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火の見櫓の起源 


稲敷市に残存する火の見櫓
NikonZf  Nikkor55mm/1.2

茨城県稲敷市角崎に現存する火の見櫓
円形の見張り台を持つ火の見櫓。現存する櫓の数には地域差が大きいが、おおむね市街地は撤去が進み、まだ里山環境が残っているような地区には残っている傾向がある。
火の見櫓のは1657年1月18日に発生した明暦の大火が起源と言われる。この大火事は、江戸本郷の本妙寺を出火元としてたちまちのうちに江戸の町の大半を灰塵にきした大火事である。戦国の世も終わり世の中の社会基盤がしっかりとしてきた時代、こんな災害が起きれば災害対策が行われるのは当然のことで定火消制度の設立や各地に火消屋敷(現在で言えば消防団小屋)ができた。現代の防災と違って、消防車や近代的な防災設備こそ無かったものの、火消の基本は火災の発見と初期消火(現代でもそうなんだが)、フラッシュオーバーしてしまえば徹底的な破壊消防が基本的な消火手段であったと思われる。とりわけ江戸期の消防組織は現在よりも組織化、高度化が進んでいたとも言われていて、いわば歴史上最強の防災組織が誕生していたのである。そんな背景があって誕生したのが火の見櫓であったが、もちろん当時は黒塗りの木造建築物である。今のように鉄骨造が出現したのは明治の後半とされている。江戸が明治になって急速な近代化が進み定火消制度は廃止されたが、町火消はそのまま消防団へと引き継がれて行く事になる。今現在、僕らが見ている消防団組織は江戸の町火消の末裔なんだ。
*見出し画像は、稲敷市にある火の見櫓の見張り台。
NikonF3 New Nikkor55mm/1.2 RolleiRPX400

里山研究、火の見櫓や木造駅舎などの建築物撮影を中心として時々のトピックスを掲載しています。