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この世の不思議

私がまだ小学校高学年くらいの時の話です。
私は空想にふけるのが好きでした。
自分がドラマの主人公になったつもりで過ごすという遊びが好きでよくしていました。ちゃんと主題歌から始まります。その主題歌もオリジナルで考えていました。
誰かとごっこ遊びでするのではなく、自分一人でニヤニヤしながら頭の中で遊ぶのです。「私はこの世界の主人公。みんなはそのドラマの出演者なの。」世界は自分中心に動いているのよー!みたいな感覚で妄想して遊んでいました。

でね、ある時学校の帰り道でふっと思ったんです。
この世界にはめちゃくちゃたくさんの人間がいるけど、
お空の遥かかなたのどこかですごーい大きな存在がいて、その存在が私たち人間を見下ろしていて、その存在が私たちをあやつっているんじゃないのか?てね。

人の配置や境遇、起こることなどをその大きな存在が決めているの。
誰から生まれて、兄弟や出会う人や、病気になるタイミングとかもその存在が決めているの。しかもその存在の独断で。その存在はニヤニヤしながら面白がって下界の私たちを操っているの。人形遊びをしている様に大きな存在は人間たちで遊んでいるの。

私が私の人生を私中心の私のドラマと思い込んで遊んでいたけど、それすらその大きな存在の遊びの一部なんだろうなって、まだ小学生だった私は感じていました。

中学、高校と進むにつれ妄想遊びは少なくなり大人になったらすっかり妄想遊びはしなくなっていました。
自分の本意とは裏腹に仕事に明け暮れる日々を繰り返すうちに、私は壊れました。
身も心もボロボロになりました。すべてがどうでもよくなりました。
それまでの暮らしが音を立てて崩れていきました。
頑張って積み上げてきたものが私の前から消えていきました。
たくさん泣きました。たくさん怒りました。
そして絶望感を味わいました。

生きていく環境がガラリと変りました。
仕事は減らしました。収入はほとんどありません。
絶望から少しずつ這い上がってきました。
小さな小さな希望の光を頼りに。

順風満帆に来ていたのに、
人生ってわからない。

最近子供の時に感じていた事を思い出します。
お空の遙かなたで大きな存在が私たちを面白がって動かしているんだ。
絶望を感じていたあの出来事もきっと大きな存在のちょっとしたお遊びなんだ。
私はまたそう考えることにしました。

私はもう一度人生を楽しみたい。
私はもう一度自分中心の自分のドラマを作ってみたくなりました。

今回は以上になります。


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