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9.マザコンで砂糖狂夫の話

私の名前はユミ、33歳。両親と3人で暮らしていたが、このたび婚活に成功し、めでたく結婚することになった。
お相手はサトシさん、33歳。2つ年上の高校の化学教師だ。

結婚願望のなかった私が婚活を始めたきっかけは、ある時両親に言われた言葉だ。
「俺は働けなくなったら、施設に入るつもりだ。お前の世話にはならないぞ」
「お父さんと2人で施設に入ろうねって言ってるのよ」
この家でずっと3人で暮らしていくと思っていた私は驚いた。
「お前には頼らない」
と言われたこともそうだけど、
「2人で施設に入ろうね」
なんて、連れ合いになかなか言えるものじゃない。
そういうパートナーがいるっていいな、と思ってしまったのだ。

そんなわけで、遅まきながら婚活を始めた。
サトシさんと出会ったのは、30代の男女限定の婚活パーティーだった。
ぼんやりワインを飲みながら料理をつまんでいた私に話しかけてきたのがサトシさんだ。
ケーキのお皿を片手に声をかけてきた彼は、なんと私の好みの知的な印象のメガネ男子だった。
私の好意のオーラを感じとったのか、サトシさんが、
「近くに美味しいスイーツのカフェがあるみたいなんだけど、ご一緒しませんか?」
と誘ってくれた。
いやここは、オシャレなバーへのお誘いじゃないの?と思わないでもなかったけど、誘ってくれたのは素直に嬉しかった。

確かにそこは、男性1人ではちょっと入りづらいお店だった。
バエそうな大盛りのチョコレートパフェをいかにもおいしそうに食べる彼。
可愛い人だなと思ってしまった、私の一生の不覚である。
「甘党なんですね」
私がそう言うと、
「そうなんですよ。甘いものに目がなくて。女性には引かれちゃうんですけどね」
そう答えるサトシさん。
「いいじゃないですか。私もよく家でケーキやクッキー作ったりしますよ」
と、姑息にアピールしてしまった。これも一生の不覚だ。

それから順調にデートを重ねて結婚に漕ぎつけた。
気になったのは、毎回デートで入るレストランやカフェのコーヒーや紅茶に、彼が大量の砂糖を入れること。
見るからに激甘なスイーツを2つも3つも食べることだった。
本当に甘いものが好きなんだな…。
その時はそれぐらいにしか思わなかったけれど、自分の認識の甘さに気づくのに、1ヵ月もかからなかった。

結婚して2人で暮らす新居のマンションは夫の勤める高校の近くで、私の職場からもそう遠くはない。
夫も特に子供が欲しい人ではなかったので、当面共働きを続けることになった。
価値観の似ている人に巡り会えて良かったと、その時は思っていた。
新婚生活初日の朝、パンとコーヒーがいいと言う夫の要望通りのメニューを用意した。
しかし、夫がコーヒーに大量の砂糖を投入し、トーストに大量のジャムを塗るのを見てかなり引いてしまった。
「ちょっとそれ、砂糖入れすぎだし。ジャムも塗りすぎじゃない?」
思わずそうツッコミを入れてしまった私に
「そうか?これくらい普通だよ」
と気にもしない風にさらっと流す夫。
いやいや、角砂糖10個分はコーヒーに投入してるし、小さな瓶だけどジャムがトースト2枚でなくなるなんて絶対おかしい。
さらに、山盛りのジャムの上にスティックシュガーをドバっとふりかけて食べるのだ。
「絶対それ糖分の摂りすぎだって。体に悪いよ?」
結婚前はここまですごくはなかった。少し控えめにしていたのだろう。コーヒーに入れる砂糖は角砂糖6個分くらいだった気がする。

こちらが彼の体を気遣って言った言葉にも関わらず、
「あのさぁ。朝食くらい好きに食べさせてくれないかな?朝から気分悪くなるようなこと言うなよ」
結構冷たくビシっと言われ、ちょっとビックリしてなんだか少し怖いと思ってしまった。
でもまぁ極端に甘党の人が世間にはいると思うし、夫は太っているわけでもない。食べ物の好みに文句をつけられたら腹が立つのもわからなくはない。
そんなふうに考え、なるべく口出ししないようにしようと思った。

ところが、結婚して初めて肉じゃがを作った日のことだ。
母から教えてもらったレシピの肉じゃがはなかなかの出来。
しかし、食卓に並べて食べ始めてみたらものすごく甘い。
しまった!調味料の分量を間違えた?いやでも味見した時は確かにおいしかった。
そう思って焦ったが、夫は、
「この肉じゃが美味しいな!」
と喜んで食べている。
なんだか釈然としないまま、その時は自分のミスだと思っていた。
ところが次に筑前煮を作った時、甘すぎる原因が判明した。
夫が出来上がった煮物に砂糖を大量に投入していたのだ。
「ちょっと!何やってるの?そんなにお砂糖入れたら、せっかくの味が台無しじゃないの!この前の肉じゃがも、もしかしてあなたが砂糖を後から入れた?」
現場を目撃してしまった私は、かなりきつめに夫を問い詰めた。
「何怒ってるんだよ。このほうが絶対美味しいだろ?」
夫は自分が常識外れのことをしたなどとは全く思っていないらしい。
主婦の方ならわかってくれるだろう。
自分の作った料理に勝手に手を入れられる腹立ちというか、悔しさというか、悲しさというものを…。
「いや、ぜんっぜん美味しくない。甘すぎて素材の味も何もわからなくなってるし」
夫がコーヒーに砂糖をどんなに大量に入れようが、それはまだ許せる。
だけど、私の作った料理の味を勝手に、しかも完全に変えてしまう行為は受け入れがたかった。
私の文句に腹が立ったのか、
「結婚したんだから、夫の味覚に合わせた料理くらい作れよ!頭悪いんじゃないのか?」
と、まるで昭和のオヤジようなことを言い出した。

こうして新婚1ヵ月にして険悪な雰囲気になった私たちは、その後も砂糖をめぐるバトルを繰り広げることになったのだった。
「知らないのか?脳の栄養はブドウ糖だけなんだぞ?」
夫がそんな風に言ってくる。
確かに天才外科医の女医が、手術の後にガムシロップを大量に飲んでいるのをドラマで見たことがある。
「将棋の棋士たちだって、別にウケ狙いでおやつを食べてるわけじゃないんだ。脳が糖分を必要としてるんだよ」
いかにも自分は脳を使っているから糖分をたくさん必要とするんだと言いたげな夫。
だが、私だって負けてはいない。
「でもあなたは、棋士でもなければ天才外科医でもないじゃん。高校の化学の先生でしょ?そんなに脳を使ってるとは思えないけど?先生に必要なのは担当教科の知識と、コミュ力とか話術じゃないの?」
この私の発言に切れた夫は、
「お前の脳みそは糖分が足りない!だからそんなくだらないことを言い出すんだ!」
と、切れて怒鳴り散らす始末。しかも明らかに私のことを見下している。

その後夫は自分の砂糖狂いを隠す気もなくなったようで、私の作った料理に必ず後から砂糖をかけまくる。
そして常にスティックシュガーとガムシロップを持ち歩いていることにも気づいた。どうやら外食でも砂糖を多用しているようだ。
私はとりあえず自宅の砂糖を隠すことにした。
根本的な解決にはなっていないが、料理に勝手に砂糖を入れられるのを少しは予防できるかもしれない。
すると夫は、まるで泥酔した暴漢のように、
「砂糖はどこだ!ふざけるな!」
と怒鳴りちらす。
いたるところを探しまくり、私が隠したと知ると、
「俺に砂糖をとらせないつもりか!?」
とブチ切れ、一瞬手を上げられるのかと思った。
さすがに私もこれは尋常ではないと思い始めた。ただの甘党にしては度が過ぎている。

ネットで検索してみたら怖い話がたくさん出てきた。
口げんかにはなるものの、まだ彼に対する愛情は少しは存在していたので、何とかしなければと考えていた。
「ねぇ。あなた砂糖依存症じゃない?」
だとすれば病気だ。
「お砂糖ってね、マイルドドラッグとも言われてて、中毒性があるんだって。薬物やアルコールと同じくらい依存性があるんだよ」
その時私は心から心配してそう言ったのだ。
しかし夫は、
「何だと?僕を依存症だって言うのか?ちょっとネットで調べただけの知識をひけらかすんじゃないよ」
そう言って私を馬鹿にしたような目で見る。
まぁ確かにネットで調べた知識だけど。それの何が悪いのか。
夫は、私がどんなに砂糖の過剰摂取の健康被害を教えても
「健康診断に異常はないし、別に太ってもいない、むしろお前の方が太り過ぎじゃないのか?」
と、痛いところを突いてくる。
確かに私はぽっちゃり型だが、太り過ぎと言われるほどではない。
私を不快にさせようとして言ったのだろうけど、砂糖依存を認めないことより、むしろそっちの方でダメージを受けてしまった。
あえて妻を傷つけるようなことを言ってくるなんて最低だ。

ある日のこと。
ほんの少し残っていた彼への思いが吹き飛ぶ出来事があった。
「まったく…僕のママもうるさかったけど、お前のが100倍うるさいよ」
彼がそうつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。
「はあ?今、ママって言った?」
いい年の大人の男がママと言うのを初めて聞いた。
個人の自由だとか多様化の時代だと言っても、反射的にドン引きしてしまったのだから仕方ない。
夫も一瞬しまったという顔をしたが、開き直ったのか、
「いいだろ別に。うちのママは美人でオシャレだし。お前んとこの母親みたいに婆さんじゃないんだから」
と、私ばかりか母までこき下ろすようなことを言ってきた。
まったく治すつもりのない砂糖依存症とマザコン疑惑。
もうこの人とはやっていけないと、本当に思い始めた。

そしてある休日のこと。
夫は昼過ぎから1人で出かけていった。おそらくスイーツ店巡りでもするのだろう。
ストレスがたまると掃除をしたくなる私は、普段は手をつけない場所の掃除に取り掛かっていた。
洗面所の上の方の棚を掃除していると、そこに何か容器らしきものがあるのに気づき、それを手に取り、容器を開けてみて、腰を抜かしそうになった。
なんとそこには、人体の一部が……
と言うとホラーのようだが、要するに入れ歯だ。
当然私のものではない。
出かけていく夫には歯があったので、おそらく2セット持っているのだろう。
まだ30代半ばで…絶対に糖分の摂りすぎで虫歯や歯周病になって、歯を失ったのだと思う。

私は帰宅した夫に、それを容器ごと突きつけた。
「これ、あなたの入れ歯なの!?」
これにはさすがに夫も動揺したみたいだ。
「えっ?いやこれは…」
「あなたの口臭かなりひどいよ。やっと原因がわかったわ。隠さずにきちんとケアしてれば、そんなことにはならなかったんじゃない?」
と一気にまくしたてた。
普段見下している私に弱みをつかれて腹が立ったのか
「うるさいなぁ!本当にお前はデリカシーのない女だ!!」
夫はそう怒鳴ると、大きな音を立ててドアを閉め、部屋を出て行った。
また甘味処にでも行くのかもしれないが、もうどうでもよかった。
結婚して半年で、すでに私は疲れ果てていた。
お酒とかギャンブルではなく、まさか砂糖でこんなことになるとは夢にも思っていなかった。

せめて母に愚痴を聞いてもらおうと、久しぶりに実家に帰った。
私の話を聞いた母は即座に言った。
「離婚しなさい」
いきなりそう言われるとは思わなかった。
縁があって結婚したのだから旦那には尽くしなさい、みたいなことを言われるかと思っていた。自分でも驚いたが、私は意外と古風な女だったみたいだ。
でも、母の一言で目が覚めた。
父まで怒りをあらわにして言う。
「せっかく作った料理に砂糖を大量に入れるなんて。母さんのレシピで作ったんだろう?無礼極まりない!」
もうお父さんったら、お母さんの料理大好きなんだから…。
ちょっと呆れながらも羨ましく思う。
私はただ、こんな仲良し夫婦になりたかったのだ。
「いつでも戻ってきなさい。ここはあなたの家なんだから」
母に優しくそう言われ、張りつめていた糸が切れたように私は号泣してしまった。

離婚するのは簡単だった。
コーヒーに大量に砂糖を入れようとする夫から、砂糖の容器を取り上げ、
「入れすぎだってば」
そう言っただけで、夫は切れた。
「毎日毎日うるさいんだよ。もううんざりだ」
うんざりなのは私の方だ。
「じゃあ解放してあげる。離婚してちょうだい」
そう言って夫の前に記入済みの離婚届を広げた。
「えっ?お前いきなり何言ってるんだよ!」
さすがに驚いたようだが、絶賛イライラ中の夫は、
「願ったり叶ったりだ。お前が言い出してくれてよかったよ!!」
と、その場で離婚届に記入して判子も押してくれたのだ。

こうして私は、砂糖三昧の夫から解放されることになった。
あの時「離婚しなさい」と言ってくれた母には心から感謝している。
私がいなくなった元夫は、思う存分砂糖まみれの日々を送り、1年後、意識不明で病院に運ばれた。
糖尿病が悪化していたのだ。

その連絡は元夫の母親から来た。
健康診断で異常がないと言うのは嘘だった。
すでに彼の体は重度の糖尿病でボロボロだったらしい。
電話口の元夫の母親は、昔からどんなに口を酸っぱくして注意しても砂糖を控えることを聞き入れなかった、と話してくれた。
その苦労は察することができる。
でも、結婚前に私に何の忠告もなく、彼の世話を私に押し付けたのだと思うと無責任すぎると思う。

ある日、退院した元夫から電話があった。
「久しぶりだな。元気にしてるか?お見舞いにも来てくれないなんて冷たいじゃないか」
電話口の元夫の声は弱々しかったが、その言葉に惑わされるわけにはいかない。
「冷たいも何も、離婚したでしょ。赤の他人のお世話なんてできないわ!!」
私が冷たくあしらうと、元夫はさらに情けない声で、
「なぁ。ヨリを戻さないか?」
と、言い出した。
「はあ?どの面下げてそんなことが言えるの?」
「ちゃんと治療したからもう大丈夫。これからはバランスの良い食事を摂るよう医者から言われてさ」
と言う。
『ちゃんと治療したから…』そんなわけがない。
「入院中の食事制限の反動で、また砂糖を大量摂取してるんじゃないの?」
そう突っ込むと、元夫は明らかに動揺した。
一生付き切りでお世話しなければならない身体になっているであろうことは、私にも想像がつく。
「砂糖をやめる気のないあなたのお世話なんて絶対嫌よ!大好きなママに作ってもらえばいいじゃない!!」
元夫が返してきた言葉には呆れるしかない。
「ママが『砂糖制限なんてできないから私は無理。サトシちゃんを甘やかしちゃうから』って、言うんだ。それで、お前に面倒見てもらえって…」
はい。ここに至っても『ママが言うから』。マザコン確定。
今さらどうでもいいけど。
元夫は、そのママにも見捨てられてしまったことに気づいていないようだ。
母親として無責任すぎるし、元夫が哀れだと思わなくもないが、もう私の心は動かなかった。

糖尿病の治療は一段落しているのかもしれないが、砂糖依存症はまだ治っていないのだ。
もしあの時離婚を決断していなければ、私はそんな彼の面倒を一生看なければならない人生になっていただろう。
情にほだされる私の性格を知っている母が意を決して離婚を進言し、最悪の未来から私を守ってくれたのだ。
後戻りはできない。

元夫からの電話だと気づいた母は、私の目の前で手をバツ印にして電話を切るよう要求している。
「私の脳みそは糖分が足りないみたいだから、あなたの言ってること全然わからないわ!」
彼が私をバカにした言葉を、そのまま返してやった。
「お、おい!ちょっと待ってくれ!!悪かったところは謝るから!」
慌てて取り繕おうとする。
「悪かったところですって?悪いところばかりじゃない!いいところなんて何もなかったわ。もう話すことなんてないから…じゃあね!」
冷たく言い放って電話を切った。

その後何度も連絡があったが、完全に無視して着信を拒否した。
もう彼の頼るところは実家の母親しかないだろうが、その母も彼にはさじを投げているようだ。
縁あって結婚した人の末路が気がかりだったが、そんな私に母が言ってくれた。
「あなたは頑張った。自業自得なんだから気にしないこと!!」
出戻り娘に両親は優しかった。

天気のいい日曜日。
「気分転換に老人ホームでも見学に行かない?」
と両親に誘われた。
なんだか複雑な雰囲気だったが、両親と出かけるのは久しぶりだったので同行した。
郊外にあるその施設は緑も多く、私が想像しているよりずっと居心地が良さそうで、職員の方もとても感じが良かった。
「ここ、いいんじゃない?」
「そうだな。敷地内に緑も多くて、2人で散歩するのに良さそうだ」
2人で寄り添ってそんな会話をしながら施設を見学する両親。
施設を見て回っていると、男性職員が話しかけてきた。
「娘さんですか?ご両親は仲が良ろしくて、とても素敵ですね」
そうなんです。自慢の両親なんです。
背の高いマッチョ体型のその職員さん。
好みではなかったはずなのに、知的風メガネ男にうんざりしていた私にはとても格好よく見えた。
「両親のような夫婦になりたくて結婚したんですけど、ダメでした。つい最近離婚したんです」
私が少しおどけてそう言うと、
「それはお相手の男性もったいないことをしましたね」
と、お世辞だとは思うけど、嬉しいことを言ってくれた。

その彼とは、近い将来結婚することになるのだけど、それはまたのお話に…。


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