文章力低下は防げるか?

新聞各社やメディアが大騒ぎだが…

第一に、どんな時代どんな土地にも文章ヘボい奴はいる。問題はそいつらがきちんと立ち上がり「書き続け」て、正しいフォームを身に付けるかどうかだ。書き続けねば上達は無く、書いた文章が正しい「型」であるかどうかを見定め続けねば上手くはならない。継続は力なりとはよく言ったもので、あらゆる種類の行動は筋トレと相似形を成す。だから実はTwitterやSNSは悪者では無く、文章ヘボい連中が「可視化される」様になっただけであり慌てることはない。ただ、Twitterなどで文を書く際に「ちゃんと正しい型になってるか」を確認する癖はつけておくべきかと。むしろSNSなどの「文章を強制される媒体」が流行ることは作文力涵養に役立つだろう。SNSは言葉のダンベル体操だ、えーやんけ。

むしろ問題視すべきはプロの文字書き(対価を取る売文屋)の方の文章力低下ではあるまいか。読売新聞がヘボいのは今に始まったことでは無いが、分かりやすい、読みやすいを追求した結果として「バカ向けの文章書いてたら記者もバカになった」的な現象が見られるよーな気もする。

こちらでも書いたが、ぶっちゃけ読売新聞の記者の文字列はかなりバカ臭い。やきう新聞だから仕方ないっちゃー仕方ないが、それにしても近年の記事の質は目に余る。長嶋の如き状況になるまであと何年だ?

先にも書いたが、文章修行には「良い文章」が必須である。それは手本であり、修行の際の「型」であり、師である。良作や「良い文章」を山ほど読み、そこで正しい型を学ばねば、文字の書き方の「物差し」を構築することが出来ない。残念ながら読売新聞読んでたらバカ文章書く奴になってしまうだろう。モノカキの手本にもならぬ文章に値段付けて売るとはふてぇヤツだ。売文屋としての誇りを持て。(売文屋としての誇りに目覚めた筆者は、全文無料で読めるけど「文章に値札を貼る」ことにした。単なる意地の話なので皆は存分に立ち読みするなり座り読みするなりすると良い)

現状、作文能力涵養に役立つ反復訓練装置としてTwitterやnoteは役立つと思うが、正しい型を教える「師」となるべき存在が少ないのが問題だ。例えばニンジャスレイヤー読みまくる人はあの文体による描写能力が磨かれる訳だが、それを仲間内で楽しむ分には何の問題も無い。しかしあの文体で出張報告書や稟議書書かれるのはツラいものがある…いや、読売新聞文体で一段落二文構成というアホアホ文でも困るのだが!

カドカワのブックウォーカーなんかも「その文で金取るのは流石に詐欺ですわぁ」なギッタンバッタン文とか素人が打った10割蕎麦みたいな切れまくり文が散見される。つうか辺境の老騎士読んだ時にわしゃぶち切れた。カドカワの当該編集部は一回豆腐の角に頭ぶつけて異世界転生時にまともな編集能力をチートとして貰って来い。この戯け者が。

作家として活躍し始めの人が文の芸に不慣れなのは仕方ないが、編集側がそれに対して「編集のプロとして」なんらかのアドバイスするのは何かの禁止事項にでもなっているのか。文字送りとかまるで気にせず文字垂れ流して製本してない?

順番が前後するが、ゴブリンスレイヤーはきちんと「文の芸」を披露しているである。

文芸の素人が素人文章を書くのは仕方がない。それは本来文芸界に生きる編集が補完すべき領域だと愚考するのだが、どうもカドカワでは編集も文芸の素人なのか、省力化の為になーんも考えずに版組してんだか知らないが、web文を物理書籍向けに体裁直したりしない様なんである。それやらないなら物理本なんて出さずにwebで撒いときゃよかろーに…

バカなんじゃないかな?

いや、割と本気で無能が過ぎて怖い。余りに無能なんでカクヨムのコンテストに出した3作品は最初っから41文字詰めで版組した時に最適化した上で完結とした。あいつらバカだから、うっかり受賞した日にはなーんも考えずに物理本にしかねない。憤死する前に対策を取る必要がある(本気)

この様な意識が低過ぎて洒落にならん連中が跋扈してるから「手本にならない様な本」が本屋に並び、それをうっかり手本にしたり「無自覚の内に影響を受けた」結果として「文章がヘボい連中」が生まれるのだ。私が見るにヘボい文書く奴が多いのは売文屋界隈がヘボいからであり、SNSとかは関係ないと思うやで…

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