偏差値マインドが隠す「入学しやすい」という価値

「入学し易い方が入学し難いよりも良い」という当たり前のことが、偏差値マインド(大学の優劣を偏差値で判断する精神)によって高校生には見えにくくなっているようです。

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例え話から始めます。あるサービス(例えば散髪)を受けることができる次の二つの店があったとします。

店A:
・料金 1,000円
・待ち時間なし
・申し込めば必ず受けられる

店B:
・料金 10,000円
・2時間待ち
・抽選があり、60%くらいの人は落選する

サービス内容に差は無いとします。どっちがいいですか?
普通はAを選びますが、偏差値マインドの人はBを選びます。困難が多い方が偉いと思ってるのです。Aを選ぶ人を見下したり悪口を言う場合もあります。

大学に関して言うと、入りやすい大学があるにも関わらず、「偏差値が低いと恥ずかしい」「偏差値が高いとかっこいい」という偏差値マインドが合理的な判断を阻害しています。

受験競争は「人材の強さランキングを作りたい」という社会の都合でやっているものであって、参加者本人の利益のためにやっているものではないので、別に参加しなくてもいいものです。

難関大学に合格するには、多大な時間の消費が必要です。入りやすい大学に入れば節約した時間を何かに使えます。青春を謳歌してもいいし、大学レベルの高度な勉強を始めてもいいです。

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先ほどの例え話では、店A店Bのサービス内容に違いはないと仮定しましたが、大学にはそれぞれ特徴があります。なので、コストや難易度だけでなく、その対価としてどんなサービスを受けられるかも重要です。

ここで、偏差値マインドの人は次のように反論するでしょう。
「偏差値が高い大学は、サービス内容がいいから偏差値が高いんだ。だから偏差値が高い大学を選ぶのが正解だ。」
本当でしょうか?
まず、これを言う人は大抵自分ではサービス内容を比較していません。その代わり、経済学的に言えば市場の合理性という仮説を信じています。

ここで、市場の合理性とは次のことです:
「受験生は大学のサービス内容を比較した上で自分にとって最もいい大学を志望する。その結果、優れた大学は偏差値が高くなり、劣った大学は偏差値が低くなる。故に、偏差値が高い大学を選べば、優れた大学を選んだことになる。」

これは現実には成り立ちません。サービス内容が優れているからと言って低偏差値の大学に行くことは、偏差値マインドの人は恥ずかしくてしませんから、市場はさほど合理的ではありません。

より実態に近いのはこちらです:
「受験生は偏差値が高い大学を志向し、偏差値が同程度の大学群からはサービス内容を参考にして選ぶ。その結果、高偏差値の大学は高偏差値を維持し、低偏差値の大学は低偏差値を維持する。」

京都大学の寮を見れば、偏差値が高い大学でもとんでもなく質の低いサービスを提供している例があることが分かります。

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偏差値マインドが蔓延したこの社会において、とても過小評価されているものに通信制大学があります。有名な放送大学の他、早慶や中央大学にも通信制の学部があります。

この前、東大生と見られるSNSアカウントが次のような投稿をしていました:
「学部の講義の多くは無駄。教科書を配って自習させればいい。」

それをしているのが通信制大学です。
しかし、通信制大学はあまりにも効率が高く、入学希望者の多くを学生として迎え入れることができるため、偏差値は低く、ほぼ"Fラン"になっています。
そのため、偏差値マインドの人は通信制大学を選択肢に入れません。

先ほどのSNSの投稿は、偏差値マインドの人が、効率的な大学があるのに無視して、非効率な大学に行って文句を言っているような図式に見えます。

とはいえ、大学には効率以外にも色々な要素があるので、通信制が全員にとって一番いいとは言えません。通信制は効率はトップクラスですが、受験競争をしていないので、一般に企業の入社選考ではあまり高く評価されないようです。

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ついでに言うと、

効率を追求するならば、「独学」という選択肢があります。大学に行かず市販の教科書や図書館の本で勉強する、これはめちゃくちゃ効率が高いです(特に金銭面)。大学生が払う年間数十万円の学費(私立なら100万円越え)でどれだけの本が買えるか考えてみてください。通学に費やす時間や、興味のない科目を単位のためだけに受講する必要もありません。

デメリットは、高卒になるから就活に不利なのと、奨学金が出ないから当面の資金に困る場合があることです。

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まとめ

偏差値マインドを捨てて、自分の得になる選択をしよう。入学しやすいのはいいことだ。

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