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イスラムでは何故豚が禁忌なのか~「ヒトはなぜヒトを食べたのか」より

カニバリズムの調べものをしていたときに読んだ本。アメリカの人類学者の本である。この本はタイトルと異なり、全く関係のない話が節操なく出てくる。脱線に次ぐ脱線。だが、その中でちょっと面白い記述というか仮説があったのでここに記す。

11章に「禁断の肉」という項目があった。ここに宗教的禁忌をする肉食についての説明があった。イスラムでは何故豚が禁忌なのか、特定の宗教の禁忌の食べ物は何故なのかという記述があった。


1.人は本来肉を食いたがる

「ホンマでっか」に出演する生物学者の池田清彦氏がこう言っている。

チンパンジーとゴリラ類人猿は雑食性で肉をあまり食わない。彼らと人間を隔てるのは脳の大きさ。大体約2倍ある。アウストラロピテクスから人間の祖先であるホモ属になったあたりから肉の摂取量が増え、脳が飛躍的に増大した。ある生物学者はその違いは肉食にあるのではないかと説を立てた。脳組織の50〜60パーセントは脂質でそのうちの三分の一はアラキドン酸やドコサヘキサエン酸といった多価不飽和脂肪酸で、これは植物には余り含有されておらず、肉や魚に多く含まれているため、脳の構造と機能維持には動物食は欠かせないのである。

生物学者の私が、「ベジタリアンはおそらく長生きしない」と考える理由 より

チンパンジーとゴリラ類人猿と人類を隔てるのは肉食にあるのではないかということである。

食用植物は効率よく収穫できても、栄養面でははるかに劣っている。ヒトに必須のアミノ酸を得るには少量の肉に比べ野菜だけで済ますには、大量の野菜を取る必要がある。タンパク質の供給源ということでは、生理学的みて肉のほうが食用植物よりも効率がよい。基本的にヒトは肉を食いたがるのである。

2.豚という生物の特殊性


豚というのは、ユダヤ教徒、イスラム教徒にとって禁断の肉である。
しかしかつてはパレスティナや中東で豚は食われていた。豚は他の家畜と異なり肉を食うしかない家畜である。牛が農地を耕し、乳牛がミルクを与えたり、馬のように人や物を運んだりという意味で他の家畜は生きてこそ家畜としての価値があるのだ。しかし豚は殺さないとその価値はない

豚は森林、河川、湿地帯にいた。果実、木の実、ドングリ、イモ等を食べる。高温や直射日光には適用できない。砂漠や草原が多い地域では生きていけない。かつて森に覆われていたかの地が砂漠化していったのは、農耕民族の流入によるもの。森が伐採されて農地となり、そこで豚を養育するには穀物が必要となり、コストが増大した。厳しい食料事情のかの地では、豚の飼育を禁止し、穀物や果樹の栽培や、より低コストの動物性たんぱく質の飼育を奨励するようになっていった。また豚はゴミや人糞も食うという意味で不浄のイメージもあった。(実はそうではないのだが)

古代の国家や帝国の食用植物は家畜の飼育によって獲得できるカロリー数の約10倍で効率は良かった。牧草地を犠牲にしても農地を広げようとした。
家畜は肉を食べるためだけではなく、・・・死んだ家畜よりも生かした家畜のほうが価値があることに気がついて、古代には肉を食べることが少なくなっていき、環境資源の極度の枯渇をこうむった地域では、肉そのものが儀礼的に不浄とされ、植物食は肉食よりも崇高な行為であるという信念が宗教的教義として誕生した。

「ヒトはなぜヒトを食べたのか」より

著者はコストベネフィットという言い方をしているが、要はメリットデメリットを秤にかけてデメリットを補えるだけのメリットがないものは禁止すべきという社会慣習が宗教的教えとして残って行ったのではないかという。
そういう意味で世界一厳格な食べ物の禁忌があるユダヤ教の理由も説明できるという。それは

希少であり、やせていて(栄養価が低く)、発見しにくく、なかなか仕留めにくい

「ヒトはなぜヒトを食べたのか」より

動物を食べないようにという合理的教義になっていったというのだ。ユダヤ教では豚以外にも、貝類、いか、たこ、えび、かに、うなぎなどの鱗のない魚介類などとても食事における禁忌が厳密に決められている。確かにこれらは過去においては希少であり、やせていて(栄養価が低く)、発見しにくく、なかなか仕留めにくい物であったのだろう。

3.インドで牛が神聖とされる理由


インドにおいて牛が聖なる動物であり、肉食を禁忌することも同様に説明できるという。古代インドでは牛を含めた肉食をインドのカースト制度の頂点に位置するバラモン自体も行っていた。寧ろバラモンは家畜減少の時代においては肉食できる特権階級だった。

しかし仏教、ジャイナ教などの無殺生を主体にした宗教の拡大により、ヒンズー教でもその教義が取り入れらるようになる。更に牛は開墾のような家畜として貴重であり、殺して肉を食べることは農地を放棄することにほかならず、牛肉を取ることを禁止した。牛を殺したいという誘惑を抑えるために、牛を神聖なるものと信仰しバラモンはその魁として自ら肉食自体を捨てたという。

国土の耕作地が50%にも上るインドにおいて開墾には牛は必須の家畜である。
中国は逆で領地における農耕地の割合が少ない。故に「動くもの」は何でも食べた。食人の風習も中国では最も古い記載があり、最も旨いのは幼児、女、男の順番だそうだ。

インドでは現在でも牛は耕作に欠かせない家畜となっている。ところが一方で水牛は乳牛と異なり、屠殺が許されており、海外向けの牛肉としてインドは世界一の牛肉輸出大国になっている。なんとも皮肉なことである。

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