事にリボルバーやショットガンシェルは金属加工技術の限界で実用化されていない。しかし転生者が身に付けた技術はそのままこの世界でも有効で、遠投という技術は多くの場合「そんな事をした事もない」ユギニアの人間よりも転生者の方が上手かった。雷撃杖という地球で言うライフル--先詰式の銃砲--はまだ十分に行き渡っておらず、丁度兵制的には職業軍人から徴兵による一般兵を主体にした近代軍隊への移行が始まったばかりの頃であった。多くの転移者はユギニアを純然たるファンタジー世界だと思い勝手に剣と魔法の異世界生活を夢見たのだが、市民権も国籍もない彼らは国家から《《自由民》》と見做された。自由民とは現代日本の語感とは異なり、人間社会から切り離され「責務も無いが権利もない」一種の懲罰状態である。まだ共同体からの阻害が生死に直結しかねない社会制度の中においてはかなり厳しい刑罰と言える。都市部への居住権を得たくば一定期間の軍役に就き、国家への忠誠を示さねばならない。恐らく転移者の誰かが欧州フランス外人部隊の制度をフランカ地方に持ち込んだのだろう。いつ如何にして彼らがこの世界に来るようになったかは考慮されなかった。戦列歩兵や投擲兵として徴用するのに好都合だからだ。ある者は我が国に神がもたらした恩寵であるとまで言い放った。では敵国の転移者はどうなるのか? 神は何を求めたというのか。
 こうして転移者がポツリポツリと集まり、転移者部隊が形成された。そして彼らは異国の地で戦列歩兵のライトニングボルトに貫かれ、投擲兵の投げるディレイドブラストファイアボールに身体を八つ裂きにされて死んだ。騎兵の槍に突かれて、銃剣に斬り裂かれて、無意味に、何の脈絡もなく荒野に屍を晒し、カラスだけが歓喜の声を上げていた。大地は赤黒く染まり、夕陽が更に大地を紅く染め、腕と脚、そして脳漿が散らばる風景。ここは地獄の泥濘地、ライン88。戦端が開かれて早数十年、戦いは死者への弔いの為に当初の開戦理由を忘れた今も続いている。
 転移時に言語に関しては当該地域での公用語を話せるようになっていた為に混乱は余り発生しなかったが、集まった人材は何故かネットゲームにどハマりしたナードやオタクが殆どであり、その運動性能は現地民と比較して《《一部を除き》》著しく劣っていた。比較的運動神経の良い野球やサッカー経験者、また兵役経験者は生き残って行くのだが、損耗率は決して低くはない。血と腐肉の散乱するフィールドには今日もまた新鮮な血肉が折り重なり、大地は兵士の血肉で舗装されていた。昔の戦場にはスケルトンやゾンビが跋扈したと言う話だが、四肢が散乱するこのフィールドでは彼らも立ち上がることすら出来ない。
 その彼らが後方での休息時に始めたのが野球である。
 遠投に長じた人物が集まる部隊には、当然といえば当然だが野球やソフトボール経験者が数多く含まれていた。その投擲兵部隊の中でも比較的環太平洋地域出身者が多い部隊の中に重度の野球マニアが存在した事が発端とされるが、この奇妙な遊びが何故かフランカ地方でウケた。また、野球を始めた仲間の中にイチローのレーザービーム並みの球を投げる強肩野手が居たため、彼の強肩が投擲兵として大変優秀であり、部隊の生存率向上に寄与した(その為、野球をやる人員が温存された)事実、太平洋戦争時に澤村は手投弾の多投で肩を壊している。野球人は投擲兵として優秀なのだ……
 こうして戦線の膠着と無関係に野球だけはユギニアの地で破竹の大進撃を続けるのだが、環太平洋地域の転移者達はある時妙な事に気が付いた。今や「やきう民」は転移者のみだけでは無く現地の有力選手も加わり、毎週どこかで草野球試合が組まれる程度だが、現地民の中に明らかに何処かで観たようなフォームの人間が2〜3人見つかったのだ。なんだあのマサカリ投法? あのバッターボックスに入る前のルーチンは--学校の休み時間や放課後の野球でクラスの物真似好きが真似た野球選手の各種ものまねの様な--彼らはそれを何処かで見て来たかの如く、真似ていた。
 転移者達の想定では、転移だけではなく「転生者」としてユギニアに到着した人間ではないかとされた。もしかするとこのユギニアはやきうに人生を捧げた紳士達の魂の安息の地ではないか。しかし確証はない。偶然重度のなんJ民がトラックに轢かれた可能性もある。この点を確認するべく新しい転移者に球界関係者の生死を確認してリスト化しようとしたが、偉大なる球界人のその後に詳しい転移者と言うのは非常に少なく、作業は難航した。
 そんな中、ある少年がユギニア野球界に華々しくデビューした。
「僕にもデモクラシーがあるんだ!」の名言はユギニア野球界に大激震を引き起こした。まさか、まさかあの男が! やきうの女神を筆頭に、守護女神だけで打線どころかキャバクラが開けると言われたあの男が! 彼が転生してきたと言うことは故国日本では……と号泣するもの、あのレジェンドの「2度目の現役」を目にすることが出来るとやはり滂沱の涙を拭う事なく歓喜するもの、草野球デビュー時からの生涯成績を記録しようとする者。特に日本出身の転移者を中心に大変な騒ぎが起きた。ユギニアの地で初のドラフト会議が行われ、彼を取得したチームは躊躇なくチーム名を現地語で巨人を意味するティタンに改名した。勿論背番号は3だ。そうしない理由が何処にあるのか。
 然しながら激しい戦争での損耗により、彼にも軍役は等しく課され、この事に全てのユギニアやきう民が激怒した。当人は普通にフィールドを縦横に駆け、右に左に手投弾を送り見事なフィールドワークを見せたのだが、敵軍側としては堪ったものではない。当然少年は敵からの集中砲火を喰らうのだが、この地では戦神まで守護女神団に名を連ねたのか全く被弾しない。ともすれば彼を知らない人々は彼の攻撃力に着目しがちだが、実の所守備に関しても特A級どころかSSR若しくはUR級の実力を保持しているのは衆目の一致するところである。余りの火線に味方側からの援護射撃も激しくなり、この日の両軍の損耗率は平時の3倍に跳ね上がった。
 翌日、戦争当事国の転移者部隊が同時に戦闘サボタージュを開始した。いつも通り戦列歩兵の前進から始まる戦闘に、投擲兵達が後方展開を始める。投擲兵にのみ許された軍帽を被る男たちの中に「あの男」を見つけた敵軍が射線を集中しようとしたその時、両軍の投擲兵の半数近くが男の元に参集する。撃つな! と彼らは自軍に叫んだ。本来であれば軍令違反で即時射殺の重罪である。しかし彼らに助けられ、彼らを助けて来た戦列歩兵は彼らを撃つことが出来なかった。彼らの勇猛さを知らぬ兵士は居ないし、彼らの献身を疑う者はこの戦場に居ない。転生者達は母国でもない「我が国」の為に決して少なくない命を捧げて来た。その彼らが初めて自分たちに訴えかけて来た言葉に、両軍は足を止めて耳を傾けたのだ。
 紛争地の中央から不世出の偉大な才能を下らぬ戦争で失う愚を説き、その論説は数十年に渡る泥濘の戦争に飽きた人々の胸に九回裏3点ビハインドで迎えた2アウト満塁からのサヨナラ弾(バックスクリーン直撃)並の特大アーチを描いた。なんとこれをきっかけに停戦合意が成立したのだ! ユギニアでは珍しく異世界の住民が世界に貢献した瞬間であった。彼らには生産チートもチートスキルも与えられなかったが、先の世界大戦でどれだけの偉大な野球人が喪われたかだけは知っていた。そして野球を愛する心は奪われなかった。何も与えられなかった男たちではあったが、その代わり彼らは何も奪われなかった。世界に平和をもたらすにはチートやハーレムは必要ではなく、彼らが持って来た知識と僅かな……ほんの僅かな勇気……たったそれだけで良かったのだ。
 激戦の地はDMZ(DeMilitarized Zone / 非武装地帯)として両国の共同管理地となり、そこに平和の殿堂として野球場が建設された。澤村の悲劇は回避されたのだ! 血と骨と怨嗟が積み重なったこの地に、人々の歓喜の声が響き渡る時が来た。停戦合意文書調印が交わされた日の午後、後に伝統の一戦として記憶されるティタン・グレナディアとティーガー・グレネーダーの一戦が開始された。
 一回の裏ノーアウト2, 3塁のピンチに三塁の「ミスター」の華麗なるプレイで三併殺を決めたティタンは二回表に初球ホームランを放ち先制。ティーガーも元3Aスラッガー転移者の3ランで巻き返し、試合は打撃戦の様相を呈した。四回表には初のデッドボールがティタンの二番打者を襲うが、当たっても怪我で済むとは何と平和な光景だろう!
「この試合、一点でも多く取ったチームの勝ちだ!」--当たり前の話だ。野球を知る者なら小学生でも知っている事だ。しかし彼の言説が伝わっていないこのユギニアに産まれたこの少年がこの様に語った事は転生者達の心を震わせた。ミスターの檄は事情を知らないユギニア生まれの選手達を破顔させ、転移者の内なんJ民の涙腺を決壊させた。俺たちは今、あのレジェンドと共にグラウンドに居る……松井やイチローでさえ叶わなかった夢のフィールドだ。動画やテレビでしか見ることの出来なかったあの光景を、今俺たちは生で見て彼らと同じ空気を吸っている……降り積もった怨嗟の大地を男たちの頬を伝う滝のような涙が洗い流して行く。徳光和夫がこの事を知れば、如何なる手段を用いてもユギニアの地に向かったに違いない。そして滂沱の涙をやきう民達と共に流して荒れた大地を潤すのであろう。七回裏には自発的に六甲おろしが現地語ではなく日本語で熱唱された。関西やきう民の魂に刻まれた旋律と言霊は極めて自然に飛び出してきた。そして迎える八回表、一人の男がアカペラで歌うその歌は「男の友情・背番号3」 嵐を呼ぶ男の魂も今この球場に居たのだ!
 見ればそこかしこにかつて活躍した男たちがいた。金田が、川上が、澤村が、稲生が、江夏が……野球を通じて熱い友情を交わした男たちが集まっていた。刻々と盛り上がり続ける球場が八回表ワンナウト満塁で迎えた打者は無論彼! 日本の野球人の中でも傑出した「ここぞという時に打つ男」、神々に愛された奇跡の背番号3である。

キン、という澄んだ音が静寂の中響き渡る。

 青空を高く高く飛ぶ白球は流星もかくやという速度で空を駆け球場の外へ飛び出した! 一瞬の静寂の後に湧き上がる歓声! スタンドが揺れ、叫声は天を揺るがし、大地は英雄の帰還に沸き立った! 人々は肩を組み「闘魂込めて」を熱唱。勝ち負けを超え、ただただ野球に熱狂した。
 しかしティーガーもむざむざ負けはしない。彼らは八回の裏を前に円陣を組み意識を集中していた。栄光の縦縞が強く思い浮かべるは85年、1985年のあの怒涛の戦いだ。
 バース、掛布、岡田。
 バース。掛布。岡田。
バース! 掛布! 岡田!
 呪術めいた叫びが球場に木霊する。打撃は力、打たれれば打ち返せ、打たれずとも打ち返せ、猛虎の魂この一戦にあり! 打力こそが力、力さえ、あれば、いいんだ……(筆者もこの年の阪神大爆発はよく覚えており、バックスクリーン3連発にテレビの前でホゲェェエとなった口である)
 まず、目つきが変わっていた。クリーンナップまで回せば必ず三連発が炸裂するという根拠無き自信。何故なら今俺たちは1985年のあの打線なのだから。目蓋に浮かぶは阪神甲子園球場。目の前の投手は槇原だ。伝説の4.17三連アーチ……
 猛打が、炸裂した。
 いつも思うのだが何故に彼らは打撃の半分をお土産にして持ち帰り、翌日解放というやり方を取らないのか。いつもの猛虎がそこに居た。自重しない長打力、走る走る虎たち、流れる汗もそのままに。サッカーなら得失点差がものをいうのだが……と誰もが困惑しつつ、誰もが猛虎魂を震わせていた。八回裏、なんと追加9点! 流石に終わった。だってティタンにフラミンゴ打法のあの方まだ来てないもの……猛虎軍は左に飛ばすと愉快な三番が抜群の守備を見せるので極端に右側集中砲火をするのだが、案の定「自由過ぎる三番サード」は2塁より右のボールまで取りに行き、なんとか猛虎打線を9点追加で押さえ込んだ。
「さあ、みんな。野球はギブアップだ!」輝く笑顔で真反対の事を言い出す3番を尻目に、やはりこのヒト間違いねぇなと安堵するティタンのメンバー達。今俺たちは生きる伝説と共に新たな伝説を作り上げる途上だ。例え100点差が我々の目の前に立ち塞がろうとも今の我々の敵では無い。異世界転生と言えば能無しニートがチートの一つも貰って女神を侍らせるだけで万事解決のストレスフリーな物語だ(諸説あります)
 ならば、真の英雄が「天才」に「努力」を重ね、女神をグロスで侍らせて「運」まで動員したらどうなるか? 語るまでも無い、約束された勝利のバットである。
  闘魂こめて 大空へ
  球は飛ぶ飛ぶ 炎と燃えて
  おおジャイアンツその名担いて 
  グラウンドを
  照らすプレイのたくましさ
  ジャイアンツ
  ジャイアンツ
  ゆけゆけ それゆけ 巨人軍
 チーム名はティタン・グレナディアなのだが今やそれは些細なことだった。現地語では意味不明になるがジャイアンツにしとけば良かった! 燃え上がる闘魂、互いに煌めく闘志。今戦っている2つのチームは野球選手であると同時に両軍で勇名を馳せた投擲兵《グレナディア》でもあるのだ。必ずや最前線まで駆けつけ、いかなる犠牲を払おうとも敵陣に手投弾ディレイドブラストファイアボールを投げ込み、自ら粛々とエインヘリャルへ隊伍を組んで凱旋する男たち。球とバットを扱わせれば右に出るもの無く、命を燃え盛らせる事に関しては他の追従を許さない。野球においては一つの試合で54の死を振り撒いて、一試合一人平均三回は死する鋼のアスリート。九回表、ティタンは戦場《フィールド》を駆けた。果敢に走る7、8、9番打者。打者一巡の後に一番打者の鋭い打球は3塁線を深く破りつつもギリギリ切れない絶妙さ! 皮一つで繋がり残り半歩の死線は踏み越えない精緻さよ。これで2点を返して3、2塁得点圏に走者残留ノーアウト。2番は右中間を痛烈なライナーで破り2ベースヒット! そして3番が再び右中間を抜いてノーアウト1塁で迎えるバッターはサードの鬼神。ここで爆発かと思えばまさかの力強い三球三振! 振り飛ばされる鉄の帽子にあの日の風景を重ね見た観衆は拍手で迎える。気が抜けたのか5、6番打者は悪送球やエラーに助けられ、7番のセンターを深く破る打球で更に2点を追加、残り1点差! 8番が出塁するも9番は見逃し三振。7番の好走により調子を崩され1番はファーボールで出塁、2アウト1-3塁で2番がセカンド強襲打による2ベース! 同点! 動揺した相手はまたも悪送球で2アウトフルベース! 九回表同点で迎える打者は奇跡を生み出す男! ここで打たねば誰が打つ! 誰もが確信していた……恐らく奴は打つだろう。人はそれをお約束だのチートだのなんだかんだと文句を付けるだろうが、実際この様な場面では奴は撃つのだ。事実は小説より奇怪であり、信じられない事に漫画でもリアリティを重視して避ける様な事をこの男は平気で実現してきた……分かるだろうか、漫画より突拍子の無いものが眼前で繰り広げられると言う事が。現実世界に生きる生身の人間がアニメキャラよりチーレムキャラより破天荒でドラマチックに生きていると言うその事が! この球場の観客が目にしているものがそれだ。今バッターボックスに立ち、ゆっくりとスタンスを整える男。人々が「ミスター」と呼び、その一語で全てを了解する男。記録を残し、記憶に残った男の「ここ1番の打席」--ピッチャー大きく振りかぶって第一球! アウトサイドに僅かに逸れる様子見のボール球だが、剃刀より鋭く研ぎ澄まされた彼の前では絶好球だ……この様になった時に彼に打てぬ球はない。如何なるスイングからも球の真芯を捉えた一撃が繰り出され、球はバックスクリーンにゆっくりと吸い込まれてゆく--
 ゆっくりとダイヤモンドを回る英雄を見た走者が、突然何かを叫び出した。ホームランの余韻に浸る観客の中にも1塁を指差して何事か騒ぎ出す者がいる。ティタンのナインは一人を除いて全てを悟った。主審から投手にニューボールが渡され、一塁に送球される間際に2人目がホームを踏む。そして一塁に球が届くと謎のアウトカウント。ルーキーイヤーの珍事として名高い「一塁踏み忘れホームラン取り消し事件」は見事に繰り返された。これがあるから野球は侮れない。
 十四対十二。残すは九回裏のみ。1アウト1-2塁でクリーンナップを控えたここ1番、鋭いライナー性の当たりがサードを襲う。横っ飛びで捕らえた球を勢いのまま体を転がし1回転、華麗なステップでセカンドに送球ダブルプレイ! 試合終了。湧き上がる歓声は近隣の町まで届き、10年先までこの日の試合は語り継がれる事になる。
 激しい打撃戦だった。本番戦場宛らに、ある意味ではそれ以上に投擲兵《グレナディア》は投げ、打ち、そして走った。物を投げる……原始的であり人類が獲得した最も古く最も特徴的な攻撃方法、それが幾千幾万年の時を超えてスポーツに昇華したのだ。このスポーツには人類の全てが詰まっている。

 数日後、興奮冷めやらぬユギニアの地に新たな転移者が現れた。そしてその彼の一言は数日前の試合の数倍の驚きを持って迎え入れられた。
「この間、ワンちゃんが始球式でタマ投げて、チョーさん本気で打ちに行ってたぜ? まだお元気よ、二人とも」
 な、なななななんだとぉぉぉお!
 伝説は死なずと万歳三唱をはじめるもの、ではティタンのサードは誰なんだと混乱するもの、ONガチ対決が見たかったと泣き崩れるもの……まぁ、世間にはよく似た人間が3人いると言うし、実のところこれは世界創造にまつわる《《ある秘密》》に関与した話なのだが、それはまた別の話で説明しよう。大切な事は、ユギニアの3番サードと地球の3番サードの対決、若しくは共闘を観戦することが出来るかもしれない……その一点だろう? 今度は一茂を忘れて来て構わない。

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