"東大京大"、どっちも過大評価説

東大論

京大は最近ボロボロとメッキが剥がれて来ましたが、東大も調べてみるとあんまいい大学ではなさそうです。

前の記事でも書きましたが、最初の2年は一般教養みたいな勉強で、専門科目は2年しか勉強できません。これは、学べる専門が浅いということに加えて、優秀な学生や意欲的な学生の勢いを削ぐことでもあります。「飛び級」の反対で2年間「待て」をする意味とは。

しかも、一般教養は成績で競争させられ、順位によっては希望の学部に進むことができません。

ここまで客に損をさせるサービス業は珍しいのでは。2年間で学費120万円くらい払った上で、専門の授業を受けられず、希望する学部に進めない人がいるという事実…。

成績で進路を左右するということは、学生が「既に得意な内容や簡単な授業」を取り、「優が取れるかどうか分からない未知の内容や難しい授業」に挑戦することを避けるような圧力をかけるということ。こんなんじゃ成長は阻害されるよね。

ちなみに、東大より世界ランキングが高いシンガポール国立大学は、次のような方針です。

1年生の成績は、ほぼ度外視。就職のなどの際に採用側が見る成績評価(GPA)に繰り入れない。それによって、学生が不得意科目を履修するように奨励。

https://globe.asahi.com/article/13423102

東大は、教育機関というより評価機関という感じがします。まあ、学生も評価されるために東大に行く人が多いので、そこは需要と供給がマッチしてるんですけど。

京大論

京大は良くも悪くも自由です。

良い方面の自由は、履修の自由度です。1回生の時から4回生の授業を取ったり(学部にもよるかも)、昔は1コマに二つの授業を入れるという二重登録もできました。しかし、今では二重登録はできないし、各学期に取れる単位数に上限が設けられたので(CAP制)、優秀な学生や意欲的な学生の自由が無駄に制限されています。上回生配当の科目を下回生が取れるというのも、入学を検討してる人はまだ残ってるか確認した方がいいでしょう。

悪い方の自由は、学生も職員も義務を果たさないことです。京都大学の寮は、学生が運営しています(この一文だけで、察しの良い人は色々なことが分かるでしょう)。寮には、京大の学籍を持っていない人も住んでいます。寮はボロボロでそこらじゅうに落書きがあり荒廃しています。中核派が寮内にアジトを作っています。

京大の規程では、寮は大学が管理することになっていますが、京大職員は「京大は自由の学風だから、学生に自由にやらせればいい」と職務放棄をしています。入寮選考は京大職員がやることになっていますが、規定に違反して、職員は入寮選考に一切関わっていません。職業人としてありえないことです。学生も、責任ある自治で寮を運営することが規定で決まっていますが、「京大は自由の学風だから、俺たちを縛るルールとか義務はないし、あっても無視でいい」と、無責任な運営をしています。

まとめ

"東大京大"の神格化、そろそろやめませんか。

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